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関根教授の事件簿  作者: 黄印一郎
猫を被る
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 ――なんだかんだと理屈を付けては来たが、私は妻のある身であり、いかに魅力的な女性からの誘いであっても、涙を呑んで辞退せねばならない時が確かにあるのである、というのもまた理屈であって、感覚で言えばまさしく女性からの誘いには乗らざるを得ないとすら思うものの、それが私にとってどのような意味を持つのかなどと言う深遠な話題は、正直私自身にとってもその意味を完全に解するところではなく、全体の理解を推し進める上で必要な部分については、更なる研究を要すると考えられる――


 アヤコさんからのお誘いの文句を受けて私の頭の中でうろうろとしたのは、実にこのようなあまり意味を為さない――というよりも全く意味のない――思考の羅列だったわけだが、だからといってそのまま彼女を見据えて固まっているわけにもいかなかった。私は取る物も取りあえず、口を開いた。


「ええと、誘い、というのはつまり、私と何か会食でもしようと言うのかね」


 さて、言ってから後悔したのは、私である。あまり丁寧でない、というよりも、非常に口汚い表現であるが、『吐いた唾飲まんとけよ』というのがまさしくその日、帰宅後に私が見た映画の台詞だったわけで、一度言った事は取り消せないのである。私はうかつにも、彼女が口を開けて待ち構えている中に、まんまと(というよりも自分から)飛び込んでしまったのであった。


 であるからして当然、彼女が、


「いえ、そういうわけではないんです」


と言ったからとて、安堵こそすれ残念などではないのだ。無いったらないのである。


 さて、アヤコさんはどことなく居心地悪そうにしながら私を見ているのを、私の方はと言うと、当然(、、)安堵しながら見ていたわけだが、彼女が私を見る目に段々と胡散臭げかつ疑わしげなものが混じってきたので、ゴホン、と咳払いして威厳を取り戻した。


「では、取りあえずどういう形でその“お礼”をするのか、決めていない、ということで良いのかな」私はアヤコさんに訊いた。アヤコさんはようやく着地点を見つけて、


「はい、実はそうなんです」


と言いつつ頷いた。さて、特に何かして貰いたいことがあるわけでなし、その上年齢においても社会的立場においても、私が彼女から金銭を要することで何かして貰うというのは今ひとつ収まりが悪い。では何が適当かと考えてみるにしても、私がアヤコさんに関して持っている情報の実に少ないこと。私がアヤコさんについて知っているのは、最近痴漢を捕まえたこと、私の講義を受講していること、加えて、猫を飼っていること……


 とここまで来て、私は閃いた。ただ手間がかかるばかりでそれほど金銭的な負担が発生し得ないことを“お礼”にしてしまえば、彼女も私も納得ずく、という形式を、後腐れなく保つことが出来る。何らかのお礼をして貰うとして、その日時を今、はっきりと決めさえしなければ、その実行に伴う煩雑さから、いずれ有耶無耶うやむやになって無かった事になるのではないか。自分の慧眼にしきりに感心しながら、私は彼女に言った。


「君は、確か猫を飼っていたね」


「はい、そうですが……どうしてご存じなのですか」


「君が渡した連絡先は、猫探しのチラシだったじゃないか」


「ああ……すみません」アヤコさんは顔を赤くして俯いてしまった。


「気にしなくて良いよ。で、だ。実は、私の家内は大層猫好きなのだが」私が心の中で洋子さんの方を向いて頭を下げたのは、誰にも悟られておるまい。「君の猫を見つけたら、一度家に連れてきてくれないか。家内に見せてやりたいんだ」


「ええと、その……」


「なに、君の猫がいま行方不明なのは、私も分かっている。なればこそ、私にも猫探しを手伝わせてくれないか」


「そんな、そこまでして頂くわけにはまいりません!」


「私をそこらのロートルと一緒くたにして貰っては困るよ。これでも、毎週のようにフィールドワークに出ているのだから、体力には自信がある。何より、家内は猫好きで、私も頻繁に猫の世話をしている。猫探しをするには、これ以上ない人材だと思うのだが」


 やっとこさ見つけた落とし処なのだ。これ以上このことに頭を悩ませたくはない私が畳み掛けると、アヤコさんは渋々ながらも頷いた。


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