ウイヴイエルイ 3
マリカはたいした我侭も言わず、大人しすぎるほど大人しい。強く出られると抵抗らしい抵抗もせずに受け入れている。従者による過剰なほどの世話も平然と受け入れ、肌を露出した格好も恥ずかしがってはいるものの素直に着るし、体を触られるのもそうだ。誰に触られても怒るということがない。
これは強引にいった方が早そうだ。
市場見学に誘うと、不安げにしている。人ごみが怖いのだろう。危険はないことがわかれば今後も誘いやすいので、安全を請け負って出かける。
市場ではマリカを抱きかかえることもできたし、楽しそうにしていた。かなり私になれてきたようだ。しかし従者が邪魔だ。
クランの家に行くという。従者の一族だからといって優遇するわけにはいかないのだが、マリカが望むといえばあまり反対もできない。その間にもう一人の従者であるクイグインネに話しかける。
「どこかへいかれるんですか?」
「ああ、本を買おうと思ってね。マリカもよく読むんだよ」
そのことは報告があったので知っている。どんな本を読んでいるのかまでは詳しくは知らないが、勧められればなんでも読んでいるようだ。
「どんな本がお好きなのでしょう」
「少女小説が好きなんだよ。似合いすぎだね」
「ふふ、可愛らしいですね」
ぴったりだ。あの人形めいた容姿で少女趣味。思い切り着飾って愛でたい。
「クイグインネ殿。マリカがこちらに来てくだされば、もっと幸せに過ごしていただけると私は思っています。
社はあまりに遠く、不便です。本だって簡単には手に入らないでしょう。せめてもっと町に近い場所にでも来てもらえればいいのですが」
「マリカはあそこを気に入っているようだけどね。物を手に入れるのが大変なのは確かだけど」
「……私は、マリカの僕です。もっと役に立ちたいのです」
しおらしく振舞う。マリカの側には必ず従者が付従う。できれば同情でもして味方についてほしい。あの男従者では駄目だ。あれはマリカを独占したくて仕方がないといった顔をしている。この女従者はどうだろうか。私は女性には受けがいい。彼女にも悪い印象ではないはずだ。
「あたしはマリカの従者だ。マリカ以外の都合はしらないよ」
きっぱりという。この従者はどちらも扱いにくい。
「もしマリカが望んだら、知らせて欲しいのです。ヘルベルクラン殿は、マリカを外には出したがらないのではありませんか?
彼女の望みを押し殺すようなことはしてはなりません」
マリカのもっとも側にいるのが従者だ。もし従者に反対されてはマリカは意思を留めるかもしれない。だから、反対することをまずは抑えたい。
「わかってるよ。あんたにいわれなくても」
身を翻し、去っていく。あとはマリカにこちらで暮らしたいと言わせればいい。
マリカが社に向かうため、飛行艇に乗り込んだ。私ももちろんついていく。これを逃せばしばらく機会はない。
もうすでに空の上だ。どちらにしろ一度は帰す。側に近寄り、抱き寄せる。
「なぜあんな辺鄙な場所に行ってしまうのですか……。都に住んでくださればよろしいのに。
いつでも呼びつけて頼ってください。私はマリカの僕です……」
顔を寄せて囁くと、慈愛に満ちた表情で私を撫でる。子どもかと思えば、こんな風にすべてを包み込むかのような大人びた顔もするのだ。
「また会えますよ……ね?」
胸が苦しい。これは、いとおしいというのだろうか。思わず口付けると目を潤ませて、静かに受け入れてくれる。こちらにこなくてもいい。私が向こうにいきたい。共にいられるのであれば場所など些細なことではないか。
「全部、全部、全部、私に、くれませんか? 私のすべてはもうあなたのものだ」
「はぇ……?」
先ほどまで私の舌が入り込んでいた口はいまだぽかんと開いたまま、困惑が返ってくる。これは熱情だ。今までに感じたことがないほど、私はこの子を求めている。
「しね」
髪を掴まれる。それを手で払って、向き直る。マリカを胸にしっかりと抱いて。
「離せ」
「私がマリカを手放せるわけがないじゃありませんか」
「しね」
「ふふ、恐ろしいことを言われるのですね。ねえ、マリカ」
「やめろマリカの名前を呼ぶな」
「ウイヴイエルイ、マリカを離しな」
イライラと今にも殴りたそうにしている男従者とは違い、女従者は冷静だ。先ほどからもぞもぞと腕の中でマリカが動いていると思ったら頭を押さえつけてしまっていたようだ。あまりに非力で抵抗を抵抗と感じられないのはすこし問題だ。気をつけないとつぶしてしまいそうだ。
力を緩めると、よろよろと抜け出てヘルベルクランのところへ行ってしまった。大きなため息がでてしまう。
「くるしかった……」
「可愛そうに、もう大丈夫だあんな変質者は近づけない」
「すみません、マリカ、つい感極まって……許してください、もうこのようなことはありません」
「う、うん……だいじょうぶです」
「マリカは貧弱なんだから触るときは気をつけてくれないと困る」
「はい。申し訳ありません」
「謝罪など不要だしね」
「大丈夫だから、ね。そんなこと言っちゃ駄目」
ヘルベルクランを諌めてから、潤んだ瞳がこちらを向く。眉が下がっていかにも困った様子だ。一呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
「マリカとわかれるのが寂しくてつい力が入ってしまいました。この数日があまりに楽しかったのでね。また会ってくださいますか?」
「はい、もちろん」
「そうだ、手紙を書いても? 返事をくださいますか?」
「は、はい、あ、でも私こっちの字は書けない……」
「それではキュジィギュジィクランにでも様子を聞きましょう。やってくれますね?」
「はい。お任せください」
「あつかましいのではないか、ウイヴイエルイ」
「マリカは了承してくださいましたよ」
そういえば従者は口をつぐむ。
マリカは今は誰のものでもない。私のものにしたいと願いながらも、とらわれたのは私だった。私は真に彼女の僕になったのだ。