表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
関根教授の事件簿  作者: 黄印一郎
猫を被る
2/25

02

02


 頭をガツンと殴られたような衝撃だった。

 私にその一撃をくれた相手は、羞恥(しゅうち)に顔を(ゆが)めながらも、声を張り上げ続ける。

「早く捕まえてください! この人痴漢(ちかん)です!」

 私の左手はその女性によって内回りにひねり上げられ、結果として疼痛(とうつう)が肩まで走る。

 乗客で混み合った車内はざわめき、視線が私に集中する。私と女性の間で好奇(こうき)の視線を向ける者、煩わしそうにすぐに目を逸らす者、嫌悪(けんお)侮蔑(ぶべつ)の視線を向ける者。反応は様々。

 私は彼女の言っていることがすぐには理解できなかった。それでも何とか頭が回り始めた時、とっさに否定の声を上げた。

「違う、私じゃない。私はそんな事はしていない」

 彼女は私の顔を、形の良い眉を歪めた冷たい表情と共に眺め、なぜか口角(こうかく)を持ち上げて尊大(そんだい)に笑った。

「そんな訳がないでしょう。たった今現行犯(げんこうはん)で捕まえたばかりだというのに、白々しい嘘をついたりしないで」

 私は更に加えて抗弁しようとしたが、彼女の冷たい視線に(さら)されると、どうにも言葉が出なくなってしまう。

 それでも、何とか喉の奥から絞り出すように言葉を紡いだ。

「違う……本当にやっていない…私じゃない……」

 小さくなっていく自分の声と同じように、電車の揺れる音がやけに小さく聞こえ、反対に心臓の鼓動が頭の芯まで響く。未来の光景が走馬燈(そうまとう)のように頭の中に浮かぶ。耳聡い学生達はどこからか話を聞きつけ、学内はあっという間に私の噂で持切りになるだろう。去年やっと手に入れた教授の椅子を手放すことになり、私の研究室からはネームプレートが外される。住宅ローンの残りををどうやって支払っていこうか。研究費の使い込みで去年自主退職を勧告された斉藤とは違って、事が明らかなだけに私の場合は懲戒(ちょうかい)免職(めんしょく)の対象となるかもしれない。勤続20年目にして、大学からの年金受給資格も失うことになるかもしれない……

 車内に次の駅が近づいてきた旨のアナウンスが流れ、居もしない娘の留学費用にまで頭を悩ませていた時、苦悩する私に背後から救いの声が投げかけられた。

「アヤコ、その人じゃなくて、こっちの人だと思うんだけど」

 私と女性が同時に振り返った時、そこにいたのはなぜか白衣を着た女性と、私と同じように腕を持ち上げられた(ほう)けた顔の男性。瞬間、彼の顔が歪み、白衣の女性の腕を振り払って逃げだそうとする。


 体から安堵感によっていったん力が抜け、同時に生まれた激しい怒りが、全身に駆け巡った。こいつのせいか。私が人生で最大の生き恥を曝し、あまつさえ今後の人生を左右するような目に遭ったのはこいつのせいか。


 怒りによって凶暴(きょうぼう)なまでの力が沸き上がり、やけに息が上がっているのを感じる。私は、呆然と私の左手を持ち上げ続けていた女性の手を振り払い、行く手を(はば)んだ乗客を突き飛ばそうとしていた犯人に躍りかかった。逃げる犯人の腕に追いすがろうとして手を伸ばしたところで、急にかかった電車のブレーキの為に慣性の法則に従ってバランスを崩し、そのまま倒れ込んでしまう。犯人の足を巻き込んで。


 犯人の下半身に腹からのし掛かるようにして私の体が投げ出され、うつぶせに足掻(あが)く犯人が観念してようやく動きを止めた時、周囲の乗客の喝采(かっさい)と共にドアが開いた。何も知らない車掌(しゃしょう)が、(のう)天気(てんき)な声のアナウンスを流す。


「電車とホームの間隔が開いております。足下にご注意下さい」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ