入り口
【装鋼士】
機関鎧を装備した者を指す。
装鋼士とは、元々は医療補助具を戦闘流用する冒険者を揶揄した造語である。
近年となり、装鋼士であった偉人達の活躍により、元来とは真逆の意味として用いられている。
機関鎧の多様化とその装備箇所により、多種様々な戦闘職へと派生する装鋼士は、一種を除きその全てが公的に認められている。
著名な装鋼士:武神アウレイア、堕天使オレイシス、他
補説:禁忌=完全装鋼士
□ ■ □
お前は何だ、と問われたらしい。
その時はまだ言葉も知らず、老人が何を言っているのかも理解出来ずに、ただ唖然として自分を喰おうと群がっていた小鬼の化け物――――――ゴブリンの、食欲に喘ぐ鳴き声に身を震わせるだけだった。
破れたコンビニのビニール袋が手の中に残っている。恐怖に強張って指が離せなくなっていた。
下半身がべちゃべちゃに濡れているのは、コンビニで買ったおでんの汁が掛かったからではないだろう。下の感覚がまるでない。壊れた蛇口のように垂れ流れている。
血みどろになって転がる自分に、老人は奇怪な物を見るかのような視線を注いでいた。
その視線は刀剣のように鋭い。
老人が再び何をかを呟いた。
目を凝らすようにして細めて、こちらを確かめているようだった。何と言われているのかは解らない。だが、問われている。その声に含まれる意味は、正確に理解した。
誰だ、ではなく、何だ、と問われ、答えようがあろうものか。だが、そんな当然のことを意図したものではない。もっと異質なものを、その本質を探るかのような目。
答えなどない。その問いかけに答えることは出来ない。
代わりに、意味を為さない言葉がおうおうと喉からせり上がる。
死にかけた魚のように、涙と鼻水に塗れて、間抜けに口をぱくぱくと開閉している自分の姿をしばらく見て、老人はふと、その視線から圧力を消した。
老人の口外が持ち上がる。獰猛な角度へと。視線は前へと向けられていた。ゴブリンたちがぐうっと息を呑み、踵を後ろへと下げる。気迫だけで、化け物共を退かせたのだ。
答えられないか、と、そう言ったのだろう。言って、老人は笑っていた。それでいいのだと。
老人の顔は今にも飛び掛らんとしている猛獣のようで、ゴブリンに取り囲まれていることを忘れる程に、心の底から恐ろしかった。だが、とても愉快そうな、嬉しそうな笑みだった。その笑みは歓喜に溢れていた。
ようやく見つけた。笑う老人の、大きな拳が、堅く、硬く、握り締められていく。
煤に汚れた腕。白髪の老人に似合わぬ、異常に発達した筋肉。その老人の肉体は、鋼の如く打ち鍛えられていた。
生まれてこのかた、喧嘩などしたこともない。人を殴りたいと思いこそすれ、実際に手を振り上げるなど、あったこともなかった。
老人が示したもの。それは生まれて初めて目にした、暴力の形だった。
誰でもない者、お前は――――――。
この時老人が何と言ったのか。
ずっと思いだせずにいる。
□ ■ □
ホームルームの始まる五分前には、クラスの皆は席に着いていた。
皆、固唾を飲んで、授業開始の鐘の音を待つ。
長期休暇明けの教室には、生徒不在の席がちらほらとある。
席の上には、申し訳程度の装飾がされた勲章がぽつりと置かれていた。
それの意味する所は、もうこの席に着くべき生徒は、どこにも居ないということ。
この世の、どこにも。
魔術で拡大された鐘の音が、学園中に響き渡った。
「はーい、皆さーん。明日は待ちに待った遠足ですねー」
鐘の音と共に教室へと現れたのは、眼鏡を掛けた女教師である。
女教師は授業開始を告げるよりも早く、明日の予定を口にする。
「はーい!」と、元気よくクラスの大半が返答した。
「喧嘩して魔法を撃ってはいけませんよー。使うのならナイフにしてくださいねー。一般人に死傷者を出した子は反省文十枚ですよー」
指を立てて、一つずつ確認をしていく女教師。
「はーい!」と再び明るい返答が。
「生きて帰ってくるまでが遠足ですよー。いいですねー」
「うおおおお――――――!」と、教室を揺らす程の歓声が上がる。
その歓声の最中で、一人の青年が静かに頭を抱えていた。
毎年これである。
もはや五年目。このノリに付き合うのも、今年を含めてあと二年の辛抱だと、そうは解ってはいるものの中々に耐えられるものではない。
女教師が説明を続ける。
「さー、毎年恒例の説明会をしますよー。
まずはここ、カスキア大陸各国に点在する、公的教育機関――――――『学園』は、皆さんに国家冒険者資格を授与するために存在します。
国家探索者資格を得るためには、国によって定められた教育機関にて六年間の長期教育を受けねばなりません。それも、ただ学べばいいという訳ではありませんねー」
青年は説明を聞きながら、一層肩を落とした。
この学園から何度も逃げ出したくなったが、だがその度に踏み留まってきた。
「そう、国家冒険者を目指す皆さんは、六年間ちゃあんとお勉強をしてー、そして毎年規定数以上の『迷宮』探索をして、結果を出して頂かないといけません。それが資格授与の規定なんですねー」
冶金術科、錬金術科、商業科、魔術科――――――。学園では様々な教育カリキュラムが実施されており、見事六年間のカリキュラムを消化し切った者には、対応した国家資格が与えられることとなっている。
学園を卒業した者のみが、国家公務員としての資格を得られるのだ。
教育者を揃えることや大規模な設備を設けること等、各々の学園の持つ機能は多々あるが、共通するものを一つ挙げるとしたらこれだろう。
管轄内に、迷宮が存在すること。その自由探索権。
規模は異なれど、数多く存在する学園の説明は、これに尽きる。
「我々ヴァンダリア学園の教師陣は、皆さんが無事にこの学園を卒業することを望んでいます。皆さん、ちゃあんと冒険者のしおりを呼んで、万全の体勢で遠足に備えましょうねー」
でないと、すぐに死んでしまいますから。
そう言って、悲しそうに女教師は生徒のいない空席に視線を落とした。
女教師は涙をこぼすこともなく、そして、少しだけ影を帯びた笑みを絶やすこともなく、しばらくの間黙祷を捧げていた。
空席は明日にでも片付けられる。そこに座っていた生徒の面影を見ているのだろう。
勝手に生きて、適当に死ぬのが冒険者の運命であると、この場にいる生徒達は皆、知っている。
青年達は、国立学園の一つに数えられる『ヴァンダリア学園』に在籍する、探索科の生徒であった。
すなわち――――――冒険者である。
他の学科であれば、それらの特徴に則した研究成果を提出するのみでよい。だが、探索科は冒険者を目指す科である。よって、迷宮探索をすることは、義務付けられているのだ。
いつか大成することを夢見て、今日も今日とて生徒達は、名声を、誉れを、栄光を、金を、あるいは力を得るために、自らの命を掛け迷宮に潜る。
それは誰にも止められないことだ。
長期休暇明けには、必ず探索科の生徒の総数が減少している理由。冒険者を志す者、彼らに教育を施す者であるならば、言わずもがなである。
迷宮に潜って死んだのだ。
皆、それを理解していた。
だから悲しみこそすれ、心を折ることはない。膝を着くことはないのだ。
ない、はずなのだが。
青年の眼の前の席で、おっさんと幼児とが、真剣に飴玉の取り合いをしていた。
親子ほども年が離れているこの二人、もちろん血が繋がっている訳ではない。
二人とも青年と同じく、探索科の生徒である。
六年という時間の長さは、世の若人達には耐え難い苦痛であるらしい。
支援と同時に果たさなければならなくなる義務の発生、つまりは発見物の徴収を考えると、一攫千金を夢見る若年層のほとんどが、フリーランスの冒険者になっていくのは当然のことであった。
結果として、学園に入学してくる者は、青年のように社会的後ろ盾の無い者や、逆に貴族層や名家の出といった将来的に国に尽くさねばならない社会的責任を負った子供、あるいは全盛期を越えたために安定を求めた老冒険者だけとなる。
老若男女、生徒間の年齢が一定していない理由はそこにあった。
しかし冒険者にとり、年齢によるパワーバランスは、あってないようなものである。
幼児に殴られ飴を奪われたおっさんが、涙目になって指をくわえ、うらめしそうにしていた。
大人達と過ごした子供は早くに大人へと成っていくものだが、保護者としての立場も与えられず子どもと同等の存在として扱われる大人は、子供に還っていくらしい。
恐ろしい現象だった。
「ああはなりたくないなあ……」
絶望感を貼りつけた顔で、鬱蒼と青年は呟く。
隣席に座る少女が心配そうに顔を覗き込んで来たが、今の青年には対応するだけの気力はない。
明日は遠足だからだ。教師曰く、待ちに待った。それは死の恐怖的な意味でということだろうか。絞首刑の階段を一段ずつ上って行く心境だ。恐怖を煽るくらいなら、いっそ一思いにトドメを指してほしかった。
いや、諦めているわけではないのだが。
「午後の授業は自由参加としますねー。英気を養うもよし、道具を揃えるもよし、このまま授業を受けるもよし。悔いを残さず、遠足……春の迷宮探索に挑むようにー」
毎年数十人以上の死傷者を出す、春の遠足――――――迷宮探索。
その事実を、このクラスの問題児達が深く考えているわけもなく。
青年にはきゃいきゃいと騒ぐ級友を、諦観の目で眺めるしか出来なかった。
命の危機を目前にあれだけ無邪気に騒げるのは、彼等が生まれついての冒険者であるからだろうか。
自らと仲間の命を天秤にかけてまで、望むもの全てを手に入れんとする熱狂。
きっとそれは、この世界で生まれついた者にしか理解できないことなのだろう。
であるならば、それは自分には全く理解の出来ないものだ。
果たして冒険者稼業を続けたとして、無力である自分は生き残れるのだろうか。
もう何年もここで暮らしているというのに、未だにプレッシャーに圧し潰されそうになる性根の弱さに辟易とする。
「くぅーん?」
隣席の少女が、抱え込まれた青年の顔を下から覗き込む。
ふんふんと鼻を鳴らしながら近づくその様は、まるで本当に犬のよう。
飼い主の機嫌を窺うようなそんな仕草が、実家でよく見ていたネット動画の、人間によく懐いた犬のそれを思い起こさせる。
狂おしい懐郷の念を押し殺すように、青年は少女の頭に手をやり、苦笑を浮かべた。
「ああ、いや、大丈夫だよ。ちょっと心配になっただけ」
「……くぅん」
「大丈夫だって。心配しなくても、明日はヘマなんかしないさ。なんだ、俺が信じられないか?」
「わんっ!」
「よし、いい返事だ」
現実逃避のために、少女の“頭に生えた犬耳”の、耳と耳の谷間をわしわしと掻き撫でる。
そう、犬耳である。
少女は純粋な人間ではなかった。
見れば、クラスの中にもちらほらと人とはかけ離れた姿を持った面々が在籍している。
ある者は背から羽を生やし、またある者は額から角を生やしている。極めつけは、水の入った金魚鉢を逆さに被り、エラ呼吸をしている魚頭。
つまりは、亜人種である。
少女もまた亜人種の一人。狼人族に数えられる者であった。
正にファンタジーだ、と数年前までは見たことも無かった光景を前にして、青年は呟いた。
だが、ここに来てもう七年目。
眼前で羽を羽ばたかされても動じないくらいの度胸は付いた、と自負している。
赤だの青だのと、目にまるで優しくない原色の頭髪に驚くこともない。
流石にもう慣れたのだ。
「何ていうか、慣れてしまった自分が悲しい」
「わふん……」
「だから心配しなくていいって。前向いてな」
「わん」
そのまま少女の頭を掴み、ぐいと前を向かせる。
ぞんざいに扱われているというのに、少女は眼を細めて嬉しそうにしていた。
スカート下から飛び出した尻尾が、ぶんぶんと力いっぱい左右に振られている。
「はいはーい、みなさん私語が大きいですよー。静かにしてくださいねー」
さすがに騒ぎ声が大きすぎたのか、おっとりとした女教師が間延びした声で注意する。
しかし問題児ばかりがそろったこのクラス。
喧騒が消えるわけもない。
「もー、言うこと聞いてくれないと先生怒っちゃいますよー?」
ぷんぷん、と擬音を口に出しながら両手を挙げる教師。
傍からみれば問題児相手に四苦八苦する新米教師だが、その両手の間に閃光が集っていくのが異様に恐怖を煽る。
この時点で賢い生徒は口を閉じた。
青年と犬耳の少女もその一人である。
「むー……えくさふれあー!」
教師が両手を床に下ろすと同時、教室に熱風が吹き荒れる。
魔術である。
炎熱系の高等魔術を、この女教師は放ったのだ。
流石は国立学園で若くして教鞭を振るっていることはあり、無詠唱で放たれた魔術は、しかし凄まじい威力を誇っていた。
魔術防御の処理がされた教室は、その余波を外に漏らすことはない。熱気が充満し非常に危険である。魔導力学を受講している生徒達が協力して、覚えたての高位氷雪呪文で室内の冷却を始めた。
良く訓練された動きであった。
皆、慣れている。
「うわ……」
「きゅーん……」
犬耳の少女の咆哮で熱波を打ち消し、難を逃れた青年は、避難が遅れ憐れ犠牲となってしまった魚人種の生徒に眼を向ける。
炎熱系高等魔術の熱風を受け、ふっくらとした蒸し焼きになってしまった魚くん。ぎょぎょぎょっ、という彼の甲高い悲鳴が耳に残っている。
何ともいえない香りが教室に充満していく。
誰かが生唾をごくりと飲む音がした。
「しばらく魚は食えないな……」
「わふん……」
「あれー、貧血ですかー? 仕方ないですねー。鉄分が足りないからですよー。お魚を食べなさい、お魚をー。誰かー、蘇生呪文かけた後に保健室に運んであげてくださいねー」
お湯をかけたら三分で元通り、とでも言うようにあっけらかんと言い放つ女教師。周りも大抵が同じ反応だった。学園では、人死になど珍しくもなんともないのである。
だが流石は教師である。驚くことに魚くんは死んではいなかったらしい。生かさず殺さず、絶妙な手加減だった。
一連の光景を見ていた生徒達は震えあがり、水を打ったように皆黙り込む。
蘇生魔術といっても、致死状態から蘇らせる効果があるわけではない。
その効能の真髄は、死に向かい消えゆく命の生命力を活性化させる所にあり、死者蘇生ではないのだ。
自動体外式除細動器――――――AEDをイメージしたら解り易いだろうか。
早い話が、強力な電気ショックによる魔術的心臓マッサージだ。
ともあれ、間延びした教師の「うっかり」で殺されてしまっては、たまったものではない。
死を恐れていないだとか何だと言っても、皆命は惜しいのである。
「うるさい子は教育的指導しちゃいますよー。質問がある子は手を上げてくださいねー」
誰の口からも声が発せられることはなく、皆顔を青くして、静かに席へと戻っていく。
あの女教師のおっとりとした笑顔が、凶悪なものに見えて仕方がなかった。犬耳の少女も、耳をぺたんと伏せ、尻尾を股の間に挟んでしまっている。
何も質問はありませんか、という女教師の声に、青年は溜息を吐きながら手を挙げた。
女教師は恐ろしいが、事が命に関わる問題だ。
これだけは、聞かずにはいられない。
「はーい、ナナシ君。なんですかー?」
「はい、先生――――――」
名を呼ばれ、青年は立ち上がる。
そして遠足における最も重要な事項を確認するために、ゆっくりと口を開いた。
「回復薬はおやつにふくまれますか?」
真横で犬耳の少女が、わふんと呆れたように鼻を鳴らしたのが聞こえた。