6
今日から都行きだ。クッキーだ。ようやくお菓子が食べられる。興奮してなかなか寝付けなかった。
迎えの飛行艇は、すでに近くに降りていた。
「ウイブイエルイさま、お久しぶりです」
「おや、おじ様と呼ばれるのもよかったのですが、名前を覚えてくださったのですね。敬称などつけなくてよろしいのですよ」
「最近、言葉を勉強してるんです。偉い人にはさま、つけるんですよね」
「マリカがそう呼ばれることはあっても、呼ぶ必要はありませんよ」
そう、色々思うところあって、ちゃんと名前を覚えることにした。言葉の勉強も始めた。はっきりいってやりたくなかったけど、やっぱりこちらで暮らしていくなら、いつまでも知らん振りはできないと思ったのだ。やっぱり失礼だし。単語帳なんて作ったの、受験の時以来だ。勉強を始めて半月ほどだけど、進み具合はあまりよろしくない。まあ、会話にはならなくても単語を知っていればなんとかなるはずだ。
飛行艇は、外観がまるっとしていて気球船に似ている。ただし気球船であれば空気が入っている部分にも部屋があって、かなりの広さだ。警護の人も一緒についてくるので、結構な人数が乗り込む。貸切らしい。
離陸し、上空で安定するまでは席に座ってなければいけないのは、飛行機と変わらない。落ち着くとおじ様にお招きされたので、ラウンジに行った。固定されたソファに座る。でかすぎて背もたれに届かないので、ちょっと辛い。
「呼んでくださらないので寂しい思いをいたしました。都にいる間は私と過ごしてくださいますね」
流し目を食らった。色気が駄々もれている。隣に座り、背中から腰に手を回して抱き寄せられる。挙動不審になる。しもべ発言はまだ有効だったのか。でも私に女王様プレイは無理です。
「え、あ、ハイ……。あの、でも、都に行ったら、ゲオルの食べ物のお店に行きたいと思ってるんですけど、いいですか?」
「それならご用意してありますよ」
茶色い食べ物がいくつもお皿に乗せられて目の前にやってきた。
「これがサフサフになります。いかがですか」
指でつまんで口元に寄せられる。ああー、香ばしくて、甘い、いいにおいがする。食べてもいいのかな? すぐ近くに膝をついて座っているヘルさんを見る。すると小さく首をかしげて、うっすらと笑った。
「マリカ、何を食べたい?」
「これ、サフサフ、食べてみたいなあ。ダメ?」
ちょいちょいと口元にあるサフサフを指差す。うなずいてくれたので、ひとくちかじる。おおー、クッキーだ。
「美味しいです!」
私が求めていたのはこれだよー! 思わず笑顔になる。
「全部マリカのものですから。たくさん召し上がってください」
「ありがとうございまふ!」
ちょっと頬張りすぎた。
塩味のポン菓子とか、ジャムサンドクッキーとか、他にも色々あった。みんなして次から次へと差し出してくるので、味わう暇もない。もったいない。
「皆さんは食べないんですか?」
「私は先に味見させていただきましたから。マリカはこういった味を好むのですね」
「ひとつもらってもいいかい?」
「うん。これ、美味しかったよー。どう、どう?」
「……う、ん……へ……濃いのかねえ……?」
クイさんには不評のようだ。残念だ。こっちの料理ってあっさりした味付けのものばっかりだからなあ……それになれてるとくどく感じるのだろうか。
「これキャラメル! キャラメルだー!」
舌の上で転がすと、もったりとした甘さが広がる。久々の味に感動する。
「マリカ、私にも」
ヘルさんが私の口に口をつけてきたので、唇を開いて舌を受け入れる。キャラメルをしばらくころころと転がしてから、離れていった。
「おいしい?」
「甘い」
美味しいといわないところを見ると、好みではないらしい。味覚が違うのだから仕方がないのかもしれないけど、こうも共感が得られないとおもしろくなくて口が尖る。ゲオルの人はいないだろうか。きっと一緒に美味しく食べられるに違いない。辺りを見回すと、少しはなれたところに見知ったグレーの毛並みが見えた。あれはたしか、ええと……ユオーさんだ。
「ユオーさん」
声をかけてみると、こちらに来てくれた。
「お呼びですか」
「これ、これ、美味しいんですよ。食べてみてください」
クッキーを差し出すと、ひとくちでガブっといった。よかった指は無事だった。
「ね、ね、どうですか? 美味しいですよね」
「そうですね。初めて食べましたが美味しいです」
「あれ……これ、ゲオルの料理じゃないんですか?」
「ゲオルは地域差が大きいですから……私のいたところでは見かけませんでしたね。こちらのシェイムはよく食べましたよ。懐かしいです」
シェイムといいながらキャラメルを指差す。そういえばサフサフを教えてくれたのは、この人じゃなかったな、と思い出しながら、キャラメルを大きな口にぽいと入れた。
「これ、私のいたところではキャラメルっていったんですよ」
「ああ、懐かしい。シュムクイエはこういった濃厚な味は好みませんからね。私も久しぶりです」
「……私も。久しぶりで、懐かしいです」
向こうと似たものを見つけるたび、嬉しいけど寂しさもあって、胸が少し痛くなる。
ユオーさんをふと見ると、なぜか見詰め合う形になってしまった。どうしよう、目をそらしたら負けだ。野生の獣じゃないからいいのか。大丈夫なのか。ガブッとされたらどうしよう。おどおどしてしまう。
「び、美形ですね?」
何を口走っているのか。なぜ疑問系なのか。しかし目はそらせない。
「ありがとう、ございます?」
口をにーっとして、疑問系で返してくれた。変なこと言いだしてごめんなさいユオーさん。
「マリカはゲオルがお好みでしたか?」
「は、いえっ、そういうわけではないです。いや可愛くて好きですけど! 向こうにも似た生き物がいて、その基準からすると美形って言うかすっごく毛艶もいいですし! そ、そそ、それで、それだけ、です……」
ああー、何言ってるんだ。ヘルさんにしがみついて顔を隠した。ドツボにはまるってのは、こういうことだなあ。
「マリカの基準で私は美形なのでしょうか」
「お、おじ様は、も、もちろん素敵です……。あう! ヘるさんもかっこいいよお! すき!」
素敵、と言った辺りで、私を囲い込んでいる腕にものすごい力がかかった。絞め殺されるかと思った。すき、までいったあたりでもっと力がかかった。しぬ。
クイさんに助けてもらった。ベールは脱げたし、髪の毛はぐしゃぐしゃだ。髪を整えてもらって、一息つく。ヘルさんが腕を伸ばしてくるのを、クイさんが叩き落としていた。苦しかったし、しばらくそうしてればいいんだ。
「まだしばらくかかるんですよね」
「4時間くらいでしょうか。浮遊艇だと1日かかりますから、早いものです」
「時間があるなら、少し私の勉強に付き合ってくれませんか?」
「もちろんかまいません」
にっこり笑って言ってくれた。翻訳カチューシャを取り外してポシェットにしまうと、単語カードを取り出した。
「こにちはー、ウイブイエルイさま。たえる、おいしおいし、ありと」
おじ様は首をかしげている。……あれ。通じてない?
「こんにちは。マリカ。たえる、は何かな」
「たえるー、たうぇる、くち、はぁいるー」
「たべる?」
「たえ、る。た、べ、りゅ」
「うん、たべる。おいしかったね」
「たーべぇる、おいしぃ、おうぃ、しい。あいがと」
ゆっくり喋ってくれるので、なんとかわかる。難しい言葉もないし。なんだかにこにこしてるし、結構うまくできてるのかも。
「はなす、うりぇしぃ、ウイブイエルイさま、のろい、あかる、いい」
おじ様は私のつたない言葉にいやな顔ひとつせず、むしろにこやかにお付き合いしてくれた。途中からヘルさんとクイさんも加わって、和やかに話をしながら過ごした。
ちょっとこっちの言葉に自信がついた。これからも頑張ろう。
そろそろ町が見えるといわれて、その前に窓から下をのぞく。たくさんの屋根が見える。大都会じゃないか。町を歩いたりできるかな。偉い人に会うのは緊張するけど、久しぶりにお買い物ができるかもと思ったらわくわくしてきた。
「マリカ、絶対に一人で出歩いてはなりません。都は大変広いので、すぐ迷ってしまいます」
「はい。お店、見て回るのはいいですか?」
「お望みであればもちろんかなえて差し上げたいのですが、すぐに囲まれてしまうかもしれませんよ。取材の申し込みもたくさん来ていたのですが、人と接するのが苦手と聞いておりますので、こちらで断っておきましたが……いかがいたしましょう」
「しゅ、しゅざい? え、私にですか?」
「はい。生まれてより今まで、新聞にマリカが載っていない日はないくらいですよ」
「新聞!?」
びっくりしてヘルさんを見た。どういうこと?
「毎日記事がかけるほど情報は渡していないはずだが」
「もちろんキュジィギュジィクランから報告を受けて。私のお気に入りは、庭で食事をするマリカですね。この小さな細い指が果物をつまんでいるところなど、うっとりしてしまいます」
「キュジィギュジィ! 提出する写真は選べって言っただろう」
「きちんと選んでいます。見せられないようなものはちゃんと私専用にしてしまってありますから」
「破棄しろ」
「嫌です私のものです」
「ちょ、ちょっと待ってください! いつの間に写真取られてたんですか? え、え、新聞って本当に? 私のこと載ってるんですか?」
「いつでも狙っています」
「寵児のことは皆関心が高いですから。兵営に訪問したときのことは、ゲオルの国が大変喜んでいました。今回のゲオルからの訪問団の体も存分に触っていただければきっと喜ばれることでしょう」
「ひいい!」
私の知らないところでなんでそんなことになっている。
そんなこと言われたらむしろ触りにくい。
「いいじゃないか、別に。ご贔屓さんが増えるだけだ。貢がせてやりな。
写真だって売りに出したらもうかりそうだよねえ」
「む、無理だよっ! 誰が買うの私の写真なんか!」
「クイグインネ、意地汚い話をマリカにするな」
「マリカ様、着陸準備に入るようですから、お席にお願いします」
キューちゃんから冷静に告げられた。私はまったく冷静になれない。なんでこんなときに悪い方向に思いがけないことを聞かされなきゃならないのか。偉い人に会うだけで終わるんだろうか。ものすごい不安になった。