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関根教授の事件簿  作者: 黄印一郎
猫を被る
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エピローグ

エピローグ


 このようにして今回の事件は解決したのだが、それからしばらく経ってようやく、私は洋子さんと約束した通りに携帯電話の機種変更を行った。とは言えやはり電化製品には明るくない私であるから、近所の電気店に一緒に出かけていって、洋子さんの言うままに書類に記入しただけなのだが。


 私が購入しようとした機種は半年前に発売された物で、店員からはしきりに、キャリアを変更するのなら最新機種にした方が便利だしお得ですよ、と勧められた。


 これを機にこう言った物の知識も深めようと考えた私が店員から懇切丁寧に色々と微に入り犀に穿って説明を受け、ようやっと概要を理解したところによると、確かに店員の言うとおりらしい。らしいのだが、洋子さんの方を見ると彼女は首を横に振ったので、私も丁寧にお断りさせていただいた。


 帰りの道すがら、どうして同じ機種にこだわったのかを洋子さんに訊いたところ、この機種同士で無いと使えない機能があって、それを使ってみたかったのだという。乾杯でグラスを重ねるように、携帯電話同士を軽くぶつけるようにすることで、アドレスが交換できる機能なのだそうだ。


 これまで洋子さんの周りでは、携帯電話の機種になど興味が無いか、あるいはスマートフォンに機種変更をしても機種が違ったりと、この機能を使う機会が無かったのだそうだ。


 私は早速洋子さんからやり方を教わって、アドレスを交換した。こうして私のスマートフォンのアドレス帳へ最初に登録されたのは、洋子さんのアドレスと相成ったのである。


 それではその洋子さんはというと、近頃何やら坂井彩子嬢と仲良くしているようである。彩子さんが我が家に遊びに来て、洋子さんと楽しげに話をしているのを時折見かけるようになった。時折夕食の後に、今日は彩子さんと一緒に出かけたのだと、洋子さんの口から聞くこともある。平日の昼間から夕方にかけての学生が時間を取りやすい頃合いに、待ち合わせして会っているらしい。


 活力にあふれた洋子さんと、年の割に落ち着いた彩子さんは気が合うようで、洋子さんがあれこれと何をした、何を見たと言いながら楽しげな様子であるのは、私としても大変喜ばしく思う。


 一度、ふと、「洋子さんは彩子さんを娘のように可愛がっているのですね」と言ったのだが、「彩子さんはお友達であって娘ではありません。家にはこんなにたくさん子供がいて、みんな大切ですけれど、彩子さんはまた別の意味で大切なのですよ」と(たしな)められた。


 さて私が何と言い訳した物かと困っていると、「もちろん、昭敏さんもまた別の意味で大切な人ですよ」と(ささや)かれ、私が洋子さんに見えぬように緩む頬を懸命に引き締めたのは内緒である。内緒ったら内緒なのである。


 そのようにして私が色々と気に病まされ、終わってみれば何やらまるっと解決した風を見せている坂井彩子さんであるが、学内では軽く挨拶程度はするものの、特に話をしたりはしない。見かける度に彼女は友人達に囲まれているし、そこに割って入って行くのは気が引けるのである。


 実は、私と彩子さんは先だってアドレスを交換した。


 洋子さんから少しずつ使い方を教わってはいるものの未だに扱いに慣れないスマートフォンに、時折彩子さんから洋子さんと一緒に写った写真が届く。それを見ながら、私は放課の気の緩む時間帯に気合いを入れ直している。


 時間が流れるのは早い物で、季節はもう夏真っ盛り、八月の頭である。期末考査も明け、学内がようやく緊張感から解放された中、私の研究室には未だにその緊張感の残滓が残されている。期末考査の代わりに課したレポートは、七月末に提出期限を設定したのだが、いかんせん人の話を聞かない学生も多く、授業の無いこの時期になってもちらほらとレポートを提出しに来る学生がいるのである。


 研究室に軽いノックの音が響いて、私はまた学生が来たのか、と思いながら、「どうぞ」と声をかける。目は資料から離さない。寄稿の〆切が近くて、出来る限り頭を研究から切り換えたくなかったのであるが。


「失礼します」とよく通る、聞き知った声がして、私は思わず顔を上げて扉の方を見た。入って来たのは予想違わず、彩子さんであった。


「ご無沙汰しております」


 そう言って、彩子さんはやはり美しいお辞儀をしてみせる。今は失われて久しい、百貨店のエレベータガールのようなお辞儀であった。


「やあ、久しぶりだね」私はそう言いながら、机の上に散らばった資料を手早く纏めた。「けれど、それなりに頻繁にメールでやりとりしているから、あまり久しぶり、という気もしないな」


「そうですね。私も奥様とお会いしている間、頻繁に先生のお話を耳にするので、あまり久しぶり、という気はしません」彩子さんは、小さく、いつも通りの落ち着いた笑みを見せる。


「取りあえず掛けなさい」私は恥ずかしさに頬が熱を持つのを感じながら言った。


 研究室には各々小さな丸机が一つと椅子数脚が大学から貸し出されている。部屋の真ん中に据えられたそれを指し示て促し、私も丸机の方へ席を移した。


「用件はすぐに済みます。実は私、大事な事に気が付いたのです」お茶を入れようとした私を制して、彩子さんが言った。


「ほう、大事な事、ですか」


「ええ、大事な事です」彩子さんは重々しく言う。「先日、私は先生にお礼をすると申し上げたのに、すっかり有耶無耶(うやむや)になってしまっていたでしょう」


「気にしなくていいよ。何のかんのと言って、結局タマキチ君を家に連れてくる、という約束は果たしてくれたし、洋子さんには良い友人が出来た。こちらからお礼を言いたいぐらいだ」


「あら、それだったら私の方こそ、良い友人を紹介して頂いたご恩が残っています」彩子さんは楽しげに笑って言う。「それに、お礼をしたい、と言ったのは、本当は痴漢を捕まえて頂いた事が理由ではないんです」


「では、何が理由なのかな」


「離婚した直後に痴漢被害に遭うようになったりして、あの頃は正直いろいろと疲れ切っていたんです。朝学校に行くのが怖くなったりもして、友人に迎えに来てもらってなんとか家を出られるぐらい。けれど先生が、くわっ、と痴漢に飛びかかったのを見て、なんだか元気が出たんです。私も一人で落ち込んでないで、飛びかかって行かなきゃいけない、って思えたんです。だから、会ったばかりの洋子さんのお話を素直にお受けすることが出来ましたし、歳の離れたお友達も出来ました」


 そう言われて、私は深く頷いた。正直な所、痴漢に飛びかかった時の顛末はけして格好がつくようなものでは無かったのだけれど、それが彩子さんの気分を切り替える一助になったのなら、こんなに嬉しいことはない。


 よかった、よかったと、しきりに頷く私に、彩子さんは重ねて言った。


「ですから、今日はこれをお渡ししようと思って」


 彩子さんは鞄から何やら取り出して、私の手をその掌で包むようにしながら渡してくる。


 彼女の指先の冷たさを感じて、身を固くしながらも視線を落とした私が目にしたのは。


 目にしたのは。


 先月末までの課題である民俗学のレポートであった。


 私は何が起こったのか分からず、一瞬呆けたが、回転を始めた頭から何とか言葉を絞り出した。


「これは?」


「私の思いのたけを込めて書いたレポートです」彩子さんは朗らかな笑みを見せて言った。


 さて一体どうしたものだろうと、私はのんびりと再起動を始めた頭をせかしつつ考え始めたが、その作業が完了する前に、頬に捺されたやわらかな唇の感触に再び頭が真っ白になる。


 彩子さんは、「よろしくお願いします」と言って、軽やかな足取りで私の研究室を後にする。去り際、入り口で丁寧に頭を下げるのを忘れない。


 ぱたん、と扉が閉まる音に、私は我に返った。未だ感触の残る頬をさすりながら、果たして彩子さんは今まで猫を被っていたのかと頭を捻る。捻るが、まあどうしようもあるまい、と溜息が出る。


 机の抽斗にレポートをぽん、と放り込んで、鍵を閉めた。因幡の白兎でもあるまいし、猫を取り去って残るのは、赤剥けた地肌ではなくて、結局その人の新たな一面に過ぎないのだ。季節はもう夏だ。毛皮の一枚や二枚、脱ぎ去ったところで問題はあるまい。


矛盾、誤字等ご指摘頂ければ幸いです。

12でぽろぽろとネタバレしそうになっていたので、修正しました。

次は少々間が空くことになるかと思いますが、タイトルは、「生き馬の目を抜く」とかになるかと思います。


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