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それでは、といった様式で、私たちは打ち合わせをした。とは言え、もちろん私とアヤコさんが共に歩いてタマキチ君を捜し回るわけではない。別々に、それぞれ歩いて探し回ろう、ということになったのである。
幸いにして、私は彼女の自宅近隣の地図を持っていた。机の上に地図を広げ、彼女の自宅に赤のサインペンでぽつりと点をおく。
「随分と遠い所からから通っているんだね」
私はアヤコさんにそう問うた。彼女が指定したのは、大学からたっぷり1時間半はかかりそうな住宅街の真ん中だった。私の家から大学挟んでちょうど反対側にある。実際面倒なことを引き受けてしまったと思いながらも、まあ良いか、と考えを改めた.実行するかどうかは、この際考え無くて良いのだから。
「恥ずかしながら、毎日電車でもまれています」
彼女はそう答えた。
私は机の抽斗からコンパスを取り出すと、赤い点を中心にぐるりと円を描いた。地図の縮尺はそれほど大きな物ではないので、円の直径はせいぜい10センチ。実際は2キロメートルといったところだ。猫の行動半径は、決して広い物ではない。
縮尺2万分の1という、もはや骨董品と言って良いレベルの(2万分の1地図が編纂されたのは、大正時代が最後だ)奇妙な地図をしまうと、わたしは締めの一言を彼女に告げた。
「それでは、時間を見てこの範囲を私も回っておくことにしよう。それでどうかね」
私がそう言うと、アヤコさんは申し訳なさそうに頭を下げて、
「ありがとうございます」
と答えた。これでこの話も終わりかと、私は椅子に戻り、帰り支度を始めようとしたが、アヤコさんは一向にその場を動く気配がない。これはどういうことかと私が顔を上げると、
「すみません関根先生、これをどうぞ」
と差し出されたのは、A4用紙の隅をステープラーで留めた束。今期の民俗学概論の課題であるレポートであった。
「これは?」
と私が問うと、
「いえ、最近色々と忙しくて、期日までに提出が出来なかったんです」
あくまで申し訳なさそうに彼女は答える。
さて、アヤコさんの態度をきちんと観察して、レポートの可否を決定しようとも考えたが、私は彼女にさもありなん、と頷いて見せた。自分が関係する、というよりも証人たり得る事件に巻き込まれたのだ。そろそろ時間は6時を回ろうかという頃。取りあえず受け取って、彼女には帰宅してもらうことにした。
「分かった。それでは、受け取っておこう。今日はもう遅い、先に帰り給え」
「ありがとうございます」
そうしてアヤコさんはそそくさと部屋を出て行った。
私はふっ、と息を吐いて、それでは帰宅する前にレポートの採点を済ましてしまおう、と抽斗から“可”の裁定を下したレポートを取り出して机の上に置く。彩子さんのレポートは――遂に正式な表記が判明したわけだが、レポートの表紙には坂井彩子と書かれている――A4三枚。ぱらぱらと軽く目を通して、それから一気に精読する。内容としては、特に凝ったところも独自の着眼点もない、平均的なレポートであった。
パソコンを休止状態から起動して、ウェブブラウザを立ち上げる。学務のネットワークに接続する。他に受け取ったレポートの採点は既に済ませている。今日レポートを受け取ったのは全部で8人。うち点数を考慮することにしたのは彩子さんを入れて3人。抽斗からレポートを取り出して一度氏名を確認する。
マウスのホイールをロールさせて、受講している学生のリストからレポートを受け取った生徒の氏名を探す。五十音順のリストから一人、二人と見つけて点数を入力したが、さて三人目が見つからない。たっぷり十分は掛けて上から下まで目を通したのだが。
坂井彩子、という名前は、リストには存在しなかった。




