第一章・第二話 闇夜の失踪02.5
「ハンナさん。今、いいですか?」
「ああ、ユーナ。なんだい?」
いつもの様に店先の掃除をし、いつの間にか店番までこなすようになったユーナのお陰で、こっちは溜まっていた家の隅から隅までしっかりと掃除が出来る。
まったく、ユーナの要領の良さには恐れ入るさね。
最初は掃除以外はてんで駄目で、金勘定どころか一般的な野菜の名前すらロクに知らない事に一体何処の箱入り娘かと心配したけど、この1ヶ月でよくここまでついて来れたもんだ。でも、東の島国では食物の名前も違ったもんかねぇ?
ユーナの出身地だと言う東の島国はキエト国ってところだが、キエトは昔からこの大陸の国々との貿易も盛んだったから全て共通語で通るはずなんだけどねぇ。それでもユーナは器量も要領も良く、今では息子より良く働いてくれるんさ。ホント、大したもんだよ。
もっと砕けた口調でも良いと何度か言った事もあるんだが、ユーナは家族にもこんな口調だと笑ってかわしてしまったんさよ。あたしは普通に話してくれても構わないんだけどねぇ。
おずおずと遠慮がちな態度。別に悪くないとは思うけども、ずっとこんな調子じゃユーナの方が辛いんじゃないかと心配になっちまうよ。
「あの。お願いがあるんですが、私にキャロフシュの作り方を教えいただけませんか?」
あまり頼み事をしないユーナが珍しくそんな事を言ってくる。だからちょっと期待してたんだが、なんだい、そんなことかい。真剣な顔をしてるからもっと重要な事かと思っちまったよ。
「何言ってるさね。そんなこと改まって言わなくとも教えてやるさね」
「本当ですか? ありがとうございます」
嬉しそうな顔に思わず顔がほころぶ。何ていうか、こう、猫可愛がりしたくなる子だね。
見た目に反して息子よりも精神的に大人だが、なんか危なっかしいんさね、ユーナは。しかしこの子が17歳だなんて聞いたときは本当に驚いたよ。見た目14、5にしか見えないからねぇ。
そう言やうちの馬鹿息子はユーナの事を12、3歳じゃないのか、とか馬鹿正直に言ってユーナの機嫌損ねさせてたねぇ。本当に馬鹿だよ。
妙齢の女が5歳も年下に見られたら、いくら穏やかなユーナだって怒るに決まってるってのに。現にそれから暫く、ユーナは馬鹿息子に不機嫌なオーラを出してたよ。それはそうさね。当たり前じゃないかい。
ユーナに暴言を吐いた馬鹿息子はシャオにガブリと噛まれてたっけさ。本当にユーナにべったりな飼獣だよ。見事なくらい飼い主に忠実さね。
「よし。ここの掃除が終わったら一緒に作ろうかね」
「はい。じゃあ手伝います」
本当によく機転が利いて動く子だ。うちの息子にも見習わせてやりたいよ。
しかしユーナは穏やかな雰囲気に似合わず、いつも己というものを律している。決して妥協を許さず、かと言って損得には拘っていない。このあたしですら歳が下でいるような気分にさせられる時がある。
本当に不思議な子だよ。素性は本人があまり話したがらないから聞かないけど、息子なんかはよくいらぬ事を聞いてはユーナを困らせているけどもね。まあ、その度にシャオに噛み付かれていて、今ではいいコンビさね。
手際よく作業を進めるユーナにそれとなく視線を向けるんだが、後ろを向いていてもその視線に気づいているんじゃないかと思うほどに隙が無い。いやはや。これが巫師ってもんなのかいね。
「ま、こんなもんかね」
久々の大掃除を終え、一つ息をつく。やっぱり家の中が綺麗になるのは気持ちがいい。心までも綺麗になった感じがするさね。
さて。それじゃあ、さっそくキャロフシュの伝授をしてやるかね。
「まずは下ごしらえが重要だよ」
「はい」
気合の入った瞳。この国、いやいや。この大陸全体に言えることだが、双黒の容姿を持つ者は珍しい。隣の国のルティハルトなんかじゃ位の高い神官やら宮廷巫師やらに僅かに居るって聞くね。崇めている神が神だからそれも分かるがね。
このクルド皇国は土のジンを崇めている。建国に際して初代皇帝様が土のイブリース様と契約を結んだとかで、確かに滅多な事が無い限り土地が枯れる事は少ない。その影響か何か知らないが、あたしら庶民や皇族の方たちも茶系の容姿を持つ者が多いんさ。たぶん土のイブリース様の恩恵を受けてるんだろうね。
一方のルティハルトは時のジンを崇めている国。暦道のイブリース様に愛されて彼の神と同じ双黒の容姿を賜る者は、皆総じて巫の力が高いとか聞く。あの抜けた馬鹿息子でもこう言う事はしっかりと覚え、そして町の子供たちに教えている。
だからと言う理由にはならないが、ユーナの力ない巫師云々は謙遜で、実は隠された力を持ちえているんじゃないかとちょっと思うんさよ。
「ハンナさん。下味を付けるのが少し難しいんですけど、こんな感じでいいですか?」
てきぱきと教えた事をこなしていくユーナは、ものの1ヶ月前まで料理をした事がないとは思えないほどに馴れた手つきで進めている。まったく。いい嫁になるよ、この子は。
あの馬鹿には勿体無いが、今息子と付き合っているフラーラは料理だけはあまり得意な子ではない。控えめなわりに聞き分けのない息子を上手く御しているところはすごいんだけどねぇ。
「そうさね。仕上がりは意外と濃くなるから少し薄味にしておいても良いさよ。うんうん。これなら良いんじゃないかい?」
一度教えただけで、ここまで正確な下味を付けられるなんてすごい才能だよ。あたしが教えた生徒の中で一番筋が良い。
「後はフッシュして煮込めば良いさね。あとで肉汁がたっぷり出るから、出来上がる頃には丁度良い味になる」
まだキャロキレの下ごしらえは一人じゃ難しいだろうからこれは手伝ったが、ユーナならあと2~3回も作ればもう一人でも作れるようになるさね。
その炊事もした事の無い、キメの細かい絹のような手で良くここまで出来るもんだよ。なかなか感心だ。
「折角だからハンナのスペシャルレシピの中から、キャロフシュに合う付け合わせでも作ってみるかい?」
「はい。是非!」
本当に感心だよ。ここまで向上心の高い生徒は今までいなかった。皆、キャロフシュを作るだけで一杯一杯だったって言うのに。これなら二品くらい教えてもすぐ覚えちまうかもしれないね。
要領が良いというのか、記憶力が良いというのか。巫師は皆こんなに覚えが良いもんなのかね? それともユーナが特別なのか。よく分からないさね。
そう言えば息子がユーナはすごく教えやすいとか言ってたね。それに、以前何処かで正規な勉学をしていたんだろうとも。それにしては妙に物を知らな過ぎる感があるがね。
しかし、言われてみれば変な話じゃないかい?
いくらキエトから来たにしても、一応キエトもこのクルド皇国やルティハルトと同じ中央大陸の地域に入る。中央大陸と言っても南の大陸が発見されて初めて他の大陸がある事を知ったあたしらだけど、この世界には5つの大陸が存在するって事は古の伝承で伝えられてきた事。何で先人がそんな事を知っているのかなんて分からないが、確かに南方大陸アナンシアは存在したわけだし、他の3つの大陸も恐らくあるのだろうとあたしら庶民でも騒いだもんだ。ここは中央大陸エルメティアって名称さね。
エルメティア大陸の国々は、北にある一国を除いて他国との交流が盛んなんだし、島国のキエト出身でも巫師なら大陸の歴史くらい耳にしていてもいいはずだけどねぇ。それ以前に、物の名称や国の名前は一般常識じゃないかい?
巫師って言うわりに変な所で物を知らないんだよねぇ。ユーナは。
ああ、でも大陸が5つ存在する事は知っていたね。やはりキエトでもアナンシア大陸の発見は騒がれたってことだろうねぇ。
「ユーナはアナンシアには興味ないのかい?」
「…え?」
ちょっと唐突すぎたかね。付け合わせをレシピ通りに読みながら作っていたユーナは首をかしげながら2、3度瞬きしている。
「ほら、南の新大陸さね。キエトからわざわざ巫術の修行に来るって事は、やっぱり古の伝承にある五大陸にも知識があるんだろ?」
アナンシア大陸の発見に伴い、島国であるキエトからも巫師が多くエルメティア大陸に渡って来て、ルティハルトなどの大国に仕官したと言う例を多く聞く。そりゃもちろん、大国だからこそ新大陸との貿易も盛んになると見越したんだろう。
現に、大陸の南に位置する大国ルティハルトが最もアナンシアの国々と貿易が盛んになっているのは言うまでもないさね。クルド皇国は四方を他国に囲まれていて、自国の港は無いからそれほど盛んではないがね。
「そうですね。アナンシアには友人がいますから。あ…、い、いえ。その、えと、キエトからも何人か大国に仕官した知り合いの巫師がいて…」
「もしかして、その友人ってのは恋人かい?」
物思いに耽る様子を見せるユーナにちょっとからかいを含んだ声で聞いてみる。しかし返ってきたのは意外にあっさりした反応で、聞いたあたしの方が言葉に詰まらせたよ。
「いいえ。とても長い付き合いの女性です。姉妹と言ってもいいくらいに親しい友人なんです」
懐かしそうにその女性の事を思い出すユーナ。その表情を見れば、どれだけ懇意な間柄の友人だったのか覗える。
そうか。親友、か。その人にはちゃんと自分をさらけ出しているようで安心したよ。いずれはあたしたちにもそうなって欲しいものだがね。
「そろそろキャロフシュの具合を見た方がいいですよね」
思い立ったようにぽんと手を鳴らすと、ユーナはそのまま話を打ち切った。これ以上は話したくないんだろう。ま、仕方ないさね。
嘆息を返してみたが、ユーナはそれに耳を傾ける様子はなかった。聞こえないのか、聞こえていないフリをしているのか。どっちにしても、料理に集中しなけりゃいけないのは確かだがね。
「どうですか、ハンナさん」
4つ作ったキャロキレの1つを切り分け、ユーナは緊張した面持ちで聞いてくる。
さて、どれほどの仕上がりか。
「うん。良いじゃないかい。初めてにしては良く出来てる。味もよく出てるさね」
「本当ですか!?」
「こりゃ良い嫁になれるよ」
「え、あ…ありがとうございます」
ちょっと照れくさそうなユーナ。そうは言っても、この町にはお勧めできる男どもがあまりいないがね。むしろレハスにはロクな男がいないさね。軟派で女たちを侍らせてるテッドや武道が好きで女を省みないエイブ。もちろんうちの息子もあんなだから無理だね。
ディックは身持ちが良さそうだけど既婚者だし、たとえ未婚でも年が離れすぎだ。ユーナとは親子にしかならないだろうね。ストラートがいるにはいるけど、頭の固い男と一緒になると苦労が多いからねぇ。
まあ、とにかくいい男性と結ばれて欲しいもんさ。気分はもうユーナの母親さね。
「変な男に引っかからないように気をつけるんだよ、ユーナ」
「え? あ、えっと…はい、そうですね。分かりました」
本当に大丈夫かと心配になるよ。これなら、見た目はおっとりしていても中身は意外としっかりしてるフラーラの方がまだ安心できる。どうもユーナは恋愛方面に疎いからねぇ。
でも安心おし。あたしの目の黒いうちはユーナに悪い虫は決して近寄らせはしないよ。