第一章・第二話 闇夜の失踪02.6
「俺たちの国はこの南にあるクルド皇国。周辺各国に比べたら小国だけど、大国と引けを取らないくらい歴史が長い」
「これがクルド皇国ですね。レハスの町はどの辺りになるんですか?」
「この辺り。レハスはクルド皇国の極西にあるんだ。すぐ近くに国境がある」
俺は自国の地図を見ながらレハスの場所を指す。それを食い入るように見るユーナ。彼女がうちに滞在するようになってもう3週間が経つけど、母さんはまだしも俺にさえ敬語で喋る。その所作で育ちがいいのは分かるけど、母さん曰く、もっと普通に話してくれても全然構わないんだけどな。ホント。
「クルドは土のイブリース様を祀る国家で、とても信仰が深い国だ。国の基盤が宗教だといっても良いな」
「そうなんですか。土が肥沃なのはとても助かりますね」
にっこりと微笑むが、ユーナはレハスの町を全然知らない。何故ならユーナはまだ1度しか町へ行った事がないから。それも夕暮れ時の、母さんが調味料を切らしたとかで俺が町まで買いに走らされた時。辺りも暗くなりだしたから俺一人で行くつもりだったんだけど、折角だからと一緒についてきたのが最初で最後。それ以来は勉強に集中したいとかで自ら町へ行こうとは言ってこない。本当に遠慮なんかせず、もっと気楽にしてもいいんだといつも言いたくなるくらいだ。
恐らくその1度きりの町見学でそれとなく全体の雰囲気を掴んだのだろう。ユーナはさすが巫師であり、観察力にとても優れている。テッドやエイブですら未だに俺が本当にフラーラと付き合っているか疑っているのに、ユーナは俺が何も言わずとも恋人がいる事を見抜いた。母さんもこれには驚いていた。
ユーナ曰く、そんな雰囲気がしました。だそうだ。
「歴史なんかは昨日までに説明したのが大よそだけど、こうやって地図と照らし合わせると色々と見えてくるだろ? 本当はもっと早く地図を使って説明したかったんだけど、これでも教材だから借りるまで手続きが多くかかってさ」
「いいえ、そんな事ないです。カイルさんの説明はとても分かりやすいですから、そんなに困りませんでした」
「そ、そっか。なら…いいけどさ」
うわ。なんか、すごく可愛いな。俺にとってはもちろんフラーラが一番だけど、ユーナは別の意味で魅力がある。
しかし、見た目と違って本当に大人だよな。ユーナが17だって聞いた時はホント驚いたけどさ、最近それがよく分かる。一応俺の方が3つ年上だけど、明らかにユーナのほうが大人っぽいんだよな。何ていうか、こう、余裕があるっていうか。
頭の良さでは町の誰にも負けないつもりだったけど、ユーナの理解力の良さは俺の何十歩も先を行ってる。ホント、身長以外で勝てるところがない気さえするよ。
「この国は二つの国に囲まれた内陸の国なんですね。東の国は確かナトバルでしたよね。西側の大国は何と言う国なんですか?」
折角地図を広げているので周辺各国を覚えてしまおうと言うんだろう。ホントにすごい向上心を持ってるな。まあ、俺としても勉強熱心な生徒の方が教え甲斐があるからいいけど。
「聞いたことないか? キエトの巫師は新大陸が発見されてからルティハルトに仕官する者が増えただろ?」
「―――……」
ん? 気のせいか? ルティハルトの名前を出した途端、ユーナの動きが一瞬止まった気がする。
見た目はいつもと変わらず穏やかだけど、本当に一瞬、ユーナを取り巻く全てのものが凍りついた気がするんだけど。
「ユーナ?」
怪訝そうな声を出してしまったからか、ユーナは俺の声にハッとしたように首を振った。
一体なんだったんだろう?
「ごめんなさい。何でもないです。それで、その、ルティハルト…は、どんな国なんですか?」
笑ってるけど、なんか表情が硬いような。もしかして具合悪いとか?
俺がじっと見ていた事にユーナは微苦笑する。そして、別に具合が悪いわけじゃないですから、と俺が考えていた事を見事に言い当てた。
「ルティハルトって歴史が古い国家なんですよね?」
「あ、やっぱり知ってんだ。って、そりゃそうか。エルメティア大陸で1、2を争う大国だからな。同じく大国のザグスも強国だけど、ルティハルトは大陸のどの国よりも歴史が長いし。ちなみにザグスは極北のここだ」
「へぇ…。そうなんですか」
うん? なんか懐かしむような声に俺はつい首をかしげる。
「このザグスの隣、この国でシャオと出会ったんです」
「レンウェルで?」
「ええ。この両国の国境近くの森で。……そう、今はレンウェルと言う国なんだ」
「え?」
「あ、いいえ。何でもないです」
何だか語尾が聞こえづらかったけど、何だったんだ?
気になってユーナを見るが、もう彼女はそれに関して答える気は無いようで地図を見入っている。うーん。なんか気になる。というより、何か引っかかるんだよな。
ま、いいか。
「じゃあ、今日はこれで終わりにするか」
「そうですね。ありがとうございます」
品良く頭を下げるユーナに思わず俺まで頭を下げる。何だか毎回これをやってる気がする。
「じゃあ俺はこれを片付けてくるから」
「あ、地図を少し借りてもいいですか?」
「ん? ああ、まあ…少しなら大丈夫かな」
まだ詳しく見たいんだろう。しかしこの地図は、地形を把握するために作られているので国名が表記されていない。まだ各国の名前を知らないユーナが見ても分からないんじゃないかという気もするが、国の形を覚えるのにはちょうど良いのかもな。
俺から地図を受け取ったユーナは、まだ暫くここで見ていると言う。それに返事するように頷き、俺は資料を片付けるために部屋を後にする。
「この大陸も、随分変わったみたいね…」
「……?」
部屋を出る時、ぽそりとユーナの独り言が聞こえたが、あまりに小さい一言で俺は聞き取れなかった。
「ん、美味い!」
「ふふっ、ありがとうございます」
俺の素直な感想に、ユーナは嬉しそうに顔を綻ばせる。今日の料理はほとんどユーナ一人で作ったらしい。
あれから1週間が経ち、ユーナがこの家に滞在して明日でちょうど1ヶ月になる。勉強の方も驚くべき速さで吸収し、もう俺に教えることはほとんどないんじゃないかと思うほどにユーナは様々な事を覚えてしまった。
今日は町の子供たちに教鞭をとっていたため、ユーナは母さんと店番や家の大掃除をし、そして今テーブルに並ぶ料理を作ったんだそうだ。
仕事でまる一日つぶれる事は本当に稀で、普段は午前中で俺の仕事は終わる。ユーナがここへ来る前は午後の店番は俺がやっていたんだけど、最近店番をしなくてもいいからちょっと嬉しい。開いた時間だけ自分の勉強に当てられるし。
それにしても驚くべきは、テーブルに並ぶその料理がキャロフシュだということ。どんなに料理が得意な町娘でも、初めは誰もが失敗すると言うジンクスがあったはずなんだけどな。
母さんの教え方がいいのか、ユーナの腕がいいのか。
「ユーナは本当に器量よしさね。あたしですら初めてキャロフシュを作った時は失敗したもんさ」
「そんな…褒めすぎです」
俺と母さんの絶賛っぷりにユーナは珍しく狼狽している。いつもは何処で食事を取っているか分からないシャオウロウも、今日はユーナの作ったキャロフシュを食べに来ている。
こいつは飼獣なのにすごく気位が高くて、特に主人、ユーナに暴言を吐いた者には容赦がない。俺なんかは知らず知らずに失言して、良くこいつに噛み付かれている。もう散々だ。
「シャオ、美味しい?」
『―――……』
「そう。良かった」
ユーナはさすが巫師なだけあって、飼獣のこいつの言葉が分かるらしい。真偽の程は直接聞いたことは無いけど、この様子だし、恐らく間違いない。
それにしてもこいつ、レンウェルの出身なのか。飼獣も魔物も人間の作る国なんか興味ないだろうが、俺たちはそれを基盤として物事を計る。それが人ってもんだ。
「お前って北国出身なのに、こんな南へ来て暑くないのか?」
食事中に体に触ったせいか、有無を言わさず噛まれた。痛てー。今、絶対思いっきり噛みやがった。なんか俺に恨みでもあるのか、この飼獣?
「こら。駄目でしょ、シャオ」
めっ、とでも言いそうな視線でこいつを従えるユーナ。多少不満そうだったが、ユーナに怒られると素直に俺から離れた。まったく、ホント主人には忠実な奴だよな。
「悪かったよ」
あからさまに不機嫌なオーラを出すこの飼獣の雰囲気はさすがの俺にも分かる。
また噛まれるかもと思いながら、見た目どおり触り心地の良い毛並みを2、3度撫でて謝る。でも意外な事に、反撃は来なかった。
「大丈夫ですか?」
「何とか。まあ、もう慣れたけどな」
心配そうに噛まれた手を眺めるユーナに曖昧に微笑む。本気で噛めばもっと痛かっただろうし、こいつの鋭い牙があれば俺の手なんかたぶん簡単にもげるんだろう。それを考えると、結構手加減している事が分かる。
何だかんだと少しは打ち解けてきたのかもな。
さて、と。次はユーナの番だ。
「??」
気合を込めた強い笑みを浮かべて見る俺に、ユーナは当然不思議そうな視線を送る。それに曖昧に肩をすくめて見せ、俺は心の中でユーナに宣戦布告する。
絶対に俺たちに心を開かせてみせるからな、と。