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第一章・第四話 リスクードの湖畔08.5

 今朝は珍しく客人も来ているから、と適当な理由を付けて執務室を抜け出し――ではなく、小休憩を得た私は、軽く気晴らしがてら庭園へと足を延ばしていた。

 リスクードの湖畔を臨むこの庭園は、王宮の格式ばった、全てが作り物めいた景色を眺めるよりもずっと有意義なものだ。特に、この青い花。近年貿易などを親しくするアナンシア大陸随一の巫術大国と名高い、ラスぺリアル国原産の可憐で美しいポーリアという花。昼と夜とでは、その佇まいをがらりと変えるこの花々を、私は特段気に入っている。

 それは私や弟の左目、そして今は亡き母上の瞳の色、アズライトの澄んだ青と同じ。肖像画で拝する初代ルティハルト王である英雄王レガートも、この花とよく似た瞳だったとされている。

 賢君としてルティハルトの基礎を築いた初代国王。その先祖返りと家臣たちから言われる私としては、この瞳は誇りであり、そして、私を捕らえる重き枷としても役割を担っていた。ああ、いや、過去形ではないか。

「とても素晴らしい庭園ね。どこかの放蕩親たちの趣味を思い出す、あの庭そっくりの滑稽な風景」

 どこか冷めた声音。はっきりとではないが、何となく聞こえたその声は、恐らく昨夜から私の賓客となった少女。

 自称、ラウトルグ出身の旅の巫師ユーナ。

 昨夜の説明を聞いた限りでは、その素性がどうしても怪しく思えてならないのだが、何やら並々ならぬ事情アリといった様子は見受けられる。

 行動にいちいち制限がある王族の身であり、側近や交友関係など、私に接触する者たちは例外なくその氏素性を明らかにしなければならないのだが、私個人としては、あのように幼い少女から無理やり口を割らせるなど手荒な真似は極力避けたものだからね。エフィナもその意見には賛成のようだし、彼女がこちらに敵意を向けない限りは、非道な手段を使わないという方向でほぼ決定でいいだろう。

 しかし、だからといって他国からの間諜と疑わしき人物を野放しにするわけにもいかず、ある程度は警戒しながら手の内に留めておくといった処置を取ってはいる。

「こぞ…? あ、本当。フィスフリークさん」

 彼女に寄り添う白い毛皮の塊、確かシャオウロウという名の美しい飼獣の視線を感じる。

 あちらも私の存在に気づいたらしい。

 ユーナよりも早くに気づいたのは、恐らくその鼻で察したか。あの手の飼獣は、匂いには敏感だろうからね。

 しかし解せないな。今のあの素振り。彼がユーナに視線を向けただけだというのに、その意思をすんなり理解した様に見えた。吠えもせず、何の音も立てることのなかった獣の意思を、即座に読み取ってしまうなど常識では不可能なことだ。これが竜族なら、彼らが人型を取ることで、または特定の巫術を介して意思疎通は出来るけれど、彼は正真正銘の獣だからそれは無理だ。術の気配も感じられなかったし、それに何より、もし彼女と飼獣が術を使って会話をしていたのなら、エフィナと同位、いや、彼女はわが国が誇る最高の巫師以上の才能の持ち主と言える。他者と意思を通ずる術は極めて高度な巫術だとされているからだ。

 ふ、彼女は本当に関心が尽きないな。

 ただそこにいるだけで、意図せず疑問を生む宿命を負っているようにさえ思えてくる。


「おはよう、ユーナ。…と、シャオウロウだったか? 昨日はよく眠れたか」

「おはようございます、フィスフリークさん。ええ。とてもぐっすり眠れました」

 自然な素振りで、私は彼女らに近づく。まさか彼女を探っているなど、悟られる訳にはいかない。口調も家臣たちを相手にする時と同様のものにしておくに越したことはない。

 そしてふと、艶のある優美な黒髪と同色の、どこまでも深く、底の見えない漆黒の瞳を見つめる。

 時のジンである暦道のイブリースを崇拝するわが国では、崇めるべきその姿。双黒と見れば、誰もが神の化身として頭を垂れる容姿を持つ、まだ幼さを残す可憐な少女。肩の辺りでそろえられたその髪は、ルティハルトではまだ少し珍しい。

 エルメティア大陸で最古の歴史を誇るこの国は、女性は長い髪が当然だという風習がある。今はそれほど厳しい体制ではないものの、まだそういった考えに固執する者が少なくないのも確かで、特に貴族の令嬢や王家に仕える者は髪の長い女性が多い。

 伝統は伝統。それを守り伝えることに異存はないが、伝え継ぐことばかりに囚われすぎて口うるさく騒ぐ者たちほど煩わしい存在はないと私は思うよ。特に、頭の固い古参連中は小姑のような喧しさだ。

 ああ。少し論点がずれてしまったな。

 内心で苦笑を零し、再び目の前の少女へとその意識を戻す。何やら私以上に考え込んでいる様子が気にかかる。

「どうかされたか?」

 問いかけにハッとしたらしく、すぐさま表情が飾られた。少しぎこちない笑みが何かを打ち消すようにして返される。

「いえ。少し朝日が眩しくて…。

 それより、とても素敵な庭園ですね。色鮮やかな風情をみせる花々に、青々と力強く茂る木々。朝日を浴びてきらきらと輝く湖に、その反射を映すこの庭園も。本当に綺麗」

 少し視線を外し、私から背を向けるように二、三歩庭の方へ足を運ぶ。両手を合わせ、美しい庭園に心躍らせる仕草を見せる彼女に、苦笑を漏らしたのは私の方だった。

「この庭園は少々珍しい品種の花を栽培している。南のアナンシア大陸にあるラスぺリアル国という国が原産で、月下に美しく咲く青色の花、ポーリアなどが特に見事だ」

「月光の下で? それは素敵ですね」

 今度はごく自然な微笑み。花を愛でる女性の表情は特に美しく、とても鮮やかで可憐なもの。

 その横顔を見れば、彼女の言葉が偽りか真実であるかが知れる。

「ユーナさえよければ、今宵の夕餉の後に鑑賞会を開きたいと思うが。どうだろうか」

「え? …ええ、是非。喜んで参加させていただきます」

「そうか。それはよかった」

 振り返ってにこりと花のような微笑みを浮かべるそれにつられ、同様に笑みを返す。

 たとえ、その微笑みの下にどんな思惑が隠れていようが、今は穏やかであればいい。それに、不思議と彼女のはあまり気にならない。

 笑みを綻ばせる視線の先を追うように、私も自然と庭の方へ目を傾けていた。





「ふ……」

「? どうかされましたか、フィスフリーク様」

 執務室で、今回起こった事件の報告書など諸々の処理を片づけていた私は、つい思い出し笑いをしていた。

 それはもちろん、銀の殺戮竜、ギガルデンという名の竜族を友人にもつ彼女、ユーナの事について。

「いや。ちょっとね」

 執務中に私情を交えることはあまりない私を見るエフィナも、やはり察しはついているようで、問いかけとは裏腹に口元には苦笑を浮かべている。

「昨日の朝、其方がウィラを迎えに出払っている時、彼女と朝食を共にしたんだが」

「はい。部下からも、そのように聞いております」

 何でもない事のように静かに頷く。さすがに耳が速い。

 いや。やはり自身の不在の間、まして『あんなこと』が起こった直前の私の行動は、すばやく把握しているのが臣下として当然のこと、か。

 実はあの時、彼女は近隣の町に身を隠していたウィラを城へ呼び戻すために私が遣わせていた。

 そもそも、この城へ休暇を取ってまで来た理由が、まさかあの竜の攻撃から王都を守るためだとは彼女は知らないだろう。弟が、ウィラが犯した竜族殺しという罪の代償が、まさかあの悪名高い銀の殺戮竜を呼び寄せることになるとは私も想定外の事態だったし、彼の竜はただの人間が説得できるような相手ではないから、本当に困り果てていたものだった。

 そんな時に彼を諌められる人間が現れて、これは誤解を解く好機だと思って弟を呼び戻したのだが、少しタイミングが合わなかったらしく、少々大変な事態になってしまったが。まあでも、結果的には丸く収まったからよしとしよう。

「その時に、彼女に普通の口調で話してほしい、とわざわざ言われてね。私はあなたの臣下ではないし、この国の国民でもない。王族の賓客だと言っても正式な客人ではないから、とね」

「それは……、手厳しいですね」

「私もまったく同じ言葉を返したよ」

 頬杖を付き、くすりと笑みをこぼす。長年行動を共にしているせいか、エフィナとは思考が近いものがある。側仕えを始めた当初は、彼女が私に合わせていただけなのだろうが、今はたぶん違う。

 現在は私の行動を制限、というよりも掌握しておきたいのだろうね。私の行動を把握し、先読みしなければ護衛などやっていられない、と。

 良い意味で、というより悪い意味での方が強いかな。私は、何かと不真面目な人間だから。

「ユーナには、簡単に私の本質を見抜かれてしまったよ。隠せば隠すほど、偽れば偽るほど、煙に巻いたはずの綻びが露わになってしまったんだろうね。そこを難なく見つけ、鋭く突いてくる彼女は本当に見事だった。まったく、恐れ入ったよ。家臣たちですら私の素の顔を知らない者が多いというのに、本当に一介の旅の巫師にしておくには惜しい人材だ。見た目の幼さに騙されていたら痛い目に遭いかねない。

 でも、なんだろうな。不思議と嫌な感じはしないな。とても不覚なことなのに、それでも不本意だったと悔む気になれない。ばれてしまったのが当然だったと諦めてしまいそうになる。……まったく、何故だろうな」

 最後の言葉は、私自身の心に向けた一言。

 つい漏らしてしまったのは、たぶん。この答えの出ないもやもやとした、薄くかかった霧の正体をエフィナに晴らしてもらいたかったからなのかもしれない。

「さあ。私には分かりかねます」

 しかし、私の臣下はそう簡単に言葉をくれることはなかった。

 分かっているのか、本当に分かっていないのか。言葉少なく、適当な受け答えが実に彼女らしいものだ。

 こうくることは想定内だったとはいえ、思うとおりに行かない事態が少し腑に落ちない。腑に落ちないはずなのに、妙に可笑しく、とても愉しくも思う。

 ふ。今の私には、程良い刺激なのかもしれないな。


「エフィナ」

「はい」

 少し佇まいを正し、定位置について書類整理の補佐を始めたエフィナを眺める。

 顔を上げず、手も止めずに答える仕草が実にらしいが、私も良くやることなので今さら咎める者もいない。むしろ注意される側だろうな、私は。

 そんなことを思って少し息をつく。あまりに間をあけすぎたせいか、怪訝そうに顔を上げたその空色の視線を受けながら、私は自分の中で決定した事柄を告げた。

「私は、彼女を連れて行くよ」

「分かりました」

 二つ返事。実に潔い。

 だが。

「……いいのか?」

 彼女を最も警戒していたエフィナ。その素性にこだわって渋るだろうと思っていたのに、こんなにもあっさり了承するとは思いもしなかった。

「ええ。フィスフリーク様のわがままを今さら咎めても、労力の無駄なことくらい心得ていますので。…ですが、彼女に不審な行動がみられるようなら、私は容赦なく尋問させていただきます。これだけはお忘れなく」

「はぁ。分かっているさ。ふふ。じゃあ、そんなことにならないよう、せいぜい気を付けるとするよ」

「ええ。是非、そうなさって下さい」

 さすが隙のない。これは喜んでもいいのだろうか、ちょっと複雑だ。

 まあでも、これで遠慮なく職権乱用、ではなく、彼女を王都に招待出来る。そして、いずれはその謎も――、なんてことはまだ分からないがね。

 笑みも深く、おもむろに窓に目をやる。もうとっぷりと暮れた夜空を眺め、少し不気味にも私は決意を新たにする。


 謎多き彼女を、簡単に手放すつもりはない――と。


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