地下12階
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うっはー嬉しい。ありがとうございました!
「こりゃあ駄目だ。破棄だね」
階下で忙しそうに魔動モノレールの整備をしているスタッフ達を見下ろしながら、チーフルームの大きな椅子に腰かけたこの部屋の主は、面倒臭そうにそう言った。
若き日は金髪であっただろう髪を一つまとめにし、黒の遮光グラスで両目を覆った老女。
彼女の名は『ヒナコ・マウラ』。
学園の機械技術を一手に引き受ける技術スタッフの長である。
ヒナコは機械油と熱された鉄の臭いが充満する部屋の中、泣きそうな顔をしている情けない青年に、呆れた視線を注いでいた。
ふう、とキセルの煙を吹きかければ、むせ返って咳込むものの、こちらを睨みもしない。
こんな優男でも冒険者が務まるのだから、解らないものだ。
「破棄って、本当ですか?」
「冗談で言ってるように見えるかい? ナナシよ、私ゃね、下らんジョークが大嫌いなんだよ」
「いや、でも……なんとかなりませんか、ヒナコさん」
「ここまでぶっ壊れちまったんだ。修理するより一から造り直した方が早いぐらいさ。それをお前さん、元通りにしろだなんて無茶な話だよ」
「解っては、いるんですが」
情けないねえ、とヒナコがひっつめた髪から零れ落ちた一房を掻きあげると、青年は更に情けない顔をして俯いた。
「でも俺、約束したんです……」
そう言って俯く青年は、ナナシだった。
午前中の忙しい時間帯に押しかけて来て、ずっとこの調子である。
ナナシ、と名を呼ぶ度にヒナコはその情けない顔を張ってやりたくなる。
ナナシ・ナナシノという名は「ふざけているのか」と思うしかないような、誰が聞いても偽名にしか聞こえない名前なのだが、これで市民登録されているのだから仕方がない。
だが名付け親となった男のネーミングセンスを鑑みれば、まだマシな名前であるだろうな、とヒナコは思った。
「まったく、ジョゼットの奴も厄介なものを残したもんだよ。ババアに子供を“二人”もおっつけるなんてね、子守が大変だったらありゃしないよ」
ぱっと顔を上げるナナシ。
「躯体からもう駄目になっちまってる。そいつはどうしようもない、諦めな。変わりに中身を……AIをそのまま移し変えてやるよ」
「ヒナコさん……!」
「ここまで破損したAIの移植作業は、私以外に出来る奴はちょいといないからね。感謝をし」
「はい! ありがとうございます!」
「機体コンセプトは受け継がせるが、それ以外はほとんど別物になっちまうだろうけど、そいつは我慢しなよ」
強欲であるべき冒険者に似つかわしくない、朴訥な笑い顔。なるほど、この飾り気のない素朴な魅力にあの男は、ジョゼットやられたのか、と納得した。
そして自分も。
ナナシが迷宮に挑む様を見ていると、忘れ掛けていた昔日を思い返す。
現在とは比べ物にならない程に性能が劣る機関鎧を纏い、ジョゼット達と共に迷宮に挑んでいた若かりし頃。自分の人生の中で、あの時が一番充実していたかもしれない。
歳を取り引退して後しばらくして、無様に痩せこけたジョゼットが機関鎧のシステムを教えて欲しいと転がりこんで来たのが、つい昨日のように思える。
あれからもう、二十年ばかり経ったのだ。自分もさらに年を取って、感傷的になったのか。
「礼なんか要らないよ。あいつの遺言だからね。だけど、金は払ってもらうよ」
「う、ぐ……も、もちろんです。何とか工面します」
「お嬢様に泣きつくのもいいがね、うちの不良娘にも構ってやりな。あいつはまったく、悪ぶってる癖に初心なんだから」
「ははは。先輩は、その、何て言うか、乙女ですからね」
「うちの不良娘に限らずあの娘さん達の心の内も解ってるくせに、そうまでしてはぐらかすのもどうかと思うけどね。
でも、仕方がないさね。お前さんは“帰らなきゃならない”んだから」
「……はい」
やれやれ、と最近悪くなってきた腰を叩きながら、ヒナコは壁に吊るされた、ジョゼットが残した“もう一人の子”の頬を優しく撫でた。
「外装はメチャクチャ。油圧式の筋シリンダーは全身千切れていて、動力系の回路なんかもう完全にイカレちまってる。どんな使い方したらこんなになるんだい?」
「それが、俺自身よく覚えてなくって。意識がはっきりとしないまま戦ったとしか」
「……さて、どうなのかねえ」
どうにもこの機関鎧には、不明確な部分が多すぎた。
元々復讐の道具として生み出された機体だ。装着者への負担を無視した性能と武装が内蔵されていることは、一目瞭然。
制作中途から何を思ったか――――――ナナシのためなのだろうが、急にリミッタ-を取りつける等、装着者への思いやりをみせる造りとなってはいたが、それでも一流のメカニックを自負している自分にとっては憤慨ものであった。
そして何よりも、この機関鎧には恐ろしい力が備わっていた。
「呪い、か――――――」
ヒナコの指が、機関鎧の刻印に触れる。鎧は何も答えない。
ツェリスカと、ジョゼットの孫娘の名を冠された機関鎧は、じんわりとヒナコの指先に鋼の冷たさを訴えるのみ。
呪いのアイテムというものは多々あれど、呪いの機関鎧など、史上を返りみてもツェリスカだけだろう。
機関鎧の、武器としての非効率さからすれば、それも仕方がない。
元々機関鎧というものは、医療用の補助具として開発がされて来たものだ。それ単体で兵器とし戦力化しようだなどと、概念自体から間違っているとも言えた。
世には、魔獣殺しといった概念効果が付与された武具が一般的に市場に出回っているのだから、そちらを使った方が経済的にも優れている。
技師としては悔しい限りだが、この先絶対に人が産み出したテクノロジーは、神の力を超えることはないと断言できた。
神意とは経年と、そのモノの経験によって宿るものであるからだ。
長い年月を経た武具は強い神意を帯び、特定の魔物を倒し続けた武具は、その魔物の種族に対して特別な効力を発揮するようになる。
しかし、科学技術によって造られた物品と神意とは、とんと相性が悪かった。
神様は、人間が逆立ちして捻り出す小賢しい悪知恵をお気に召さなかったらしい。
この世界においても科学技術による機械達は、大量生産の部品を寄せ集めて造った物である。
そのため、それぞれ作成された場所、成分、形の何もかもが異なるツギハギに、神意システムも誤作動を起こすのだろう。
機械に特別な効果や能力が宿ることは、まず無かった。
この世界における科学技術の理念が、大量の無色の魔力を用いての、文明のオートメイション化に主眼を置かれているのは、そのためだった。
主に移動手段といった、力を継続して使うには向かない作業を機械化させ、利便化を計るのである。
その辺りはナナシの知る世界と同じ理念ではあった。
こと戦力に換算されれば、まるきり価値が逆転するというだけであって。
神意というものは、それだけ強力なものなのである。
また、神意が宿った武具と同じく、呪いも力を与えるという点だけ見れば等しい効果を発揮する。
むしろ作成に掛かる条件を比べれば、兵器としては呪われた武具の方が優れていると言えた。
しかし呪い、というものは、例外なく使用者に対して牙を剥くものである。
それは、神によって定められた世界の法則を歪め逆らうことで、無理やり力を顕現させているからだ。その反動たるや、生半可なものではない。
ツェリスカも例外ではなかった。
始めてツェリスカを整備した時、出来具合を確かめようとヒナコの工房の若い見習いメカニックが、その籠手を装着したことがあった。
その瞬間、若いメカニックの腕は、ツェリスカに“喰われてしまった”。
魔力による内圧で、腕が弾け飛んだのだ。
若いメカニックは技師の道を閉ざされることとなった。
呪いが掛かっていることは事前にジョゼットから知らされていたため、迂闊に触れるなと命を出しておいたのを無視した若者に、ヒナコは若さからくる無謀な挑戦心を嘆くしかなかった。
驚くべきは、ツェリスカに掛けられていた呪いの強力さと、その効果である。
まるで鋼鉄の処女だ、というのが日奈子の第一印象。
アイアンメイデンと言うには語弊があるだろうか。ツェリスカは、ナナシ以外にその身を許す事はなかったのである。
いくら呪いが掛けられているとしても、使用する以前に、ただ装着しただけで牙を剥くとは。
“使われる”ことが前提である道具としては、カテゴライズできない代物だった。
造り自体はピーキーな調整がされただけの機体である。個人の工房で造られたものであるので、使われているのは市販のパーツばかりだし、造り手もプロではない。性能だけを見れば偏ってはいるが、お世辞にも高性能であるとは言えなかった。
だが、それら全てを覆してなお余りある力を与える呪いの効果とは、一体何なのだろうか。
ジョゼットがツェリスカに込めた呪いがもたらす効果など、未だに解らないし、ナナシが何を“代価”に払っているのかも解らない。
ナナシのみにしか装着が出来ないことは、恐らくは、ジョゼットから同時に知らされていたナナシの特別な事情――――――つまりは、この世界に囚われぬ存在であることが関係してくるのだろうが。
しかし、呪われた武具など忌避すべき存在であるというのに、ヒナコにはツェリスカが魅力的に見えて仕方がなかった。
老いてチームを率いることとなり、人を使う立場となって一線を退いていたというのに、どうしても現役であった頃の情熱が燻ぶり始める。
それこそ呪いなのだろう。腕を喰われた若者を責められなかった理由。
技師を惹きつけてやまない魅力が、ツェリスカにはあった。
「私も老いたもんだねえ」
「まだまだ現役ですよ、ヒナコさんは」
「まあ見なよ、ほら」
そう言って指し示したのは、階下で働くスタッフ達。
「気付けば歳だけじゃあなく、責任ってのも背負う羽目になっちまった。おかげでほら、重くって腰が曲がっちまったよ」
ナナシに助力してやりたいと思えども、それだけに時間を取れはしない。
もう自分は冒険者時代のように“身軽”ではないのだ。
今や、小規模の都市ともなった学園施設の、魔道機械の整備を一手に引き受ける立場にあるのだ。軽率な立ち居振る舞いは許されない。
「だから、この件に関しては今後一切を、あの不良娘に託そうと思ってる」
「え……ええっ!」
「言ったろ。お前さんばかりに構ってる時間はないのさ」
「でも、俺の事情を知っているのは、もうヒナコさんしか……先輩には伝えていないんですか?」
「それはお前さんの問題だろう。私はジョゼットのやつに伝えられたことを知っているだけさ。言うなり隠すなり、お前さんの好きにしな」
「……はい」
キセルを吹かす。
紫煙と共に、ヒナコは様々な感情を吐き出した。
老いた自分ではもはや、前線を張る冒険者達には付いていけないだろう。
かつての自分でさえ成し得なかった機関鎧の戦力化。その試みが成就するのか否かを、この眼で、腕で、ナナシ達の探究の歩みに触れることが出来ないのはあまりにも惜しかった。
しかし、自分の技術を全て受け継ぎ、更に昇華させた者が居る。
その者にならば、技師としての自分の誇りを、ナナシの行く末を、託す事が出来る。
そうヒナコは自信を持って言える。
問題を挙げるならば、そいつが少々はねっかえりが強い、不良娘であることだけだ。
「先輩、了承してくれますかね?」
「するさ。私からじゃなく、あんたから頼まれたってことにすりゃあね」
「そうですか……先輩の腕の方は、聞くまでもありませんね」
「ああ、あの子は間違いなく天才だよ」
「ですね。俺もそう思います」
「素人目に予想されるまでもなく、事実さ」
煙を吹きながら、ヒナコは笑った。これでいい。
ジョゼットから話を受けて以来、ナナシは新たな世界を切り開く男となる、という確信があった。
新しい時代は、次代の若い者達に託されるべきなのだ。
少し寂しい気もするが、自分は後に続くものの育成にこそ力を注ぐべきなのだろう。そのような年になったのだ。
ナナシの方は、あの不良娘に任せれば安心だ。
この情けない顔をする男が、自身の身に起こった出来事を明かすかどうかは別として。
「お前さんらがくっついてくれたら、言うことなしなんだけどね」
「はい?」
「はん、わざとらしいったら、まったく。まあ後のことは任せて、お仲間の所へ行って来たらどうだい。お前さんの相棒は、マウラワークス一の技師が腕によりを掛けて改良してやるからさ」
「略してマ改造、ってね。あんまり変な機能とか付けないよう、言っておいてくださいよ」
パイプ椅子から立ちあがったナナシが、確かめるように首を回したのをヒナコは見逃さなかった。
「まだ痛むのかい?」
「いえ、痛み自体は感じないんですが、どうにも違和感が。分析結果はシロなんですよね?」
「異常はなかったがね……」
治療こそ門外であるが、この場には学園に存在するあらゆる実験機材が揃っている。当然、医療用の機材も。
人体をもパーツと見立てていた事のあるヒナコにとっては、人一人を精密“分析”することなど、造作もないことだった。
そして結果はシロ。
ナナシ自身に異常は見られなかった。健康体そのものである。
そう、健康体であることを異常ナシとするならば、の話ではあるが。
「また来ます」と退出したナナシを見送りながら、日奈子は機器から吐き出された分析結果に目を落とした。
「これは冒険者の病院じゃあ、解らんだろうよ」
回転率の高い冒険者向けの病院では、患者個々人の血液を培養し、電子顕微鏡で覗くことなどはまずしないだろう。
後から後から患者が運ばれてくるのだから、怪我を塞いで回復魔術を掛け、それでお終いのはずだ。
ナナシの体内で起きた変化が察知されなかったのは、その性質上当然のことだった。
「……ナノボット、とでもいうのかねえ」
ナナシの血を落としたシャーレを、電灯に透かす。
薄紅色のシャーレの中で、無数の“蟲”達が泳いでいるような、そんな錯覚を覚えた。
「ジョゼットよ、お前さん何を造っちまったんだね」
ツェリスカは尋常な損傷ではなかった。
中に人を納めていたならば、装着者の命は絶対に無かっただろう。ほとんどの損壊の原因が、自らの力に耐えきれず自壊したものであるからだ。だがナナシは生きている。しかも健康体で。
考えられることは、ツェリスカが自ら施されたリミッターを引き千切り、100%の力を以て自律稼働したということ。
ありえない……とは、ヒナコは思うことが出来なかった。
ハンガーに吊るされたツェリスカに目を向ける。
吊るされた物言わぬはずの鉄の鎧が、どくりと大きく脈打ったように、ヒナコは感じた。
そんなはずはないと思うも、暗いガラスの双眸が、こちらを見詰めているような気がしてならなかった。
「……困ったお嬢さんだこと。あんまりおイタをして、あの子らを困らせるんじゃないよ。男は優しくし過ぎると、すぐに駄目になるからね」
キセルを吹かす。
溜息と共に吐き出せば、紫煙はゆっくりと立ち登り、天井で煙溜まりを作った。
しばらくそれを眺めていたヒナコは、煙が消えると同時、階下のスタッフ達に激を飛ばしにハンガーから去って行く。
優秀な人材は多くあった方が良いに決まっている。
出来るだけ早く若い衆を育成してやるのが今の自分の使命だと、ヒナコは思った。
どうやら次代は、波乱の時代であるようだから。