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完全装鋼士 : レベル0  作者: ノシ棒
第1章 ―学園編:ナナシ―
11/64

地下10階

鉄を擦り合わせたかのような異音。

キマイラが背後を振り返ったのは、甲高い耳障りな音が聞こえたからだった。

見れば、獲物から剥ぎ取った“殻”が独り手に立ち上がらんとしているではないか。

ありえない。キマイラは我が目を疑った。

あれはただの鉄塊のはずだ。

キマイラの、多くの種が融合したが故の高い知能は、その“殻”が芯となる人間なしでは動き回ることなど絶対に出来ないことを理解していた。

現にあの鉄鎧からは、何の気配もしない。

生命の息付く鼓動も、まるで感じない。

だが、間違いなく鉄鎧は動いている。

キマイラが困惑に手を出しかねていると、また大きく異音が。

鉄が擦れ合っている。


『深刻なエラーが発生しました。不正な処理が行われたため、アプリケーションを終了します。システムチェック――――――終了。再起動します』


これを見た者はキマイラでなくとも驚きに目を剥いたことだろう。

ありえない光景だった。

そこにはナナシの機関鎧が、内側の空洞を覗かせたまま、ゆらりと佇んでいたのだ。

しかし糸に吊られたマリオネットのようなその風体。いくつかのパーツは欠けたまま、ナナシに張り付いたままでいて、その内側の空虚を晒している。

“抜け殻”であることは、一目瞭然だった。


『装着者の心肺停止を確認。身体欠損が無いため、治癒可能と判断。蘇生措置を開始します』


機関鎧はぐらぐらと覚束ない足取りでナナシの側へと跪くと、折れ曲がった首に手を添えた。

もう一方の手は無造作に髪を掴み、そのままぐいと引っ張った。

……嫌な音が、ナナシの首の内側で鳴った。

そのまま機関鎧はぐりぐりとナナシの首を回して、ちょうど“ネジ”の座りのよい位置を探すかのようにして、首を鷲掴みにする。

キマイラには鉄鎧が何をしようとしているのか、さっぱり解らなかった。

解ったことは二つ。

ぐったりと手足を弛緩させて死に体となっていたはずの獲物が、鉄鎧にしばらく首を触れられるや、激しく痙攣を始めたこと。

それと、眼前の鉄鎧は自らの敵であるということだけ。

しかしそれだけ解れば十分だった。

キマイラは蛇のタテガミ全てを鉄鎧に向け、姿勢を低くし臨戦態勢を執る。

喉奥から迸る唸りは、肝の弱い動物であれば、耳に入れるだけ昏倒したことだろう。

これは、“狩り”ではない。

キマイラから仕掛ける、“戦い”である。

ナナシにも鈍色にも取らなかった構えを、キマイラは執ったのだった。

それだけこの鉄鎧は、キマイラにとって不気味であった。

眼前の鉄鎧からは未だに気配が感じられない。

まるで死霊系魔物の無念抱えし鎧(リビングアーマー)のようだ。

果たしてコレは、ただの道具なのだろうか。否、あの獲物が使っていたのだ。とるにたらぬ人間共の玩具に違いない、はずだ。

だが、何だ、これは。

コレが自律行動を執っていることも不可解だが、それよりも背筋を粟立たせるこの感覚は、なんだ。

キマイラは予感した。

鉄鎧が、自らを脅かす存在であるかもしれないことを。


『プログラム:オートカウンター発動。当機はこれより自動迎撃行動を開始します』


淡々と鎧は合成音を響かせ、告げた。


『――――――死になさい――――――』


プログラム外の言葉を以てして。

地の底、世界の果てより轟く、怨嗟の声で。

これも、ありえぬことであった。

しかしそれを察知出来る者は、今はどこにもいなかった。

鎧の宣言に対し、キマイラは咆哮と爪撃にて応対。もはや元となった生物が何なのかも解らない奇声を発しながら、酸性の体液を滴らせる爪を振り上げ、鎧へと迫る。

迎え撃つ鎧は、迫るキマイラをじっと、虚ろな双眸で見極めていた。

キマイラの爪が、鎧の頭部を粉砕せんと突き刺る。


「グオオオオ――――――!?」


しかしキマイラの爪は空を切った。

爪が振るわれた軌跡は、鉄鎧の兜が収まっていた場所だったというのに。

キマイラが驚愕の叫びを上げる。

鉄鎧に爪が届くその瞬間に、鉄鎧は“自らの頭部を落とした”のだ。   

首から覗く腔内で、空気の残響が鳴っている。洞と鳴く暗い孔は、キマイラの命を吸いこもうとしているかのようだった。

首なしとなった鉄鎧が動く。


『イグニッション』


右腕から三本の杭が出現。

拳の加速距離を稼ぐための体幹の“ひねり”は、人間の関節の稼働域を明らかに超えたものだ。

だが問題はない。

鉄鎧の身の内はがらんどうなのだから。


『イグニッション』


そのまま伸びあがるように、鎧は拳を撃ちあげた。

全ての杭が射出される。三本の杭全ての衝撃を込めた一打。

吸い込まれるように、キマイラの隙を晒した横腹へと拳がめり込んだ。

合成された身体といえども脇は急所なのか、キマイラは醜い悲鳴を上げる。

鉄鎧は止まらない。


『イグニッション――――――』


未だ空中にキマイラの体がある内に、二撃目を。

鉄鎧は止まらない。


『イグニッション―――イグニッション―――イグニッション――――――』


二度、三度、と。

キマイラの身体は何度も空に撃ち上げられていく。

もちろん、キマイラは堪らずに反撃をした。だが、何の抵抗にもならなかった。

爪を、腕を、尻尾を振るうも鉄鎧が軽く腕を振るうたびにその全てが逸らされ、いなされていく。

全く攻撃の体を為してはいないかった。鉄鎧がカラッポ故に、衝撃が伝わらないのだ。

攻撃を受けるのではなく、むしろ合わせるよう勢いに任せれば、鉄鎧の中空構造が自然とキマイラの一撃をあらぬ方向へと流していく。

弾き飛ばされた手足は“ぐるり”と一回転しては戻り、余剰分の衝撃を殺す。

針のような体毛の一撃が腹に突き刺さるも、効いた様子もない。

当然だ。鎧はカラッポなのだから。

羽を羽場付かせて離脱しようとするも、出来ない。

あの獲物が、交合せんとしていた自分を邪魔したあの忌々しいワイヤーが、輪を描き体へと巻きついている。

打撃のための“ひねり”と共に撃ち出されたもの。離れられない。足を止めて戦うしかない。

衝撃に、刺突にも耐性があるというならば、ならば熱ならばどうだ。

キマイラは咥内から瞳を焼く程の光量を放つ炎を、鎧へと吹き掛けた。

鎧が溶け出していく。


『Ignition―――Ignition―――Ignition―――Ignition――――――』


合成音声にノイズが奔る。

ダメージは通っているのだろう。だが、鉄鎧は止まらない。止まることはない。

キマイラはそれを執念であると感じた。

魔物――――――。人間という枷から解き放たれた鉄鎧は、もはや魔物の領域へと身を転じさせていた。

これはいったい何なのだ。キマイラは鉄鎧の存在が不可解でならない。

独り手に動いているのは元より、人間を内に収めていた時よりも、明らかに動きの切れが良いのはなぜか。

拳を撃ちこむ度、威力が段々と跳ね上がっていくのは一体なぜか。

ありえぬ。キマイラは吠えた。

ありえぬ、ありえぬ、ありえぬ――――――!

己は百獣の魔物王であるはずだ。こんな平均レベルが20に満たないような迷宮に挑む程度の者に、いいように翻弄されるなど、あってはならないのだ。

いや冒険者ならばまだいい。こいつは冒険者が使う唯の装備品、道具ではないか。

もしやこいつは、本当に魔物だとでもいうのか。

魔物であるならば――――――。キマイラの蛇の鬣が、一斉に鉄鎧を睨み付けた。

無数の瞳が妖しく光る。

キマイラは相手のステータスを盗み視るスキル、【ステータス盗視】を発動させた。

ステータス盗視とは、あらゆる生命体、物質に反応するスキルだ。対象の能力を“無理矢理”に数値化させ、視覚化させるスキルである。

この数値化というものがやっかいなもので、本来人間に限らず生命体の能力値というものは、かなり大雑把なもののはずなのだ。そのため、数値化することなど不可能であるはず。だがこのスキルを用いれば、それを無理矢理に、つまりはその存在の限界値を定めることが可能となるのである。計られる当人をも知らぬ、限界を。

つまりステータス盗視とは、対象が何者であるか、“何者となる”かをも丸裸とする、恐るべきスキルだった。

これまでキマイラは、道具にステータス盗視を用いたことなど、数える程しかなかった。

道具にステータス盗視を発動したとて、それが保持している概念や神意が読み取れるだけだからだ。

例えば『ドラゴンキラー』や『魔封じの盾』等がそれだ。

冒険者が持つ武具の中には、武器自身の経験や、経年によって積み重ねられた神意が付与されたものが稀にある。そんな代物は計るまでもなく強大な力を放っており、そしてそれを持つ冒険者も自信であふれている。

それが凄まじい力を持っているということは、計るまでもないことだ。

武具の能力を数値化したとて何になるでもなし。それを扱う者の力量次第だ。警戒するならば、持ち主にステータス盗視を掛ければ事足りる。

それでなくともキマイラは様々な生物の特徴を併せ持つ混成獣だ。特定の魔物殺しの能力が付与された武具など、効くはずもなかった。

毒や呪いに対する耐性も高く、そのため道具にステータス盗視を遣うのは、暇を慰めるためでしかなかったのだ。

だが今回、キマイラは明確な意図を以てスキルを使用した。

即ち、目の前の存在を武具とは思わず、一個の生命体として疑ったが故の行動だった。

この鎧が、正体不明、であったからだ。

そして、スキル行使の結果は出た。


≪機関鎧:ツェリスカ

 レベル:5■――――――神意遮断、解析不能。

 パラメータ:■――――――神意遮断、解析不能。

 スキル:放神(呪)……あらゆる神意の外部干渉を跳ね除ける。ただし呪いによる擬似的な放神のため、防護能力は1ランクダウン。

 ■――――――神意遮断、解析不能。

 自動迎撃(オートカウンター)……装着者の意図を離れ、搭載されたプログラムに沿って自動迎撃を行う。あくまで補助機能であり、機体の自律行動を指すものではない。

 動作補正(デバイスドライバ)……該当する武器種の最適な運用法をインストールすることで、装着者の技能に補正を掛ける。あくまで補正のため、装着者の技能を大きく超えることはない。

 微小機械群治癒(ナノボット・リジェネレイト)……装着者の負傷を自動的に治癒する。ただし治癒力は機体機能に依存する。

 自己学習……容量の範囲内で自己学習を行うことにより、AIを強化する。

 自己拡張……機体許容量の範囲で、機能拡張を行う。

 ■――――――神意遮断、解析不能≫


勝てない、とキマイラは絶望した。

神意遮断という訳の解らない効果によって大半のステータスが隠蔽されているものの、鉄鎧が人間のようにレベル換算するならば、そのレベルは50台であることは間違いがない。

己のレベルは39。

おおよそ10以上ものレベルの開きがあっては、それはもう戦略だとか、知略だとかいった小細工では覆せない程の力量差だ。

表面を高熱でどろどろに溶かし、各部を失いながらも、鉄鎧は止まりはしない。キマイラは死を覚悟した。

鉄拳、杭の乱打がキマイラへと殺到する。

助けてくれ、とキマイラは懇願しようとした。

しかし打たれる度、顎を砕かれ、腕を折られ、身体の自由を奪われていく。

もう交渉の時間は過ぎていた。対峙したその時からすでに、手遅れなのだ。

さっさと止めを刺せばいいものを、こうして少しずつ身体を破壊していくのは、報復のためか。

振るわれる度に重くなっていく拳には、一打毎に怒りが、怨嗟が込められている。

コレの主人にした仕打ちを考えれば、当然のことかもしれない。

己はコレの逆鱗に触れたのだ。

キマイラには既に、王者の誇りは失われていた。

強者としてあるべき驕りも、慢心も、そして自信も、何もかもを、振り下ろされる鉄槌の下に、叩き折られてしまっていた。

鉄を打つ音がする、鳴り続けている――――――。

さっさと殺して楽にしてくれ。

そうキマイラは懇願したくなった。

生まれて初めて……否、造られて初めて、キマイラは咽び泣いた。砕けた顎と潰れた喉で、泣き叫んだ。

だが、もう遅い。遅いのだ。

キマイラにとって地獄とも思える苦痛の時間は、未だ続く。


『Ignition、Ignition、Ignition、Ignition、Ignition、Ignition――――――』


鉄鎧は止まらない。

キマイラはもう、苦痛から解放されることだけを望んでいた。


『IgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnition

 IgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnitionIgnition――――――』


繰り出される拳、拳、拳――――――拳の弾幕。

それは、鉄拳による破壊の嵐だった。

無数の拳が残像を伴いながら、容赦なくキマイラの身体へと撃ち込まれていく。

空中でキマイラはその体構成を少しずつ、少しずつ小さく圧縮されていった。

延々と続く苦痛の中。

キマイラは己の半生を後悔していた。

王者となる以前、弱き者であった頃より、ステータス盗視に頼っては獲物を選んでいた。思えば、強者と戦ったことなど、なかったのではないか。

獲物が着込んでいたただの殻かと思ってみれば、コレは己をも超える化物だった。

己はそれを解き放ってしまったのだ。

あの人間こそがこいつの首輪、最後のリミッターを担っていたのだ。

自業自得、地雷を踏んだということか。

弱者としか対峙してこなかったために、“恐れ”を知らず、ここまで来てしまったのだ。

何という不幸だろうか。そのつけは今こうして支払われている。

これまでに自分が獲物にしてきたのと同じ、圧倒的力を叩きつけられ続けることで。

この訳の解らぬ、化物に。

キマイラは――――――様々な魔物を継ぎ接ぎして産まれた、“正体が失われた魔物”は、他の何よりも、正体の解らぬものを恐れていたのである。

苦痛をより長引かせんとする絶妙な手加減。キマイラは死にたいと思っても死ねず、唯々、己の命が終わる時を待った。



□ ■ □



『――――――基本性能向上、装着者への動作還元が3%改善されました。人工筋肉の伸縮を利用した新機能、【高速・自動脱着】を自己拡張しました。高速・自動脱着機能使用。今後、当機能使用の際は、登録音声及び登録動作にて入力を受け付けます』


「う――――――あ?」


奈落の底へと引きずり落とされるように、意識が覚醒した。

何だか懐かしい夢を見ていたような気がして、胸が締め付けられる。

出来ればずっと夢の中をたゆたっていたかった。

胸の痛みに、ナナシはたまらずに呻く。


「ぐ、うげぇぇ……っ」


どうやら胸の痛みは幻痛ではなかったようだ。

折れたホースの中に溜まった水が、流れが正常になったおかげで一気に吹き出したかのような。そんな風に勢いよく、ナナシは血を吐き出した。

よくもまあこれほど溜め込んだものだ、と呆れるほどに、げえげえと吐き散らしてから、ようやっとナナシは思い出した。

自分がなぜ、こんなにも傷つき倒れていたのか。

それは、敗北したためだということを。


「そ、うだ……みんな、は……!」


鈍痛を訴える首を押さえ体を起こせば、そこには意識を失う前に見たものと同じ光景が。

食い散らかされた生徒達。腕をもがれたクリブス。壁に貼り付けにされたアルマ。

そして、ぐったりと横たわる鈍色。

奇跡的に生き残った兜のカメラ機能をズームにして焦点を合わせれば、片側だけのバイザー下には、放り出された鈍色の下腹部が大きく映し出される。

しかし鈍色の無毛のソコは綺麗なまま。何の体液も付着してはいなかった。

無情だが、正直なところを言うとナナシは、鈍色が女性として無事であったことに違和感を感じた。

果たしてあの化け物が、目の前のごちそうを前にして自制が利くものかと、そう思っていたからだ。

ナナシの悲愴な想像では、鈍色は“散らされて”いて当然であったのだ。

しかし、そうにはならなかった。

では、キマイラは一体どうしたというのだ。

周囲を警戒しても、仲間達以外の何の気配も感じられない。

目に入るのは、鈍色の近くに転がっている、この肉の塊だけ。


「まさか、これがあの化物……なのか?」


現実感の無さに、ナナシはつい声を上げた。

かろうじてこの肉塊がキマイラだと解かったのは、蛇の鬣や鱗の残骸が残っていたから。

気がつけばキマイラがひき肉になっていたなどと、鎧の重さを肩に感じなければ、都合のいい夢だと思ってしまっていたことだろう。

右手の手甲が真赤に染まっていることにも、困惑するしかない。

機関鎧は剥ぎ取られたのではなかったか。だめだ。気を失う直前のことが思い出せない。ナナシは頭を振る。首がみしりと音を立てて鳴った。

現状から見てキマイラを仕留めたのは自分、なのだろうか。さっぱりと記憶がない。

やられて、夢現の中、秘められし力でも覚醒したというのだろうか。馬鹿馬鹿しい。

だが、あの肉塊のいたる箇所に見えるのは、殴打の痕。

忘れるわけもない。

この手が刻む、拳の打突痕だ。

一体この身に何が起きたのか。考えても解らぬ。覚えもない。

頭が重い。首が痛い。意識に霞が掛かっている。


「くそ……ッ、頭がぐらぐらする……!」


探索は終わったとし、早々に立ち去るべきだ。生きているだけで幸運だった。もはやこれ以上ここに残る意味はない。

考えるよりもまず、離脱を。そして皆に治療を。

頭を振りつつ、兜内の排出されなかった血でむせ返りながら、ナナシはアルマたちの元へ近づいた。


「よかった……! まだ息がある! もうちょっとの辛抱だ、直ぐにここから出してやるからな」


クリブスは腕部切断と負傷は大きいものの、出血の度合いは軽く、命に別状はないように見えた。恐らくは、身体強化魔術を使用していたからだろう。

問題なのはアルマの方だ。

出血が酷く、針の幾つかが重要な臓器を傷つけているのは想像できた。

鈍色もどんな毒を受けたのか解からない。

自分だって大怪我をしている、はずだ。

全員が全員とも、即座に治療が必要だった。

ナナシは体中から発せられる激痛に歯を食いしばりながら、アルマを壁から引き剥がした。

引き抜けない針は切断するようにして、回復薬を振り掛けながら更なる出血を防いでいく。

そうしてアルマを壁から下ろして背負うと、肩にはクリブスを担ぎ、脇には鈍色とクリブスの腕を抱えて、ナナシは『ポータル』にまで辿り着いた。どうやらキマイラが陣取っていたこのフロアは、最深部であったらしい。キマイラを倒したため、ポータルが起動したのだ。

ポータルとは迷宮内の要所に設置された地上入口とを結ぶ装置だ。天然の迷宮には決してみられないこの装置は、学園迷宮の名物のようなもの。学園が管理する迷宮には、この高価な転移装置が設置されている。

魔法陣上に鈍色達を横たえて、空いた手でポータルのパネルを操作すれば、青色の輝きを放ち転送魔方陣が展開。魔法陣を包み込む卵状に魔力光は展開し、周囲の空間が“あやふや”なものへと変わっていく。魔力をエネルギーとした空間湾曲が開始されたのである。

鈍色達の体が一瞬淡く輝き、光の粒子となって消えて行く。外へと転送されたのである。

ナナシは皆を見送った後、踵を返して来た道を引き返していく。

自分はこのポータルを使えない。道中安全の神の加護を、機械技術で入り口まで繋げるのがポータルの仕組みであるらしい。

だから自分には、使えないのだ。行く道も、帰る道も、徒歩で往かねばならない。

ナナシが冒険者を目指すのならば、真なる意味で迷宮を踏破することを求められる。

常ならば皆がいた。だが今は。


『当迷宮に生息する魔物の徘徊パターンから、帰還ルートを割り出します』


「……そうか。そうだな、お前が居てくれるよな」


ナナシの不安に応えるように、片側にのみ残ったモニタへと、ノイズの奔るマップが表示される。


「ありがとう、ツェリスカ」


『……私の全機能はあなたのためにあります。御武運を、マイ・マスター』


その言葉の中にどれだけの異常性が含まれているのかを知らず。

フロアから立ち去る前、ナナシはキマイラの死骸に数瞬だけ視線を寄こし、瞑目した。

冒険者は倒れた仲間を振り返ってはいけない。返り見てもいいのは、ただ倒した敵のみなのだ。

キマイラの哀れな姿。

それだけが確かな記憶の映像であった。

単騎で迷宮を一昼夜掛けて駆け上がることを強いられたナナシは、極度の緊張と集中状態にあり、その後のことをよく覚えてはいない。

気付けば、ナナシの視界は陽の光に包まれていた。

しばらくして瞼に感じる、魔力光ではない暖かな光に目を開ければ、そこは迷宮の入り口だった。

ナナシは無事に迷宮より帰還したのである。

外の空気のほうが違和感を感じる程、もうずっと、何年も迷宮に潜っていたかのような錯覚を覚える。

ナナシの姿を認め、教師達が駆け寄ってくるのが見えた。


「みんなは、俺の仲間は無事ですか?」


教師の一人にすがりついた後、ナナシは再び意識を失った。

体力の限界はとうに超えていて、精神力だけで持たせていた。緊張の糸が切れたのだ。

ナナシが崩れ落ちると同時に、鎧がその役目を終えたかのように、ばらばらと砕け、地に落ちた。

鋼の指を二の腕に食い込ませた教師は、労わるようにして、得難い宝物をそうっと扱うようにして、崩壊していくナナシの全身を抱きすくめた。

よくできました、とナナシ達の担任の女教師は、その豊かな胸の中でナナシを眠らせ、滲む涙を拭った。


「冒険者科クリブス班、迷宮探索完了です。おつかれ様でした。ゆっくり、休んでくださいねー……」



□ ■ □



影が“ぬるり”と蠢いている。

波打つ影から這い出るように現れた人影が、一つあった。

それは奇妙な出で立ちをしていて、煤けたソフト帽に皺が寄ったスーツ、ほつれたコートを羽織っていて、まるで一昔前のくたびれたサラリーマンのような姿をしていた。

人影の足取りは軽く、嬉しくてたまらないといった風に、今にもスキップを始めそうなほど浮かれていた。


「ふうむ。これはこれは。あの方は中々に面白い方向へと進化しているみたいですねえ。いやはや、いやはや。面白い。クァッカッカッカッカ」


くちゅりくちゅりと、キマイラの肉片をわざわざ踏みつけながら、人影はフロアを散策する。


「進化せり……神化せり……ああ、素晴らしい。是非ともこれからも血を吐きながら、人の域を超えていって欲しいものですねえ!」


目当てのものを見つけたのか、人影の足が止まる。

屈んでひょいと持ち上げたのは、何かの欠片だった。

キマイラの、角だ。


「しかしまあ、普段偉そうな口を利いている割に、作ったものは大した事ありませんでしたねえ。“ガワ”の方に敗れるとは。

 クク、しかし途中で彼の首を折ってくれた時はひやりとしましたが、データを採ることが出来たのだから、あれはあれで良かったのかもしれませんねえ」


人影はガリ、と拾い上げた角を口に含み噛み砕いた。

愉悦に口角を弧に吊り上げながら。


「それではそれでは、またお会い致しましよう、我らが神よ。神へと為る人よ! まだまだ死なないでくださいよ?

 “またどこかのどなたか”を喚ばなくてはいけなくなりますからねえ! クァッカッカッカッカ、クククカカカカカカカカ!」


嘲笑を残し、人影は消えた。

笑い声だけが木霊する。

残された影だけが、“ぬるり”と蠢いていた。

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