ヘルベルクラン 4
なにやら真剣な表情で、マリカがあのね、と口を開いた。何かと思えば言葉を覚えたいのだという。翻訳の髪飾りがあれば言葉を覚える必要はないが、何かあったのだろうか。マリカの小さな頭に余計なことを詰め込みたくはないのだが。
「名前とかもね、難しくて、覚えられなくてもそのままできちゃったんだけど……やっぱりずっとここで暮らしていくんだし、ちゃんといえるようになりたいの」
こぶしを握り締め、きりりと決意の表情を浮かべている。可愛い。マリカが言葉を覚えれば、頭飾りも色々つけられるようになる。どんなものが似合うだろう……。
「たしかにね。その翻訳の髪飾りって世界にひとつしかないからねえ。万が一それが壊れたときにも言葉を覚えておけば役に立つだろう」
「えっ……これ、もしかしてすっごい貴重品?」
「それは賢者が作った、寵児専用の翻訳具だ。作り方は残されてはいるが、材料が特殊で予備はないんだ」
「じゃあ大事に使わないとね」
「入れて持ち歩けるように専用の鞄を用意しようか」
「うん、おねがい」
幼児向けの本をいくつか持ってくる。一度読んだあと、髪飾りをはずしてもう一度読み、復唱させる。
「おはよう」
「おぁよおー」
「お、は、よ、う」
「おぉ、あ、よー、う」
発音が壊滅的に駄目だ。可愛い。いたって真面目な顔をしているマリカをみて、クイグインネは笑いをこらえていた。お前どこかへ消えてしまえ。
「おいしい」
「おりしぃい」
「おいしい」
「おうぃ、しー」
「お、い、し、い」
「おい、しぃい!」
最後は少し自慢げだ。ちゃんといえたつもりなのだろうか。可愛い。
1冊分終えたところで、髪飾りを戻す。
「本当に覚えるつもりがあるなら、翻訳の髪飾りはずっとはずして過ごしたらいいんじゃないか? そうしたらすぐ覚えられるよ」
「えっ……」
クイグインネの無情な言葉に、マリカは髪飾りを取られまいと両手で押さえた。可愛い。
言葉を教え始めてから何日かたち、だいぶ意思の疎通ができるようになってきた。そのため、一日髪飾りをはずしてみることになった。
「たえる、ない」
「もう食べないの? 飲み物を最後に飲もうか」
「ん、おもう」
「へるぅ、あし、ふるう、しる」
「運動する?」
「ぅん、うんどぉ。あしるー。あ、ふく、てぃがう」
「そうだね、服も着替えよう」
「お風呂に入ろうか。一緒に行こう」
「ふろ、ふろ! ひと、いあない、じょーぶ、じょぶ」
「ははは。駄目だよ、危ないからね」
一日が終わり、髪飾りを付けて本を読むマリカを見ながら、クイグインネは言った。
「なんでアレで理解できるんだ?」
「愛情の差だろう」
「あたしだって愛してるよ!」
「やめろマリカが穢れる」
あつかましい女だ。私のマリカに愛してるなどと冗談でも聞きたくない。しかし随分言葉が上手くなった。なんて賢い子だ。
「……あー、今日はもう読むのやめる~。頭が疲れたー」
ごろごろと転がりながら寝台から転げ落ちてきた。大丈夫か。
「まだ寝るにははやいだろ? 美容しようか?」
「……うん。あれ、気持ちいいね」
マリカが恥ずかしそうに笑う。美容……なにやらべたべたぬりたくるやつか。いつのまにそんなことをやっていたのかうらやましい。私もマリカにべたべたしたい。
「じゃあ準備するよ」
「ちょっと待て、私がやる」
「はあ? やったこともないくせに何言ってるんだ」
「じゃあ教えろ」
「やだよ」
「教えてくれ」
「前々から思ってたけど、お前って馬鹿だな」
「あ、あのー……やっぱり今日はやめとこうかなー、なんて」
「マリカ、遠慮しなくていいんだよ。ヘルベルクランのことが気になる? 追い出すから安心しな」
「マリカ、私もマリカを気持ちよくしたい」
マリカは顔を真っ赤にして、クイグインネに抱きついた。そっちじゃない、こっちにおいで、マリカ。
結局寝室を追い出されてしまった。マリカが寝た後、寝巻きを剥がしてみてみたが、全身つるりと滑らかになっていて、心配した歯型もついていなかった。




