第一章・第一話 再びの大地04.5
「今日から隣の席だね。よろしくね、新島さん」
「………」
四年生になってクラス替えをして1ヶ月。名簿順の席から初めて席替えがあったというのに、よりにもよって何でこの子なのか。私は神様を恨む勢いだった。
私は新島佳奈。勉強はあまり出来ないけど、ピアノに関しては誰の追随も許さないテクニックとプライドがあった。でも。それを見事に打ち砕いてくれた人物こそが、この宮永由那という生徒だ。
「新島さんってピアノ上手よね。私も家の教育方針で習ってはいるけれど、あまり上達しなくて」
ふん、よく言うよ。私のプライドを粉々にしたくせに。
彼女は先生や生徒からも評判の優等生という人種だ。勉強は常に満点の成績だし、スポーツも万能。見た目も性格も良いし、小学生のクセに英会話も習っているらしい。しかもペラペラだとか。
ピアノに関してしか能の無い私と比べたら、その差は歴然だろう。
去年までは別のクラスだったからその腕がどれほどなのかなんて気にしてなかったけど、同じクラスになってしまったからには気にせざるを得ない。それは音楽会でのピアノ伴奏のことだ。
6月末にあるそれに向けて、そろそろ各クラスでも練習が始まっている。もうじき伴奏者も決定されるだろう。
「ねえねえ由那、聞いて。音楽会の曲ね、今年は皆で選曲するんだって先生が言ってたよ」
「え、理美。それ本当?」
「ホントだよ。それで、由那と新島さんにそれぞれ意見聞きたいって」
彼女は平林理美。宮永由那よりは劣るものの、彼女も中々の才女だ。二人はとても仲が良い。話している内容も他のクラスメートよりも大人びている感がある。やっぱり頭が良い者同士の会話は少し違うんだろうか。
それにしても、平林さんは追いかけても追いつく事の出来ない才能を持つ相手と一緒にいるのは嫌じゃないのだろうか? 私なら嫌だ。自分の限界を否応無く感じさせられてしまう相手なんて。
「そう。じゃあ何曲か選んでおかなきゃね」
「頑張って由那。あ、新島さんもガンバね」
「…ありがとう」
とりあえずお礼を言ってみたものの、その視線は恐らく冷たいものだっただろう。だって当然だ。敵から塩を受け取る義理は私には無い。
ああ、ムカつく。何でこんなにムカつくのか分からないけど、すごくムカムカする。別に気にしなきゃ良いのに、何でか気になってしまうのもムカつく。
どうせ選曲しても選ばれるのは宮永由那の方だって分かっている。優等生で容姿も性格も良い彼女はクラスの人気者だ。彼女自身は大人しいから皆あまり主立って声をかけようとはしないが、話をしたい女子も男子も多い。特に男子は狙ってるんだろうな。何とかして話しかけるチャンスを。
くだらない。ホント、くだらない。彼女の選曲が選ばれるのは明らかなんだから、私に選ばせなくても良いじゃないか。何もクラス全員の前で恥をかかせるなんて。
まだ選んでもいない結果に悔しがる。だって決まっているものだ。結論が出ていなくとも覆す事の出来ない結果だ。
「…新島さん」
顔を歪めていたのだと思う。心配するように宮永由那が顔を覗き込んでくる。私にまで良い人振らなくても結構だよ、優等生め。
「まだ結果は出てないし、私が選んだ曲になると決まってる訳じゃないと思うよ」
「!」
真摯な瞳。睨むように鋭く私を射抜くその視線。彼女は決して睨んではいない。でもその視線は私を射抜いていた。鋭利の刃物のように鋭く、私の心を。
見抜かれていた。それを悟った私は何とも言えない焦燥感に駆られた。
彼女は全てを見透かしている。私がどんな風に思っているかも、なるべく関わらないようにしていたのも。全て分かっている。
「私はあなたに勝つ選曲をするわけじゃない。皆が歌いやすくて楽しめる曲選びをするつもりだから」
「……っ」
負けた。完敗だ。力ない微笑みを浮かべたが、それすらも悟られていただろう。
そう、彼女は勝ち負けになどこだわる人ではなかった。むしろ順位の付くものが嫌いなのかもしれない。だから余計に私に過敏になっていたのだろう。
そんなことを今更ながら思い知った。
私はそれから彼女を観察するようになった。毛嫌いして避けていたが、よくよく見るようになって少しずつ彼女と言う人物が分かってきた気がする。
彼女は意外と要領が悪い。いや、要領は良い方だとは思うが、優等生ゆえによく頼まれごとを引き受けてしまう。そう。彼女はお人よしだ。
聖人君子なんて言われて宿題を写させてやったり、勉強を教えてやったり、週2日あるクラブ活動で数多くの運動クラブに引っ張りだこにされたり。先生からもアンケートの集計を手伝わされていたり、皆が解けない問題は良く当てられていたりする。遠足なんかでは必ず班長をやらされていたりするのだ。
それを思うと彼女は損な役回りだと思う。嫌がらずにこにこと彼らの相手を良くやっていると思うが、その内心では何を考えているのか分からない。本当は面倒くさく思っているんじゃないだろうか?
これは推測だが、何だか彼女はすごく人的操作が上手い人間なんじゃないかと思う。何だかんだと彼らの相手に疲れさせられてはいるが、必要以上には人を寄せ付けていない。それは上手く彼らを御しているんじゃないかと思う。
何故だろう。彼女を知れば知るほど優越感に浸っていく。とても満足するのだ。
あれほど彼女の存在にムカついていたというのに、それも妙な話だと思う。それでも以前のように嫉妬めいた感情は無くなった。
嫉妬。そうか。私は彼女の存在に嫉妬していたんだ。その存在を知らない事にも。
ああ、やっと納得した。私は宮永由那を敵視していたわけじゃないんだ。ただ彼女を知りたかった。彼女の力を知って、そして本当は友達になりたかったんだ。
「おはよう、新島さん」
「…おはよう」
彼女は変わらずの微笑みを浮かべていた。
あはは。やっぱり悟られてしまった。私がようやく納得がいったことに。
恐らくこれまで観察していた事も知られているな。知ってて知らぬふりをしていてくれたんだ。きっと。
「ねえ、宮永さんは…」
「由那で良いよ。佳奈ちゃん」
「じゃあ呼び捨てで良いよ、由那」
にやりと笑う。何だろう。とても晴れ晴れしている。心地いい。
結局、選曲は由那が選んだものになった。けれど、以前のように由那に対して嫉妬心は起こらなかった。
それから暫くして平林さん、もとい理美にあの事を聞いてみた。すると彼女は『何言ってるの。由那といるからこそ私の見解も広がるし、とても楽しいんじゃないの。分かってないなぁ、佳奈は』とか言ってデコピンされた。
そっか。と、それに納得する私はとても変わったと思う。
そうだ。確かにそうだ。由那といると楽しい。それに私も技術を高め合える友達がいる事は嬉しい。はぁ。本当に、何で今まで気づけなかったんだろう。それが悔しいな。
「伴奏者はもちろん佳奈だよね」
「え!? 由那がやるんじゃないの?」
「私は指揮者だよ。来年も再来年も、ね」
そう言って由那はにっこりと何かを企むような微笑みを浮かべる。
彼女と付き合い始めて分かったこと。それは、実は由那はとても黒いと言うことだ。何となく感じていた事だが、事実だったようだ。
理美なんかは『それが楽しいんじゃないの』とか言ってるが、聖人君子の正体を知った私は少なからずショックを受けた。と思いながらも、しっかり納得してしまった私も私か。
これは後から知ったことだが、彼女の家はすごいお金持ちだが深い家庭事情を抱えているのだそうだ。それは真っ黒い由那がニヒルっぽく笑いながら説明してくれた。彼女は家も両親も嫌いなようだ。
今では事あるごとに憂さ晴らしされる関係。当初考えていたものとはずいぶんと違う一面を知る事になったが、それでも楽しいと思うほどには由那が好きになっていた。
何だかんだと言いながら、結局は良い友人関係を築けていたのだ。
「何見てるの、佳奈」
「ん? これ」
「あ、懐かしい。これって小4の音楽会の時のだよね」
「そう。机の中整理してたら出てきて。懐かしいから持って来ちゃった」
今日は由那の誕生日デートで、彼女が行きたい店を片っ端から入っている。今では有紗も加えて4人になった私たちは、あの頃と変わらず一緒だ。たまに喧嘩になっても、最後は結局由那の一人勝ち。それも相変わらずだ。
小休憩のためにファーストフード店に入った私たちは、私が持ってきた懐かしいアルバムを見ている。お嬢様の由那がこういう所に入るようになったのも、私たちが色々と連れまわした結果だ。
特に有紗は由那の報復にもめげずに色々と連れまわしている。私や理美では考えられないことだが、彼女がいるおかげで更に楽しくなったのは言うまでもない。それに被害の矛先がいると、あまり弄られずに済むし。
「この頃は面白かったよね。佳奈が」
「!? な、わ、ちょ…! 何でそれを蒸し返すの!」
油断していただけに、私は椅子を倒すほどに勢い良く立ち上がる。その反応を待っていたかのように由那はにっこりと微笑む。
「すごく面白かった。私に嫉妬してつんけんしてる佳奈。それってツンデレって言うんだっけ?」
「う、うるさいっ! あの頃は若かっただけよっ」
「ふふふ」
彼女は愉快そうに微笑む。こんな所にいるのに、その服装と相俟ってまるで夜会にいる令嬢のように上品で清楚だ。ただ本心は相変わらず黒いが、彼女の母親は可憐さを狙ってこの格好をさせているのだろう。それはちょっと納得かな。
まあ、朝の不機嫌さに比べたらこうしてからかわれていた方がまだマシかな。あれは本当に怖かったからね。
「午後はあの店と、あっちの店を見るからお願いね」
「ラジャー」
私も理美も有紗も同じような反応で了解する。
それから午後も変わらず彼女の行きたい店を巡って時間が過ぎて行き、私はピアノのレッスンがあるので結局最後まで一緒にいられなかったけど、何だかんだ言って楽しい一日だった。
あの頃には考えられないほど仲良くなった私たち。これからもこのまま仲良くやって行きたいと思ってるからね、由那。






