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洋子さんと私が辿り着いた豪邸は、敷地の周囲を高さにしてたっぷり3メートルはあろうかというコンクリート製の塀で囲われて、さながら要塞のように、あるいは刑務所のようにすら思われた。
周囲は閑静な住宅街というわけでもなく、普通の民家や商店が建ち並ぶ中、一軒だけこのような家屋がある事で、異様な雰囲気が醸し出されていた。とは言え、肝心な屋敷の方は鼠色の塀に覆われて、まったく目に入りはしない。屋敷を囲った塀は、ネズミ一匹――というよりもこの場合、猫の仔一匹と言った方が正しいか――這い出る隙間も無い様に思われた。
大理石の豪華な表札には『曾根崎』と深々と彫り込まれ、でん、と構えられた門扉は拒絶の意志を示していた。私は住所を間違えたのではないかと何度も確かめたのだが、学務課で受け取ったメモの住所は、確かにその屋敷を示していた。
洋子さんが表札の脇にあるインターフォンのボタンを押したが、何の反応もない。もしやこの塀の向こう側で、世にも恐ろしい凄惨な事件が起こっているのでは、等と不埒な考えがむくむくと頭を擡げて来たところで、ガチャリ、とくぐもった音がして、私は我に返った。
『……どちら様でしょうか』
インターフォンから聞こえたのは、何やら怪訝な色を含ませた問いかけであった。
さて、現場百遍とは、刑事でなければ民俗学者のための言葉だと自負する私である。まあそれは言い過ぎかもしれないし、もっと他に職業があるかもしれないが、ともかく少々不審がられた程度のことで怯んでいては、フィールドワークは成り立たないのである。私は軽く咳払いをすると、胸を張って答えた。
「ワタクシ狛※大学で教授を務めております、関根と申す者ですが、少々お伺いしたいことがありまして」
上方に設置されたカメラにきちんと目線を合わせて、微笑みを浮かべるのも忘れない。聞き取り調査は、何より第一印象が大事なのである。
ようやっと再び門扉をくぐり、私と洋子さんはどちらからともなく顔を見合わせると、盛大に溜息を吐いた。
開いた門の向こう、玄関で私たちを出迎えたのは、年の頃おそらく私と同じぐらいの老婦人であった。いや、ご婦人であった。彼女は初め、こちらの目的が分からず怪訝な顔を見せていたが、名刺を渡した後、私が猫探しのチラシを取り出して見せると、急に態度が一変したのである。彼女は目尻をつり上げて怒り、私たちに出て行くようにと喚いた。
訳が分からずとにかくご婦人をなだめ、こちらの事情を説明したのだが、ご婦人の話を聞いた私たちは驚くこととなった。
なんとご婦人のご子息と彩子さんは、ついこの間まで夫婦だったのだと言うのである。
少々落ち着きを取り戻したご婦人は、今度は逆に興が乗ったのか、勢い込んで話し始めた。
つまり、子供の結婚相手がどのような女であったか、その結果ご婦人がどのように感じたのか、それによってご婦人と嫁の関係がどのように悪化したのか、オペラはおろかミュージカルにも勝る怒濤の勢いで情感を込めて話し始めたのである。
私が話に区切りを入れようとしたが押しとどめられ、洋子さんが合間に入れる相槌に「分かって下さるかしら」と涙ながらに返しながら、満足するまで言いたいことを言うご婦人に、私も洋子さんも次第に気勢が失われていった。
やがて全てを語り尽くしたご婦人は、最初の般若のような顔とは打って変わって、まるで憑きものが落ちたように穏やかな表情であった。
話の内容はというと大半が重箱の隅をつつくような事柄に集約される為に要約すると、もともと見合いのような形式で結婚したものであるが、猫が居なくなってしばらく経った頃、離婚が決まった、という事になる。
「どうやらここにはタマキチ君は居ないようだし、帰りませんか」
私はげんなりしてそう言ったが、洋子さんは何やら逆に気合いが入ったらしく、大きく息を吸って満腔に気合いを漲らせている。
「いいえ、せっかく来たんですから、せめてご近所の方にタマキチ君を見かけなかったか訊いてみましょう」
「けれど、屋敷のこの様子では、猫が外に逃げ出す事は考えづらいと思うのだけれど」
「こんな時に何を仰いますか。昭敏さんいつも仰っているではありませんか、『民俗学者は現場百遍』って」
洋子さんはそう言うと、塀のぐるり(、、、)をすたすたと歩き始めたのである。彼女がこうなるともう止めようが無いことを、私も長年の経験で熟知している。正午を過ぎ、暑さが増すのを感じるとともに、何やら冷や汗まで出て来そうであった。
その後、一周三キロにも及ぶ屋敷の周りを回ったのだが、一定の間隔で彩子さんのチラシが貼られていて、離婚した後も彩子さんは猫を心配しているのかと、私は微笑ましい気持ちになった。
猫が見つかった、と彩子さんが私の研究室を訪ねて来たのは、それから三日後の事である。




