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【心理の天秤】――人間理解による行動予測  作者: 天秤座
第2章:個人の行動を決める天秤
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第12話 未経験の状況でも人は無秩序には動かない


 人は、初めての状況に置かれた時、どう動くのか。


 経験したことのない場面。

 予想していなかった出来事。

 判断材料が少ない状況。

 何が正解か分からない問題。

 これまでの経験では対応できない危機。


 そうした状況に置かれると、人は混乱する。


 しかし、混乱しているからといって、人は完全に無秩序に動くわけではない。初めての状況であっても、人は何もないところから反応を作っているわけではない。過去の類似経験、恐怖、好奇心、慎重さ、攻撃性、逃避傾向、自己保存、周囲への依存、過去の成功や失敗が働き、その人なりの反応が現れる。


 つまり、未経験の状況でも、心理の天秤は働いている。


 人は、未知のものを完全な空白として扱うことはできない。


 知らないものを見た時、人はそれを自分の知っている何かに当てはめようとする。過去に似た経験があれば、それを基準にする。似た話を聞いたことがあれば、それを参考にする。自分が恐れているものに近ければ警戒する。自分が欲しているものに近ければ近づく。分からないものを危険と見る人もいれば、面白そうだと見る人もいる。


 そこに、その人の天秤が出る。


 たとえば、初めて見る仕事を任された時を考える。


 ある人は、まず手順を確認する。

 ある人は、とりあえず動いてみる。

 ある人は、失敗を恐れて固まる。

 ある人は、誰かに聞く。

 ある人は、聞くことを恥だと感じて黙る。

 ある人は、自分ならできると判断して進める。

 ある人は、責任を負いたくなくて避けようとする。


 同じ未経験でも、反応は違う。


 その違いは、ランダムではない。


 過去に新しいことへ挑戦して成功した経験がある人は、未知の状況にも前向きに動きやすい。過去に失敗して強く責められた経験がある人は、未知の状況で慎重になりやすい。人に聞いて助けられた経験がある人は相談しやすい。人に聞いて馬鹿にされた経験がある人は、一人で抱え込みやすい。


 つまり、未経験への反応には、過去の経験が混じる。


 人は、初めての出来事にも、過去の似た記憶を重ねる。


 それは完全に正確な比較とは限らない。むしろ、過去の経験が強すぎると、現在の状況を誤って見ることもある。過去に裏切られた人は、まだ裏切っていない相手にも警戒することがある。過去に成功したやり方に固執する人は、今の状況では合わない方法を使い続けることがある。


 それでも、人は何かを基準にしなければ動けない。


 その基準が、心理の天秤に乗る。


 恐怖が強い人は、未知を危険として見ることが多い。


 何が起きるか分からない。

 失敗するかもしれない。

 傷つくかもしれない。

 損をするかもしれない。

 責任を負わされるかもしれない。

 取り返しがつかなくなるかもしれない。


 こうした重りが強ければ、人は慎重になる。場合によっては、動けなくなる。逃げる。黙る。判断を先送りする。他人に任せる。自分は関係ないという立場を取る。


 未知の状況に弱い人は、必ずしも能力が低いとは限らない。


 恐怖が重すぎる場合がある。


 反対に、好奇心が強い人は、未知を危険ではなく可能性として見ることがある。分からないからこそ面白い。知らないから知りたい。新しい経験を得られる。自分の力を試せる。そうした重りが強ければ、人は未知に近づく。


 ただし、好奇心が強いことが常に良いわけでもない。


 危険を軽く見ることがある。

 準備不足で動くことがある。

 他人を巻き込むことがある。

 慎重な人の警告を無視することがある。


 未知に対して近づく人も、離れる人も、それぞれの天秤で動いている。


 慎重さも重要である。


 慎重な人は、未経験の状況で情報を集めようとする。すぐには決めない。周囲を観察する。失敗した場合の損失を考える。誰が責任を負うのかを確認する。安全な手順を探す。


 これは悪いことではない。


 慎重さは、危険を減らすために役立つ。


 しかし、慎重さが重くなりすぎると、何も始められなくなる。情報がそろうまで動けない。完璧な安全が確認できるまで選べない。小さな失敗を恐れて、大きな機会を逃す。


 このように、同じ慎重さでも、天秤の傾き方によって結果は変わる。


 攻撃性が強い人は、未知の状況で先に強く出ようとすることがある。


 分からない相手に対して、まず威圧する。自分の立場を守るために、先に主張する。相手に主導権を握られる前に、自分が場を支配しようとする。これは、外から見れば乱暴に見えるかもしれない。


 しかし、その人の心理の天秤では、未知に対する不安や恐怖が、攻撃という形に変わっている場合がある。


 攻撃は、恐怖の反対ではない。


 恐怖があるからこそ、先に攻撃することがある。


 逃避傾向が強い人は、未知の状況で距離を取ろうとする。分からないことには関わらない。責任が発生しそうなものから離れる。自分が傷つく前に退く。これは安全策として働く場合もあるが、必要な場面でまで逃げてしまえば、成長や解決の機会を失う。


 逃げることは常に悪ではない。


 だが、逃げ続けることで問題が大きくなる場合もある。


 未経験の状況では、その人が普段から持っている傾向が出やすい。


 慎重な人は慎重になる。

 攻撃的な人は強く出る。

 逃げ癖のある人は逃げる。

 好奇心が強い人は近づく。

 他人に頼る人は相談する。

 一人で抱える人は黙る。

 責任を恐れる人は距離を置く。

 承認欲求が強い人は、分からなくても分かるふりをする。


 これは、初めての状況だから無秩序に動いているのではない。


 むしろ、初めての状況だからこそ、その人の基本的な天秤が出ることがある。


 経験済みの状況では、人は手順を持っている。慣れた対応ができる。自分を整える余裕もある。しかし、未経験の状況では、手順がない。だから、過去の類似経験や性格傾向、防衛反応が前に出やすくなる。


 未知は、その人の天秤を浮かび上がらせる。


 たとえば、災害や事故のような場面では、人の反応は大きく分かれる。


 すぐに逃げる人がいる。

 周囲に声をかける人がいる。

 固まって動けない人がいる。

 情報を確認しようとする人がいる。

 怒鳴って場を動かそうとする人がいる。

 誰かの指示を待つ人がいる。

 自分だけ助かろうとする人がいる。

 他人を助けようとする人がいる。


 この違いは、単純な善悪だけでは説明できない。


 体調、経験、恐怖、責任感、訓練、知識、周囲の人数、守るべき相手の有無、過去の危機経験、本人の判断速度。そうしたものが、一気に心理の天秤へ乗る。


 初めての危機でも、人は自分の中にある材料で反応する。


 だから、未経験の反応を読むには、その人が何を材料にして動いたのかを見る必要がある。


 過去の似た経験。

 教えられてきた価値観。

 訓練や知識。

 恐怖への強さ。

 他人への信頼。

 自己保存の強さ。

 責任感。

 その場で守りたいもの。


 それらが、その人なりの反応を作る。


 ただし、未経験の状況では、本人も自分の反応を知らないことがある。


 自分は冷静に動けると思っていた人が、実際には固まることがある。自分は臆病だと思っていた人が、大切な相手を守るために動けることがある。自分は他人を助ける人間だと思っていた人が、強い恐怖の中では自分だけ逃げることがある。自分は合理的だと思っていた人が、予想外の状況では感情に引っ張られることがある。


 これは、その人が嘘をついていたとは限らない。


 本人も、経験してみるまで自分の天秤を知らなかったのである。


 人は、自分のことを完全に理解しているわけではない。未経験の状況は、自分でも知らなかった重りを表に出すことがある。強い恐怖、責任、痛み、損失、孤立、危険、守りたい相手。そうしたものが初めて重く乗った時、人は自分でも予想しなかった行動を取ることがある。


 だから、未経験の状況での行動は、その人を知る資料になる。


 ただし、それだけで全てを決めつけるべきではない。


 一度の未経験反応は、強い状況圧力の中で出たものかもしれない。体調が悪かったのかもしれない。情報が不足していたのかもしれない。訓練がなかったのかもしれない。周囲の空気に引っ張られたのかもしれない。


 だから、未経験の反応も、心理の天秤の一部として見る必要がある。


 その人はなぜ固まったのか。

 なぜ逃げたのか。

 なぜ助けたのか。

 なぜ怒鳴ったのか。

 なぜ黙ったのか。

 なぜ聞けなかったのか。

 なぜ分かったふりをしたのか。

 なぜ危険に近づいたのか。


 そこには、その人なりの天秤がある。


 未経験の状況で人が無秩序に動くように見えるのは、観察者がその人の内側にある重りを知らないからである。本人の過去、恐怖、欲望、価値観、経験、知識、自己像、周囲への信頼を知らなければ、その行動は突然に見える。


 しかし、行動には材料がある。


 知らないものにどう反応するかは、その人がこれまで何を経験し、何を恐れ、何を守り、何を信じてきたかに影響される。


 だから、人は初めての状況でも完全にランダムには動かない。


 過去の類似経験。

 恐怖。

 好奇心。

 慎重さ。

 攻撃性。

 逃避傾向。

 責任感。

 自己保存。

 周囲への信頼。

 守りたいもの。


 そうした重りが働き、その人なりの反応が現れる。


 未経験とは、天秤が存在しない状態ではない。


 まだ本人にも観察者にも、天秤の傾き方が十分に見えていない状態である。


 だからこそ、未経験の状況での反応を見ることには意味がある。


 そこには、普段の生活では見えなかった心理の天秤が現れることがある。


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