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第一章・第二話 闇夜の失踪07.5

「おはよう、ティエ」

「ああ。おはよう」

 早いね、と愛らしく微笑むユーナ。我がルティハルトでは崇めるべき神の容姿を持つ可憐な少女。

「早いというならユーナの方だが、しかしカイルは一緒ではないんだな」

「え? ああ、うん。顔色が優れないようだったから、今日は休むように言って置いてきたの」

「そうなのか。それは心配だな」

「うん、本当に。大人しく寝ててくれたらいいんだけど…」

 心配そうに南の方角を眺めるユーナは、どう見ても14、5の少女にしか見えない。だが今話題になっているカイルやエイブよりも大人に見えるときがままある。

 凪の夜を映した漆黒の瞳で、全てを見通してしまいそうな深い眼差しを向けられると、とても落ち着かない気持ちにさせられる。

 本当に。本当に不思議な少女だ。

「ん? どうかした?」

 少し物思いに耽ってしまった私は、不意に静かになった気配に首をかしげる。

「エイブさん遅いなと思って」

 辺りを見回すその様子に、ようやくその考えに至る。確かに出仕時刻は既に過ぎている。

 彼はもの覚えの悪い一直線な性格ながら、時間に関してはきっちりしていたのだが。いつもカイルと口げんかをしてユーナや私を煩わせていた悪印象の中で、唯一評価できた点をも落としたのだろうか。

「あ、エイブさん!」

 またもや深く考え込んでしまっていた。いくら考え事をしていたとはいえ、この私が人の気配を読む事に遅れを取ってしまうとは。

 遠目で追えるかどうかの彼の姿を、いち早く捉えたユーナ。彼女は巫師として本当に素晴らしい才能を持っているようだ。

「悪りぃ。ちょっと腹の調子が悪くてな。遅れた」

 感心と関心。両方が入り混じる視線を、この漆黒の少女に向けながら私はエイブの言い訳を聞く。

「大丈夫ですか? カイルもそんなこと言ってたんですけど、二人で何か…」

 言いかけてユーナはハッとしてようにまじまじとエイブを見る。その穏やかな表情がみるみる変わっていく。表面上は穏やかに、それこそ花のように微笑んでいるように見えるが、はっきり言って怖い。傍から見ている私でも恐ろしく感じる。

 それはエイブ自身が一番良く分かっているだろう。表情を見るとひどく強張っている。

「…エイブさん」

 問いかける声音はより厳しい響きだ。これならいっそ罵声を浴びた方が清々しくて良い。

 こういう静かな怒り方をする者ほど恐ろしいものは無いのだ。私の知り合いにもこういった怒り方をする同僚が一人いる。彼女も由那と同じく、怒るととてつもなく怖い。

「な、んだ…」

 さすが野性の超感覚。この凄まじい彼女のオーラを感じ取っている。

 ユーナ自身は笑っているのに、私たちは笑えたものじゃない。なんて威圧感のある雰囲気だ。私が今まで出会った誰よりも鋭い威厳を持っている。

「拾い食いは慎んで下さいね。任務に支障をきたします。それと、今日は養生してください」

 はっきりと帰れと言わない辺りがすごい。私には『かえって邪魔になる』という副音声が聞こえた。

 出来れば空耳だといいのだが。

「わ、分かった。今日は…帰って体調を整える」

「ええ。ディックさんには私から報告しておきます」

「あー、いや。俺が直接隊長に申し出ていく」

 目を泳がせたエイブの理由が私は良く分かる。

 つい先日、ユーナがディック殿に直談判しに行った事を教訓としているのだろう。あれ以来、二人はもちろん私もユーナのこの表情を見たときは黙るようにしている。氷点下で冷え冷えと怒りを振り撒くその恐怖は何とも表現しがたい。

 彼女には逆らってはいけない。それを身にしみて悟ったエイブだからこそ、大人しく指示に従ったのだろう。しかし報告はまた別の話だ。

 たとえユーナが心から善意で言っていたとしても、体調管理を怠った自分たちをどう報告されるのか分かったものではない。今の状況だからこそ怖いものがある。

「? そうですか。じゃあ、大事にしてくださいね」

「ああ。悪りぃな」

 さっきから謝りっ放しのエイブの心情が手に取るように分かってしまう。

 今のユーナは本当に善意からのものだが、一度ああいったものを見せられては警戒もしよう。聡い者ならそれを避けて通るようになる。避けない者もいるにはいるが。

「幸い今日は町の警戒に当たる任務だし、私たちだけで頑張ろう。ただし、より警戒を怠らないようにしなければならないけれど」

「そうだな。気を引き締めて警戒にあたろう」

 比較的簡単な区分とはいえ、二人も欠員が出たのだ。これは気を抜けないな。無論、気を抜くつもりは毛頭ない。

「ティエ、行こう」

 自信の溢れた眩い笑み。それに促されるように私は歩き出した。





 カイルたちが居ないこともあり、道中の会話はユーナとシャオの出会いについての話となった。

 私は仕事柄飼獣を見慣れているが、これほどまでに見事な飼獣を見た事がなかった。そのため、半ば興奮して初日に色々と質問攻めにしてしまったが、その時ユーナはあまり語りたくないという様子で、結局上手く煙に巻かれてしまった。

 彼女は嘘は言っていないが、本当の事も言っていない。そんな曖昧な様子だったので、こうして改めて聞いている。

「そうなのか。ユーナとシャオはレンウェルで契約を」

「うん、そうなの。

 ……あそこは、すべてが白だった。

 人も踏み込めないほどの深き白銀の大地。抉れたように深い谷に、切り立つ高い山々。それらに隔絶された深い深い森の中。

 そこで、私たちは出会ったの」

 遙か昔を思い出すように遠くを見つめるユーナに、思わず目が釘付けになる。

 ユーナは私をよく誰をも魅了する気高さがあると言っているが、私はユーナにこそ合う言葉だと思う。彼女こそ、誰をも惹き付ける魅力がある。目を向けずにはいられない眩いほどの輝きが。

 まるであいつと同じ――。

「ティエ? どうかした?」

 不思議そうに訊ねてくるユーナに私は何でもないと言って首を振る。邪念の多い日だ。ただでさえ人員が少ないというのに、これではいけない。

 他愛ない話をしながらも一分の隙もないユーナに感心し苦笑しつつ、私はひどく歯痒いものを感じた。

 平時でこうまでもピンと張り詰めた気配。微笑みを浮かべながらも決して警戒を怠らないその姿勢。わずか17の少女が身につけるには些か過ぎた力だ。相当な境遇になければ備わるものではない。

 悲しい。と、そう思った。

 たとえその環境がユーナにとって辛くないものだったとしても、普通では得られる筈のないものを得るには、尋常ならざる時の流れに身を委ねていた証拠だから。


 私たちは本当に近しい。


 自らの境遇で自惚れているわけではない。しかし私はそう思う。恐らくユーナもそうだ。

 私たちはお互いのあるべき距離感を自然と保つ。ここまでならば大丈夫、これ以上は進んではならない、と。そういう類の線引きが常人より鮮明に分かってしまう。

 悪く言えば必要以上に他人に深入りしない非情な性格とも言えるが、距離感が保たれているからこそ良好な交友関係が成立する場合もある。私のような容姿を持ちながら国に仕える者は、特にそれが重要となる。

 過去の境遇が辛かった、辛くなかったと不幸自慢する気は無い。だが分かるのだ。私と彼女は見ているものが非常に近しい。感性が似ている。

「この通りは特に異常はないみたいね」

「ん? …あ、ああ。そうだな」

 まったく。今日は本当に集中力に欠いた日だな。

 そんな私とは対照的に、マイペースにも着々と仕事をこなしていくユーナを横目にため息を禁じえない。

「ユーナは…辛くないのか?」

「え?」

 気が付いたら自然と問いかけていた。

 しかし彼女の様子から、それほど大きくなかった私の問いかけを聞き取った風には見えない。私には幸いだった。

「え…何?」

 よほど周囲の気配に集中していたのか。ひどく呆けた表情でまじまじと見つめてくる。

「あ、いや。なんでもない。それより、早く見回ってしまおう。街中とはいえ、この辺りはユーナのような女性には危険だ」

 はぐらかすように頭を振る。だが今告げた事も真実。

 この通りの先。北の農道と町を繋ぐこの裏道を暫く行ったところは、失踪事件とは無関係に危険な場所だ。特にうら若き華奢な女性には危険な所で、そんな場所をユーナに歩かせるなんてもっての他だ。私のように剣術に秀でているならまだしも、どんな不逞の輩に襲われるか分かったものじゃない。

 それほど治安は悪くない町とはいえ、不届き者はどこにでもいるというもの。普段なら自警団が警戒するものだが、この緊急時だ。通常の警備は手薄になっていよう。

「え。でも、ティエだって女性じゃ…」

「へ? あ、ああ。それはもちろんだ。…い、いや。そうではなく、私はその…」

 なんと言うべきか。武術を身につけた私と全くの無自覚のユーナでは、襲われた時の対処が違う。などとはっきり言ってもいいものなのか。私は少々悩む。

 私はたとえ味方であったとしても、仲間を裏切った者は躊躇無く切り捨てる。命令ならば、肉親だろうが恋人だろうが、親しい友であろうが剣を向ける。国に仕えるというものはそういうものだからだ。

 己が仕える主の御為に。主を全てから守る。そのためにどれだけの非道をもする覚悟をこの胸に括っている。

 しかし。ユーナにはその覚悟はないだろう。まだあどけない少女の面差しを残したままの年頃だ。そんな酷な覚悟を背負えとはいえない。

「大丈夫。私は――。

 私は、やり遂げなければならない使命の下に。逃げることを許さない覚悟と、何者にも決して折られることのない信念をここに括っているの」

「――っ…!!」

 どう説明すべきか。そんな事を考えていた私の思考は、一瞬にして真っ白になった。

 ドンと胸を打つその強い拳。何者にも曲げられぬ不屈の笑み。その自信に溢れた表情。強い信念の中に悲壮感さえ垣間見えるほどの重く、強固な覚悟。その眩いほどに輝く魂の色――。

 なんと美しい魂をしているのか。その括られた覚悟の真意が分からずとも、彼女の本質、その強い輝きに魅せられてしまった。

 思わず息を呑むほどの、とはまさに彼女のような人を言うのだろう。視線を逸らす事ができない。

「だから、大丈夫」

 それにシャオもいるから、と自信に満ち溢れた笑みをこぼす。それに思わず息を呑んだ。

 そこにいるだけで全てを惹き込み、魅了してしまう王者たる資質。彼女は本当にそれを持っているのだ。

「ティエ。早く行きましょう?」

 手招くユーナに、私はハッとする。そうか。今、分かった。

 ユーナは私に似ているのではない。彼女はあいつに似ているのだ。私が全てをかけて守りたい人物。彼を守るためならば私のこの命などいくらでもくれてやる。そう、私に思わせたあいつに。

 あいつに似ているからこそ、私はこんなにも早くユーナと打ち解けた。ユーナに心を見せる事を許せたのだろう。



「…ティエ?」

 怪訝そうに問いかけるユーナは、まさにあいつそのものだった。その行動も思考も、本質さえ同じ。

 私はあいつに死んで欲しくない。そして、それはユーナも同じだ。その魂の輝きを、失わせたくないと思い始めていた。

 そのことが、ようやく分かった。

「どうかしたの?」

 カイルたちの例もあり、心配そうに覗き込んでくるユーナ。ああ、もう可笑しくなってくるじゃないか。

「いや…。何でもない」

 くすりと笑みを浮かべて返す私に、きょとんとした顔を一瞬さらしたユーナはすぐいつもの表情に戻る。いや。それどころか彼女も笑みを携えた。

「うん。それならいいや」

 にっこりと笑む彼女は何か察したらしい。そういう所もあいつとそっくりだ。しかし私もまだまだ甘いようだ。いくら聡いとはいえ、5つも年下の少女に心情を探られてしまうとは。

 でも不思議と嫌な気がしない。それは先ほど私が達した結論ゆえかもしれない。

 しかし。それ以上に、私が彼女を知りたいと思い始めた証拠だ。人を知るためには自分もそれなりにさらけ出さねばならないからな。でもまさか、この私があいつ以外に気を許してもいいと思える者に出会えるとは思ってもみなかった。それも、こうも自然に。

 加えて、ここの者たちも私のこの容姿にあまり偏見なく見てくれる。私にはこれ以上なく居心地が良い場所だったということだ。

 こうして気を許せる友人に出会えた。落ち着けると思える場所に出会えた。祖国に帰る日はそう遠くなかろうが、それすらも惜しいと思うほど、どうやら私はここに馴染んでいたらしい。

 願わくば暫しの安息を。そう心からの祈りを、私は祖国の神、暦道のイブリースに願った。


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