第一章・第二話 闇夜の失踪11.5
「……っ」
らしくもなく顔を歪めてしまう。でもそれは仕方の無いことだと思う。
目の前で仲間が魔物に傷つけられていく様を平時の表情で見つめられる人間などいよう筈がない。もちろん私も例外なく同じ。
「く、くそっ!」
横では同じく何も出来ずに悔しそうな顔で奥歯をかみ締めているカイルがいる。もうさすがに感情的になって彼らの方へ駆け寄ろうとはしないと思いたいけれど、それでも心配なため、術でいつでも拘束できるように準備はしている。
一人、また一人と魔物の牙の餌食になっていくその様。それをただ見つめる私だって辛くないわけがない。でも。でも、私にはそれ以上に成すべき目的がある。
「ユーナ! 何で彼らの援護をしないんだっ!」
悲痛な面持ちで叫ぶカイルの主張は最もなもの。もちろん私だって出来れば援護だけに回りたい。そんなの当然のこと。
でもそれを無視して瞳を閉じる。網目のように無数に散りばめられた糸を意識する。これは私の撒いた印。この数日で、その包囲網はレハスの町とその周辺の状況を大よそ掴めるほどに無限に広がっている。
神経を研ぎ澄ませ、この混乱に乗じて術を行使している者の気配を探る。混乱した場の流れから、その一本の筋を辿るのはそう難しい事じゃない。いえ。むしろ、ようやく戻ってきた力と合わせて十分な結果ね。
相手も、まさかここで気配察知の術を使われるとは思わなかったでしょうし。思いのほか、容易に探る事ができたみたい。
「ユーナ、何してるんだよ!」
「………」
横でカイルの煩い声がする。でも集中している私はそれに削ぐ時間なんて当たり前だけど無い。
もう少し。あともう少し。あとほんの少しで糸口を掴める。
集中、集中、集中。
もっと深く、奥底へ。神経を研ぎ澄ませ、相手の意図をも探る。
あと少し。もう本当に、あと一歩だった。
「ユーナ!」
強い叱咤の声とともに、不意に体を揺さぶられる。それはもちろんカイルの仕業。
はぁ。やっぱり彼は予想どおり。思わず内心で舌打ちをしてしまうほどに煩わしい。
本当にあと少しだったのに。あとほんの少しで特定できたのに。彼が集中力を妨げたせいで、術が弾けてしまった。こうなってはまた一から術を組み直さなければならない。
「…カイル。邪魔をするなら今すぐ帰って」
心底不機嫌な表情で睨む。冷ややかな視線と口調。その鋭い威に一瞬臆するも、カイルも引きはしなかった。
「な…何言ってるんだよ! 皆が、仲間が危険な目に遭ってるってのに。何でユーナは何もしようとしないんだ!」
あそこにはシャオウロウだっているんだぞ! と、苛立ちを含んだ口調で更に言い返してくる始末。
普段の私なら、最もなその意見にもしかしたら、奇跡的に気分が乗ったのならば従った可能性も一縷の雫程度にはあったかもしれない。けれど、今の私はそれ以上にやるべきことが、果たすべき目的がある。
それに、彼らの護衛はシャオに任せてある。重傷は負わない程度にフォローするように命じてあるから、彼に任せておけば大丈夫。現に皆、軽傷で済んでいるし。
でも共闘しているため、シャオが本来の力を発揮できず十分なサポートが出来ていないのも現状で、彼自身にも相当な負荷をかけてしまっている。もちろん私も十分な力を出せないから、こうしてとても遠回りな気配察知の術を引いているのよね。
ここにカイルがいなければ、混乱に乗じてもっと容易い方法を取っているのはいうまでもないけれど。でも力を抑えているのが、どうやら幸いしたみたい。
回りくどい方法で相手の居場所を探知した甲斐があり、その場所は大体特定できた。その点ではこの煩い役立たず、じゃなくてカイルに感謝すべきなのかもね。もちろんそんなこと微塵も表には出さないけど。
「詠唱の最中なの。集中力を削ぐなら帰ってと言っているのだけど、それが分からない?」
今まさに術を行使していると伝えておく。もちろんそんな長い無詠唱なんてするはずないけれど、今までの時間ロスはそのせいだと説明でもしておかないと、いい加減煩いから。
ああ、でもあまり派手な術はやっぱり使えない。今の私は巫師として中の下。行き過ぎた力を使って後で困るのは私自身なのだから。
でも彼らをこのままにしておくわけにもいかないし、何とも難しい状況ね。やっぱり私とシャオだけで魔物狩りをした方が絶対に楽だった、と沸々とそう思う。
―――流るる時の下に。―――
すっと魔物に視線を向け、今度こそ無詠唱を唱える。もちろんそれは使った力を隠すため。この術は人に悟られるべきではないということは私自身が一番良く分かっている。
私は力のない巫師であり、現在までに行使した属性は光と風の二つ。これはカイルたちに見せたものの数で、当然彼らが見ていないところではそれ以外の属性も使っている。現に今、時属性の力を行使している最中。でもこれは無詠唱だから彼らは気づいていない。気付かせないからこその無詠唱なんだけれど。
実際に私がこの世界に来てから行使したのは光、風、闇、そして現在行使している時属性。でもこれは語る必要がない。いえ。もしその事を知られようものなら、一大事に発展してしまう。それは実力や正体云々の話ではなく。
巫師はどんなに優秀であろうと扱える属性は3つまで。これは掟ではなく、遙か古よりの決め事。それが人間の限界というべきなのかもしれない。
しかし、その決め事を覆す存在の私。まして全属性を使える人間なんて知られようものなら、大変な騒ぎになってしまうのは考えなくても想像がついてしまう。神聖視される存在か、はたまた畏怖すべき存在か。とにかく、人ならざる者だとばれる事と同じくらいに厄介なのは確かね。
まだ一応彼らの前ではこれが3つめだから、何も無詠唱はしなくてもいいとは思いながらも、中の下には過ぎた力。今の私は2つの属性を扱えるのが精一杯の巫師でなければ、ね。
『!?』
無詠唱によって発動した術で魔物の動きが鈍る。私が行使したのは時属性の移動術。移動と言っても、この場合は実際に移動するのではなく、時間の進みを変化させる。もちろん本来の使い方は実際に移動する術だけど。
私にとって時属性が最も相性がいいのは当然で、僅かな力でも高度な術の操作が可能な所は便利なのかも。事実、本来なら作動するはずもない小さな力でこれだけの効力を発揮した。
「シャオ!」
今のうちに負傷者を遠ざけるようにと指示する。もう二人も倒れているため、一度で運びきれない。私の術も注ぎ込む力が少ないため、それほど長くは維持出来なかった。
やっぱり限界で、ほんの数秒足止めしただけで効力が切れてしまった。
「ぐあ!」
「うあぁ!」
動けるようになった途端、術の効果に逆上した魔物が更に暴れ出し、新たに二人が鋭い爪の餌食となってしまった。
前に負傷した二人もそう遠くへは逃してやる事ができなかったし、これではただ状況が悪化しただけ。でもそれだけに留まらない。
「ダズ! レックス!」
「く、くそぉぉ!」
仲間を傷つけられたことに逆上し、エイブさんが無謀にも特攻に入る。しかし冷静さを欠いたあんな攻撃がまともに当たるはずがない。現に剣先を全て見切られてしまっている。
新たな負傷者をシャオが庇ってくれている。今のうちに何とか救出したいところだけど。
「エイブ!!」
負傷者に気を取られていたため、横にいたカイルの悲鳴に近い叫び声でハッとする。
「カイル、待って! 行っては駄目。気持ちは分かるけど冷静になって!」
「っ、だけど!」
ああ、もう。だからカイルは連れて来たくなかった。こうなる事が読めたから。フラーラさんを発見したときにも同じことをしていたし、急時に冷静さを欠くことが分かりきっていた。
彼を巫術で無理やり縛りつけ、必死に説得した。容赦なく縛り付けたのでカイルは少し苦しそうな表情を見せたけれど、でもそれくらいじゃないとこの無駄に正義感のある役立たずは納得しないでしょう。でも更に煩くわめいて煩わせるものだから、もうこれは後でシャオに制裁でもしてもらいましょう。今はこんなのの相手をこれ以上していられない。してるだけ時間の無駄。
「シャオ! 少しの間だけでいい。魔物の注意を引き付けて!
ディックさん、ティエ! 今のうちに負傷者をこちらへ退避させて下さい」
私の力で簡単に運ぶ事は出来たけど、この件を治めた暁に、彼らの記憶を吸い取る結果になるような事は極力したくない。私の力で彼らに術をかけるなんて。そんなの、そんなの絶対に嫌。良くしてもらった人たちを、そんな行為で裏切りたくない。
胸に抱いたその思いを軽く頭を振って即座に消し、カイルに指示を出す。冷静さを失いかけた彼だけど、退避してきたティエたちを見て我に返ったようね。負傷者の介抱に気を取り直して動き出す。
もしこの指示に従わないようであれば気を失ってもらうつもりだったけど、一応そこまで救いようのない愚か者ではなかったみたいね。
「貫く白き閃光は天より注ぐ暁の恩恵。爆ぜる漆黒の野分は大地をそよぐ大気の流れ。明滅の嵐を纏い、その刃を解き放て!」
これが今できる最大限の攻撃。注いだ力はやはり少なかったけど、一応それなりのダメージは与えられるはず。
「シャオ、下がって!」
私の声に、彼らしくなく一拍遅れて動き出すシャオ。その若干鈍い動きに相当無理を強いてしまったことを悟る。
ごめんね。本当にありがとう、シャオ。
でも今は。謝るより、労わるより、今すべきことをしないとね。
「導よ。導の灯よ。折り重なる風の加護を結びて我らを包む護りと成せ!」
先ほどよりは少し強力な結界、のはず。強い攻撃を受ければ破れてしまうけど、作戦を立てる時間くらいは保っていられる。
「くっ、ここまでやられるとは…」
「とても手強いな」
現状に表情を歪めるディックさんとティエ。ストラートさんもカイルも似たような表情だった。
「大丈夫です。まだ…、まだ手はあります。
ただし、これから私が言う事をしっかり守って行動してもらいます。それが討伐を無事成功させる鍵になりますから」
思った以上に強い攻撃を結界に仕掛ける魔物に内心舌打ちをしながらも、それを決して表には出さない。私が焦ったら隊の士気に関わるのは目に見えている。だからなるべく普段どおりの表情を貼り付ける。
不敵な微笑み。まだやれるのだと、まだ反撃する隙があるのだと。それを彼らに示さなければいけない。
「追い込まれた時こそ反撃のチャンスというものです。大丈夫、私を信じてください」
自信満々な笑みを浮かべる私の沈着な態度に、彼らの表情も幾分か和らいだみたい。これから話す作戦は冷静な態度で聞いてもらわなければ意味がない。でもこれなら、もう大丈夫。
さて。じゃあ、そろそろ説明に移りましょうか。
「作戦と言っても至って簡単なもので、囮による陽動作戦です」
そう。担当の区分は今までとさして変わりは無い。ただ、これからは私も本格的に攻める。
カイルの余計な行動のせいでせっかくの好機を逃してしまったからと言う理由が一番大きいけど、これ以上彼らに無理を強いる事は酷だという配慮もちゃんとある。
でも、ほぼ十割はカイルのせい。ほぼとは言わず、すべてこのカイルのせいね。本当に、後で首でも締め上げたいくらいに鬱陶しい。いえ、むしろ制裁は必然だと思って覚悟しておいてもらわないとね。ふふっ。
「決定打は私が打ちます。皆さんは合図があるまで持ち堪えて下さい。シャオはカイルと共にここで待機。私の指示で魔物を足止めして道をつなげて」
目で合図を送るだけでシャオは理解してくれる。うん、さすがね。
無言で了承するシャオに、戸惑った様子を見せるのは囮役の三人。私自身、かなり無茶なことを言っているということは十分に理解している。でも現時点における最善策はこれしかない。
ここまで残った無傷のこの三人は、かなり特化した腕前の持ち主たち。負担をかける事は申し訳なく思いつつも、彼らなら必ずやり遂げると信じている。そう。まずは信じる事こそが成功への鍵。彼らを信用しなければ始まらない。
それに、もし全滅しようものなら、これ幸いと闇に乗じて存分に力を発揮するだけ。私もシャオもどちらかと言えばその方が動きやすいのは確かなのだから。でもこれは最終手段。
「わかった。その役目、引き受けよう」
重い沈黙を破ったのは、覚悟を決めた様子のディックさんの声。私のそれより少し色素の薄い黒い瞳に強い光を宿している。
「私もそれに乗ろう」
「ああ。俺も依存は無い」
ディックさんに促されるようにティエもストラートさんも頷いて了承してくれる。
よかった。断られる可能性も覚悟していたから、しっかりとした了承を得られてほっとする。そろそろ結界の方も限界に近いし、そうと決まれば作戦開始といきましょう。
「さあ、反撃開始です」
お礼の代わりに合図を送る。感謝の言葉など、後でいくらでも言うことができる。今は目の前の事態に集中すべき。
ぐっと拳を握り、魔物に視線を移す。と同時に不敵な笑みを携え、私は駆け出す彼らを見送った。