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すごかった。何がすごいかってクイさんすごいよ。テクニシャンってやつだ。すごすぎた。女の人なのに。ああもうびっくりだ。
「マリカ? 目が覚めた?」
「おはよぉー……」
だるい。全身吸われて齧られてはれぼったい。声もかすれてる。寝転んだまま顔だけ向けて挨拶すると、満足げに微笑んでいた。
「よかったろ?」
なにが? なんてあほなことは聞きませんよ。昨夜のあれですよね。よかったっていうか、よかったっていうか……すごかった。
「何か飲むかい」
「うん……」
体を起こしてコップに手を伸ばした。クイさんは私より先にコップをとって飲み物を口に含むと、私の唇をふさいで流し込んだ。こぼれないようにかぴったりと吸い付かれて、息苦しい。飲み物は冷たくて、ほんのり甘くて美味しかった。
口移しなんて、クイさんは今までしなかったのになあ……。
膝の上に乗せられ、抱きかかえられるような格好で朝ごはんを食べさせられた。ぐいぐいと口に食べ物が突っ込まれる。いらない、と声に出す暇もない。
「マリカは体力がないね。しっかり食べないと」
「もひらはい」
「ん? なにがいいって?」
もういらないんですううう!
食べ過ぎておなかが出ている。そういうときに限って、着ているのはへそだし。全身につけられた赤い跡もまるみえ。いつぞやおじ様にもらった布キレのような服だ。
いつものぐるぐる巻く服は、以前より薄い布を使い、少し露出の多い巻き方になっていて、そこまで暑くはなかったけど、暑がりのクイさんからすれば気になるようだ。
今はここは夏らしい。とはいっても、高原の夏っぽいさわやかさだ。
「暑いんだからこういうのでいいんだよ」
「うん……でも跡がみえちゃう」
「いいじゃないか。飾りみたいで綺麗だよ」
そんなわけがあるか。あとでヘルさんに着替えさせてもらおう。ああ、でも跡つけられて怒られるかも……いやでもこういうことになったのもヘルさんが公認してたみたいだし……っていうか妻が女の人とはいえ他の人にあんなことをされるのに平気でむしろ認めちゃう夫ってどうなの。多夫多妻みたいだからそこらへんは気にならないのかもしれないけど……。それはおいといてもどっちがいいか確かめるためとかゲーム感覚だし。むかむか腹が立ってきた。
「マリカ!」
抱っこされて寝室を出ると、すぐにヘルさんが寄って来た。怖い顔をしている。ぷいと顔を背ける。
「こんなにこんなに跡が……体中真っ赤に……こんなに肌を見せて……早くこっちによこせ」
「マリカ、あたしとヘルベルクラン、どっちがよかった? あたしだよね」
そんな話を大声で言わないで欲しい。警備の人やエルテくんも近くにいるのに。
「しらない! 降ろして、エルテくんにのせてもらう」
降ろしてもらってエルテくんの背中に跨ってしがみつく。ふこふこの毛皮にしっかりつかまって顔を押し付ける。
「マリカさまー。どこいきますか?」
「……おそといきたい」
「はーい」
うきうきとしたエルテくんとは対照的に、私はむしゃくしゃした気持ちを抱えていた。
「なにしたんだ。機嫌が悪いぞ」
「あたしはちゃんと気持ちよくさせたよ。いい反応してたよ。ヘルベルクランに触られるのが嫌になったんじゃないのか」
「なんで私がマリカに嫌われるんだそんなことがあるわけないだろう。私のときはいつも泣いて喜んで可愛い声で鳴くんだ」
「ふーん……へえ」
「大体どうやってやったんだ」
「参考にしたいのか? いいよ、見ても」
「ふざけるなお前こそ私のやり方を見て参考にしろ」
「もーーーーー! どうしてそういうこというのー!」
私は恥ずかしさのあまり叫んだ。見られるのなんて嫌に決まってる。
頭から髪飾りをむしりとって、べしと二人にたたきつけた。
「かえす。ついてこないで! エルテ、いく」
「はあい」
ぎゅっと強くしがみつくと、エルテくんは走り始めた。後ろで声がするけど知らない。もう知らない。どうせ翻訳カチューシャがなければ警備の人だって要らないんだ。このまま遠くにいってやるっ!
走り続けて、その間落とされないように必死でつかまっていた。手がしびれて握力がなくなってきた。
「エ、エルテ、とまる。うで、つかえない」
「大丈夫?」
すぐに止まってくれたので、背中から落ちるように地面に降りて、ぺたんと座り込んだ。エルテくんはすぐ隣に伏せをしている。
「とおく、きたね。ちいさい、やしろ」
「うん。はなれた、どこ、いく」
こうして翻訳カチューシャがまったく使えないとなると、間違ってないかと不安になる。それを頭を振って追い払う。
遠くに小さく社が見えて、今のところ誰もついていきていない。私がついてくるなといったからなのか、ただ追いついていないだけなのかは分からないけど。
「マリカさま、ここちがう、だく、いい?」
エルテくんは私を抱き上げると、あたりを見回して、2本足で走り始めた。胸にしがみつく。毛皮って暑いなあ。
大きな岩に近づいて、そこの影に降ろしてくれた。少し涼しい。
「ありがと」
日向じゃ暑いから移動してくれたらしい。気が利く子だ。
「どうしたー?」
隣にお座りして首をちょいと傾けている。こうしてみると本当にわんこだ。わんこと話せる世界、なんて素敵だろう。
「マリカさま、願い、どこでもいく。だけど、いますぐ、みんな、しんぱい」
私が望むならどこへでも連れて行ってくれるけど、今すぐに行くのは皆が心配するから駄目だといってるんだろう。
わんこに諭された。
「ヘルとクイ、はずかしいこと、はなす。いやだ。
わたし、まえいたところ、すきなひと、おおくいない。んー……つがい、ひとりだけ。ここちがう。いっぱい。なれない。いやだ」
ぽつぽつと喋る。つたなすぎて通じているかは分からないけど、じっと静かに聴いてくれるので、落ち着いてきた。
スキンシップが激しいくらいならまあ、許容範囲だけど、旦那さん以外の人とはやっぱりちょっと抵抗が……。でもそういうものなら、気にするのは私ひとりで騒いだって仕方ないし……。
「マリカさま、おれの、つがい、なる? おれ、ひとり、じゅうぶん」
ええと、エルテくんは、私一人だけをつがいにしてくれると、言ってるわけだ。びっくりした。プロポーズだ。
嬉しい。嬉しいけど……犬だしなあ……。
「ありがと。だけど……」
困った。はっきり言ってしまっていいものだろうか。犬はムリ……ペットだから……ううん。どっちもひどい気がする。
「きた。にげる?」
はっとして顔を上げてあたりを見回す。社のほうから何かがやってくる。浮遊艇?
「……ううん。まつ」
いくらエルテくんの足が速くても、すぐ追いつけれちゃうだろうし、なんだか落ち着いてしまったので、その場で迎えがくるのを待った。……迎えだよね? もしかして翻訳カチューシャが壊れてたりして、壊した犯人として追われてるんだったり……。いや、でも、私を傷つけるようなことはないはずだ。
すこし怖くなってエルテくんにしがみついた。周りを浮遊艇で囲まれてるのに、エルテくんは余裕だ。たのもしい。
「マリカ」
ヘルさんが降りてきて、近づいてくる。結構落ち着いている。エルテくんにしがみついた手を、優しくも強引に引き剥がして、私を腕に抱えた。
初めての家出はこうして終わった。