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関根教授の事件簿  作者: 黄印一郎
猫を被る
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 学期末になると、私の研究室には多くの学生達が陳情(ちんじょう)に訪れる。


 容貌(ようぼう)態度(たいど)は様々(さまざま)であるが、その主たる主張は大まかな所では同じものである。彼ら・彼女らは、何らかの事情があって私の受け持つ授業単位の取得が困難になっていると主張し、その事情を私に開陳(かいちん)しに訪れるのだ。


 まあ、詰まるところ単位を下さいとお願いしに来るのである。


 ここ数年では、学生達の間でも私の単位認定が甘い、研究室にお願いしに行けば簡単に単位を呉れる、などと思われているようで、陳情に訪れる学生は年々増加の一途である。


 履修要覧(シラバス)に成績評価の基準と、例外を一切認めない旨を明確に記載(きさい)している教員もいる。と言うよりも、そちらが主流であり、ほとんどである。


 しかしながら、私はそういった方法を採る事に若干の抵抗があった。同僚からは甘すぎる、生真面目過ぎるとも言われるが、学生それぞれの事情があるのは確かであり、それをどのように判断するのかも、授業を担当している人間としての責任の一部だと考えているからである。


 無論、誰に対してもその事情を認めるわけではないし、当人達にその場で可否を伝えるわけでもない。成績評価データは今後5年間にわたって保存されるものであり、他人から見て合理性を欠いた評価をする訳にはいかない。言い訳にしろ、きちんと理屈が通っている、と言う事はもちろん必要だが、私の判断基準は詰まるところ彼らの態度と言うものに尽きる。彼らが堂々としていれば“可”、びくびくとこちらを伺うようなら“不可”である。そんな事を成績評価の基準にするとは、全く理屈が通っていないではないか、世の中には堂々と嘘をつく輩も居るではないかと言われてしまえばそれまでだが、しかし相手が信頼できるかどうか判断する事も人間関係を構築していく上で避け得ない案件の一つ、と言うよりも醍醐味(だいごみ)であろう。私はそう考えている。


 とは言え、猫を被る、という言葉もある。


 猫と言えば、国語辞典に最も多く登場する動物ではなかろうか。猫に小判、猫の(ひたい)、猫の手も借りたい、変わったところでは、ネコイラズ、なんてものもある。


 言葉の意味としては、誰もがご存じの通りであり、存じ上げない方には辞書を(ひもと)いて頂くとして、私が今回遭遇(そうぐう)したのは、まさにこの最初の言葉の意味を実感させられるような事件であった。


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