3
薄暗い寝室には、幾重にもかさなった紗でできた天蓋付きのベッドが鎮座していた。ベッドは当然でかい。これはベッドではない。断じて違う。もはや部屋である。
そのど真ん中に下ろされ、薄くて柔らかい掛け布団をおなかまでかけられた。
ああ、そうです。当然のように抱きかかえられて運ばれましたよ。そしてこれまた当然のように私の隣に寝転がるヘルさん。おかしいよね。おかしいんですけど、あまりにも当然です、って態度なものだから、騒ぐのもおかしいんじゃないかと思ったりして。こんなだから周りの人にぼんやりしてて心配って言われるのか。
そういえば、元々いた場所はどうなってるんだろう。服や鞄だけ残ってるのかな。怪奇失踪事件じゃないか。心配してるだろうな。
「何を考えてる」
目元を舐められた。舌は冷たかった。
「なに舐めてるんですか」
わかってる。私が泣いたからだ。なんだか犬みたいな人だ。恥ずかしく思わないわけではないけど、私が頼れるのは今この人しかいないんだから、かまわないだろう。手のひらを引き寄せて、それで顔を隠した。さすがに何度も舐められるのはごめんだ。
「帰れる?」
他人より少しだけ運がいいというだけで、悪いことが起こるわけがないと思っていた。でも、今起きているのは、まさしく悪いことなんじゃないだろうか。
私がなにやらすごく歓迎されていることはわかった。ヘルさんは親切だし、何も知らないところに放り出すようなことはないだろう。それは幸運なことといえなくもないけど。
私は今、人生初めてとも言える不幸に不安を抱いていた。
「ヘルさん、お話をして」
甘えているとは思うが、甘やかしてくれるうちは甘やかされていたい。今ならお父さんと呼んでもいい。声を聞かせて欲しかった。
「私たちは、マリカたちが世界を去るときのことを、死とは言わない。
賢者と呼ばれる人がいた。彼は何でも知っていた。その人が世界を去るときに、これで帰れる、と言い残した。
だから帰ることはできる。いつになるかは、わからないが」
ヘルさんの声を聞くと安心する。
顔の上に乗せた手は厚みがあってどっしりしている。
どこもかしこも安定感のある人だ。
「マリカはこうして今、私に触れている。世界がつながったから、こうしてここにいるのだろう。
ならば、マリカのいた場所は、夢より遠い場所ではない」
ヘルさんの落ち着いた声は、穏やかで耳に優しい。
姿が見えない方がいいなあ。いや、別に見たくもないような容姿って訳じゃないよ。ただもう、本当に巨木っぷりもだけど、色は青だの紫だの。人に見えないんですよ。
でもね。
「好きかも」
「うん?」
「優しいから……」
「私も好きだよ、マリカ」
私とヘルさんのほかには、誰もいない。ここは二人だけのゆりかご。
「眠ってしまうまで、側にいてくれる?」
いつか帰れるって本当だろうか。もし、そうだとしたら、やっぱり私は、運がいいと思うんだ。
手を離さないで。掴まえていてほしい。私がまたどこかへ消えてしまわないように。