第六話 初めて喋った言葉と、魔法使いはいるらしい件
喋れるようになってきた。
まだ単語レベルだ。文章はまだ無理だ。でも口が動くようになってきた。舌が言うことを聞くようになってきた。前世の感覚で「喋ろう」と思っても、赤ん坊の口は全然言うことを聞かなかったのに、最近は少しずつ連動し始めている。
——もうすぐ喋れる。
そう確信していた。
問題は、最初に何を言うかだ。
前世の記憶がある身としては、初めての言葉というのはそれなりに考えたかった。「ママ」や「パパ」は無難だが、面白みがない。かといって気の利いたことを言おうとしても、語彙がまだ少ない。
結局、一番頭にあった言葉が、口から出た。
――――――――――――――――――
その日もメイドが部屋に来た。
いつも通り、俺の様子を確認して、おもちゃを整えて、にこにこしながら俺に話しかけてくる。俺はそれをぼんやり聞きながら、口の動きを確認していた。
——言えるか。
試してみた。
「……まりょく」
自分でも驚くほど、はっきり出た。
メイドの動きが止まった。
俺はもう一度言った。
「まりょく。なに」
沈黙があった。
メイドは俺を見ていた。目が少し大きくなっていた。口が半開きになっていた。整った所作が売りのプロのメイドが、完全に固まっていた。
——そんなに驚くか。
赤ん坊が喋ったのだから驚くのは当然だが、それにしても反応が大きい気がした。
メイドは数秒後、我に返ったように動き出した。そして俺をベッドに寝かせると、足早に部屋を出て行った。
廊下で、誰かを呼ぶ声がした。
――――――――――――――――――
しばらくして、母親が来た。
息を切らしていた。普段は穏やかでゆったりした動きをする人なのに、今日は早足だった。部屋に入ってくるなり俺の顔を覗き込んだ。
後ろにメイドが続いた。メイドはまだ少し興奮した様子だった。
母親が俺に何か話しかけた。やさしい声だったが、どこか確かめるような口調だった。
俺は答えた。
「まりょく。なに」
母親の目が、大きくなった。
それからすぐに、母親とメイドが何か話し始めた。言葉は半分しかわからなかったが、断片は拾えた。
——すごい。
——はやい。
——魔法使い。
——なりそう。
——才能。
俺は天井を見た。
魔法使い。
その単語が、会話の中に何度か出てきた。驚いているというより——期待しているような、そういうトーンだった。赤ん坊が「魔力って何」と聞いたことに対して、「魔法使いになりそう」という反応が返ってくる。
——魔法使い、いるのか。
俺は静かに思った。
アニメの中の言葉だと思っていた。メイドの冗談だと思っていた。でもこの反応は——魔法使いが実在する世界の人間の反応だ。子供が「魔力って何」と聞いたとき、普通の世界の大人なら「なんで魔力なんて言葉知ってるの」と笑うはずだ。でもこの二人は笑わなかった。驚いて、興奮して、魔法使いになりそうだと言った。
握ると意識を失う球体のことを思い出した。
——あれも、魔力で動いていたのか。
だから俺が握ると意識を失った。魔力を持っていたから反応して、使い切ったから気を失った。そういうことだったのか。
——つまりこの世界には魔法がある。
近未来で、魔法まである。
二〇四五年にシンギュラリティが来ても人間はまだ働いていた。夢のない未来だと思っていた。でも待て。よく考えろ。魔法と科学が融合している世界だぞ。AIが発達して、魔法まで使える時代だぞ。
——「二〇四五年には働かなくていい」どころの話じゃなかった。
俺は密かに興奮した。
働かなくていい未来より、魔法が使える未来の方が百倍すごい。前世の俺が思い描いていた「近未来」なんて、この世界の現実に全然追いついていなかった。ドローンが飛んでいて、壁がモニターで、魔法まで存在する。
——転生、バンザイ。
チートはない。でもこの世界に生まれただけで、すでに当たりを引いた気がしてきた。
母親がまだ興奮したように話していた。
俺はその声を聞きながら、密かに拳を握った。
赤ん坊の小さな拳で、ガッツポーズをした。
誰にも伝わらなかったが、それでよかった。




