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関根教授の事件簿  作者: 黄印一郎
馬が”合わない”
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06


06


 バスに揺られながら窓の外を眺めていると、何故か心の中で郷愁がわき起こる。町中を歩く通行人。商店に掲げられた看板。バスを追い抜いて飛び去る鳥たち。一つ一つを、思わず目で追ってしまう。


初めてバスに乗った時のような、懐かしい気持ち。子供の頃、テレビに齧り付くようにして聞いていた、当時流行ったバラードソングが、5.1chを越えるリアルなサラウンドを伴って頭の中で流れる。


俺の実家は家から電車で二十分の所にあるし、実家のテレビはモノラル音声だったけれど。


 そしてそんな俺はバスの窓から外の光景を、やはり齧り付くようにして見ている。


 どうして俺がずっと窓の外を眺めているのか。それは俺が、バスに乗り込んでもなお和やかに話しをしているご夫婦から目を逸らしているからだ。


 二度あることは三度ある、と言うぐらいだから、駅で降りたご夫婦が俺と同じバス停に並んだからとて、別段驚きはしなかった。そしてやはり同じ路線に乗ったからとて、驚くには値しない。事実は小説より奇なり、とは言うけれど、そういう時に引き合いに出される小説は、大抵遭遇した事実よりも印象の弱い物に限定されている。


 じゃあ、印象の強い物はどうなのか? 結局印象なんて物は鮮度が命だ。半年前の“アクション超大作”、なんて、一晩放置された青魚みたいなもので、料理番組で、『はい、これが昨日キッチンに出しておいた鯖です』なんてこと言うわけがない。どんなに衝撃的な内容の小説も、丁度その時、それも目の前で起きた事実のインパクトには敵わない。


 では事実とは何なのか。事実とは、俺自身が見聞きした事だ。俺自身が見聞きしたことは、俺自身が認識したことだ。それは、俺の主観によって左右される。そして俺の主観は、ハイジャックやら爆破テロやらが起きたからとて別段目新しさを感じないぐらいにはスレている。


 極限状態でも冷静でいられるかどうかがいざというときの命の有無を分ける、なんて言いもするから、さぞかし便利なもんだろう、なんて思う人もいるかもしれないけれど、そういう主観はキャバクラ慣れした独身貴族の上司ぐらい俺にはいただけない。慣れてる人は良いけれど、俺の方は酒の味もろくに分からない程緊張したまま引きずり回された上、夜遅く帰宅することになって妻からは妙な勘ぐりをされてしまう。


慣れてない人間の気持ちが分からなくなっているのだ。そして俺は、キャバ嬢と話すのには動揺しなくても、初心な素人には声も掛けられないその上司ぐらいにはちょっとした刺激に弱い。


 命の危機を伴う張りつめた感覚には慣れきってしまっていても、頭の隅で長く尾を引く偏頭痛の様な緊張感に俺は慣れていない。誰だってそんな物には慣れていない、と言われてしまうかもしれないが、俺の場合は人一倍だと思う。奇異な体験、というやつにはごまんと心当りがあるのに比べて、危機感の薄い、じわじわと締め付けて来るような、ごく普通の緊張にさらされた経験は密度が薄い、とも言える。小説よりも奇異な事実に慣れている俺は、小説よりも陳腐な事実には弱いのだ。


 もちろんご夫婦はそんな俺の奇妙な緊張には全く気が付かず、ただ話をし続ける。そして俺の目指す停留所が近付いて来た時、交差点の赤信号で止まったバスの中、ご夫婦のご夫人の方、和服を着た女性が、つい、と手を伸ばして窓際に据え付けられたボタンを押したとて、何も不思議には思わなかった。二度ある事は三度ある、と言うぐらいだから、三度ある事が四度あったとしても別にもう驚きゃしない。


 そして次の停留所へ向けて、バスが走り出そうとする。俺は、心を決めた。何となく見ていない振りをして、目を合わせないのが大人な選択だと分かっては居ても、今の居心地が悪い状況には耐えられない。


俺が被告席の被告人なら、あの夫婦は判事の陰に座った陪審員だ。これ以上、何か隠し立てしているような気分を味わうのはまっぴらだ。もう、思っている事を洗いざらいぶちまけてしまおう。停留所で一緒に降りたご夫婦に話しかけ、ジョークの一つでも、何なら、そのイチャつき具合に嫌味の一つでも言ってやろう。そういうふうに、変な開き直り方をして居たのだけれど。


 バスが、停留所を、素通りした。


 もう少し、細かく話しをしよう。バスが停留所に近付いた時、運転手がアクセルを踏み込んで、停留所が見る間に視界から遠ざかって行った。


 もっと、踏み込んで話そう。交差点で、運転手のすぐ後ろと、前方ドアの手前に座って居た二人の男が立ち上がった。


両替でもするのか、と思って居たら、そいつらはサイドバックから何やら黒光りするゴツくて硬そうな物を取り出して、一つを運転手に、もう一つを俺たちに向けたわけだ。そして、運転手にバスを止めない様に、俺たちにその場を動かない様に、それぞれ命令した。


 ああ、またか。


 俺はやつらに聞こえないように、こっそり溜息を吐いた。


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