第一章・第二話 闇夜の失踪03.5
「おーい、カイル」
「げ…テッド」
午前中。子供たちに教鞭を取り、昼前に早々と帰ろうとしていた俺を止めた人物。そのなんとも煩わしい男の姿に思わず本音が漏れる俺。つぶやく程度で済んだ事をむしろ褒めてやりたい。
「お前今から帰りか?」
「………そう、だけど」
嫌な予感がする。ものすごく嫌な予感がする。けれど、本当の事を言ってしまう俺も俺だ。でも他に言いようが無いのだから仕方が無い。
「だったらさ、俺も一緒に行っていいだろ?」
「却下」
「はぁ? 何でだよ」
間を置くこと無くばっさり切り捨てた俺に、テッドは不機嫌そうに問う。そんな理由、決まってて言わせんなよ。お前が何で俺の家に行きたいかなんて分かってるんだぞ。
コイツは言わずもがな、その容姿に忠実すぎるくらいの優男。いや、たらしだ。
女と見れば誰彼構わず声をかけ、常に数人の女性を侍らせている。女たちの方がコイツに寄って来ているというのが正しいのだろうけど、でもなんかムカつく。
そして気に入った女性は絶対にものにする。何が何でも惚れさせる。悔しいが、確かにコイツが本気になって落とせない女はいない。
さて。そんなこの悪友が次にターゲットにした女性。そんなのを説明するのも泣けてくるが、実に厄介な事だ。
「あの子、カイルの家に滞在する事になったんだろ?」
「……………」
あの子。そんなの詳しく聞かなくても分かる。絶対にユーナのことだ。ユーナしかいない。
テッドはこの町のみならず、周辺の町の女性の名前は一通り頭に入っている。それどころか時折訪ねてくる吟遊詩人や旅人なんかの名前もしっかり記憶している。もちろん女性限定だけどな。
その記憶力を少しは学問にも向けてみろ、と俺は常に思う。色々と口もよく回るのだから、知識さえ身につければ国の要職をも狙えそうなくせに人生遊んで暮らしているこの友人が解せない。
「あのな、お前…今6人彼女いるだろ」
「古い古い。情報が古いぜ」
甘いな、と言ってテッドは首を振る。その仕草も作り物めいていて、何だか気分が悪い。町の女は何でこんな奴を好きになるのか分からない。
「俺は今フリーだ。彼女のためにこの席を空けてあるんだよ」
「………」
はっきり言って迷惑だと思う。と、そう思った心の声は表に出さないでおいた。何ていうか、コイツには突っ込むだけ無駄な気がする。
もう相手にするべきではない。そう判断して荷を纏め始めた俺だが、帰り支度をする俺を待つようにテッドはそこに佇む。コイツ、絶対ついて来る気だ。
「おい、テッ――」
「よう、バカイル!」
テッド。そう呼びかけた俺の声は、別の男の声にかき消された。彼はもう一人の俺の悪友、エイブだ。テッドよりはまだマシな奴だとは思うが、ある一点については大した差は無い。
「『バカイル』ってなんだよ、エイブ!」
「ああ? なんでこんな辛気臭い所にテッドがいんだ? お前、べんきょー出来ねぇだろ?」
「酷いな。確かにそれほど得意じゃないけどさ、お前ほど酷いわけでもない。それに、俺が辛気臭い所にいてもお前には関係ないだろ?」
俺の抗議を無視してテッドと話し始めるエイブ。ったく。酷いのはお前ら二人の方だ。
子供たちの学ぶ場所を辛気臭い呼ばわりとは、一体どれだけ腐った大人なんだお前ら。絶対に心ん中荒んでるな。いや、確実に荒んでいるのは見れば分かるか。
「俺はただ、この間カイルが散々迷惑をかけた子がこいつの家に滞在する事になったと聞いて挨拶をだな…」
「あ? こいつ、まだこんな馬鹿言ってんのか?」
「ホント。まったくなんだよな」
皆まで聞かずにエイブは俺に振り返る。いかにも面倒くさいと言った表情に思わず苦笑するが、俺も同意見なのでとりあえず頷く。
テッドの女好きは今に始まった病気ではないからな。
「まったく酷いな…。俺はただ挨拶をしたいだけだって。女性一人で旅をしているなら色々と苦労もあるだろうから、せめてここに滞在している間だけでも羽を伸ばしてもらいたいだろ?
それにエイブ。一人旅をしている彼女なら、色々な国の武道を知っていても不思議じゃないかもしれないぜ」
「なっ!」
こ、こいつ。エイブになんて事を。
俺は慌ててエイブを見る。あ、くそ。既に手遅れだ。
「色んな国の武道……。あー…、まあ、いんじゃね?」
照れたように、しかし確実に行く気満々のエイブ。それに満足そうに笑って俺を見るテッド。
最悪だ。
「……分かった。分かったよ! 会わせればいいんだろ。会わせれば! ったく、もう…」
心底不機嫌な俺はヤケになりながら返事を返した。
ああ、もう。どうにでもなれって感じだ。
「美しい黒髪だ。夜を映した絹のような艶。ヴェルディーテ海でのみ取れるという希少な真珠の様に輝く、キメの細かい純白の肌。その黒曜石の如き漆黒の瞳もとても素敵だよ。まるでルティハルトが崇めている時のイブリース様のようだ」
「…あ、えっと、ありがとうございます?」
「いや。お嬢さんこそが暦道のイブリースの化身なのだろうな。俺を虜にして離さない魅惑の君」
大袈裟な台詞に明らかにドン引きしてる。そりゃそうだろ。いきなり訪ねてきた男が胡散臭いばかりの仕草で言い寄ってんだもんな。
それよりお前誰だよって感じだろう。俺から見ても普段とキャラ変わりすぎだと思う。コイツはもっと、こう、『君、可愛いね。名前なんていうの? これからお茶にでも行かない?』って、感じだったはずだぞ。
でもま、ユーナは真面目だから、町の女性たちにやってるような迫り方しても無駄だと俺は思う。現に見事にかわされてるし。
あ。だからキャラ変えたのか。でも無駄だったみたいだな。
「嗚呼…。ここでジンの化身たるお嬢さんに出会ったのも何かの縁。良かったらこれから俺とお茶にでも行かないかい?」
「あ、はは。……まさかその本人だったり、なんて…」
「うん?」
「あ、いいえ。何でもないですよ?」
ぽそりと何かを呟いたユーナ。しかしテッドも、もちろん俺もエイブもその呟きを聞き取る事が出来なかった。でもこの様子じゃユーナは教えてくれそうに無いな。テッドもあんまり気にしてないし。
ったく。ホント自分の気になることしか興味ない奴だな。
俺が心の中で悪態をついていると、今まで隣にいながら一言も発していなかったもう一人の友人が口を開いた。
「おい。お前」
「…はい?」
「な! エイブ。お前、こんなにも可憐で魅力的な女性に向かってお前とは…!」
「うっせーな。たらしはだーってろ!」
うわ。ざっくり切り捨てたよ。でもまあ、一方のテッドも懲りてはいないから頭を悩ませるけどな。
「ちょっと聞きてーんだけど。お前さ、他国から旅をして来たってんなら何か特殊な武術とか身につけてんだろ?」
「特殊な武術…ですか?」
不躾な聞き方を咎めたりせず、ユーナはエイブの問いに冷静に答えている。俺なら初対面からこんな態度取られたら気分害するけど、さすが精神的に大人な姿勢。尊敬するよ。
事の成り行きを見守っている俺と不満そうなテッド。その視線を受けるユーナとエイブ。暫し沈黙が場を支配する。
そして。
「いいえ。私は特にこれと言って珍しい武術は身につけていません」
「あ?」
「へ!?」
予想外の回答。その驚愕の返事に俺も思わず声を上げてしまった。そりゃ、驚くだろう。
一人旅をしている若い女性が、このご時勢に何の術も習っていないって。そんなの襲って下さいって言ってるようなもんだ。魔物の巣の中に草食の飼獣を縄で縛って放り込むよりも危ない事じゃないか!
目をむいた俺とエイブの視線に、ユーナは苦笑して補足する。
「シャオがいるから大丈夫です。そもそも私は巫術を使うので、体術の類は苦手なんですよ」
確かに武術とはかけ離れた華奢な容姿だけど。いや。で、でもいくら腕の良い巫師だろうが、近距離において勝る剣術を避けるために武術を習う。それが当たり前のはずだ。ユーナだってそうじゃないのか?
ますます眉間にしわを寄せた俺の表情に気づいたらしいユーナは、にこっと微笑む。
「今まで無事だったんですから、大丈夫です」
ほわんとした微笑みに俺はぽかんと、エイブはひどくガッカリした様子で肩を落とす。でもコイツは学習能力無いから、次にユーナに会った時も同じ様なこと聞いてたんだよな、確か。
一方の悪友は暢気にユーナに視線を向けているし。この色ボケが。
「すみません。そろそろ夕食の準備をしないといけないので失礼しますね」
ぺこりと一礼するとユーナはキッチンへと姿を消してしまった。それを不覚にも引き止められなかった色ボケ男テッド、期待を裏切られて未だに立ち直っていない武道好きエイブ、そして呆然と立ち尽くしている俺は、言葉もなく暫く黙り込んだままだった。
「あ。もうお二人とも帰ってしまいましたか?」
「え? ああ、うん」
ユーナがキッチンに向かったことでこの家には興味の無くなったテッドと灰になったエイブはのろのろと家路に着いた。俺としてはものすごく清々した気分だが、何故かユーナは済まなそうな表情をしている。
「初対面なのに名乗りもせず、失礼な態度を取ってしまったと思いまして」
うわ。何て律儀なんだ。名乗りもせず口説き始めたテッドと、不躾に質問を投げつけたエイブの方がよっぽど失礼なのに。
でもあんまり慌ててなくて冷静だよな。普段と変わらず穏やかな感じだし。
「そんなの。あいつらの方がよっぽど失礼だったから、別に気にしなくてもいいと思うけどな。あいつらだって名乗りもしなかったんだしさ」
ってか、名乗らせる暇無かったじゃんか。
そう考えると、あいつら本当に失礼な奴らだな。
「それなら、いいんですけど…」
陽気に笑う俺に苦笑するユーナはまだちょっと腑に落ちないような顔をしながらも再びキッチンへと向かう。ホント律儀だな。
よし。俺は決めた!
絶対にユーナをあいつらに近づけさせない。あんな奴らの毒牙に妹みたく思ってるユーナを引っかからせてなるものか!
「カイルさん?」
「ん、あ、いや。何でもない」
思わず拳を握った俺を怪訝そうに見つめるユーナに拳を解いてひらひらと手を振って見せる。ちょっと情けないところを見せたが、まあ大丈夫だ、ユーナ。絶対に俺が守ってみせる!
心にそう固く誓った俺はまず、あいつら二人からどうユーナを遠ざけるかという対策を早速考え始めた。
それを食事中に考えていたせいでユーナや母さんにものすごく変な目で見られてしまったけど、俺は絶対にやり遂げる。
そう。必ずやユーナをあいつらの毒牙から守ってみせる。守ってみせるんだ!