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第五話 言葉の勉強と魔力と冗談じゃないかもしれない件

 暇だった。


 赤ん坊というのは、基本的にやることがない。寝るか、泣くか、天井を見るか、おもちゃを眺めるか——それだけだ。前世では「時間がない」が口癖だったのに、今は時間だけが無限にある。


 おもちゃは一通り試した。


 光るやつ。音が出るやつ。柔らかいやつ。握ると回転するやつ——あれは二度目に握ったとき、また意識を失ったので封印した。理由はわからないが、体に悪い気がした。


 そして俺は気づいた。


 このままでは何もできない。


 チートはない。最低限の社会人としての知識はある。学校で学んだことは忘れた。(みんなそうだよな?)でもその知識を活かすには、まず言葉が話せなければ話にならない。


 ——言葉を覚えよう。


 前世のエリートサラリーマンとしての本能が、ようやく目を覚ました。

――――――――――――――――――

 幸い、教材はあった。


 壁のモニターだ。


 この家では子供向けのコンテンツがよく流れていた。アニメ、教育番組、歌——三十五年後の未来のコンテンツだが、子供向けというのは時代が変わっても大差ないらしく、カラフルで、テンポが良くて、同じ言葉が何度も繰り返される。


 言語学習に最適だった。


 俺は真剣にモニターを見た。


 ——しかし。


 三十五年も経つと、キャラクターが全然違う。


 俺が前世で知っていたアニメのキャラクターは、ほとんど出てこなかった。当たり前だ。三十五年前のコンテンツが今も現役なわけがない。新しいキャラクターたちが画面の中で動き回っている。可愛いのか格好いいのか判断がつかないデザインのものも多い。


 ——時代に置いていかれた気分だ。


 前世でも最新のアニメを追えていたわけではなかったが、それにしても知っているものが何もないのは少し寂しかった。


 でも言葉は学べた。


 繰り返し流れる台詞を、俺は頭の中で分解した。この音がこの意味に対応している。この単語はこういう場面で使う。文法の構造はこうなっている——前世で英語と中国語を仕事で使っていた経験が、ここで地味に役立った。言語の学び方は知っている。


 少しずつ、言葉が輪郭を持ち始めた。

――――――――――――――――――

 そんなある日、画面の中でキャラクターが言った。


「魔力がなくなっちゃう!」


 俺は聞き流しかけて——止まった。


 魔力。


 その単語が、頭の中で引っかかった。


 アニメの中のキャラクターが、ピンチの場面で叫んでいた。魔法を使いすぎて、力が尽きそうになっている場面らしかった。画面の中では当たり前のように使われている言葉だった。


 ——まあ、アニメだしな。


 ファンタジー系のアニメなら魔力という概念が出てくるのは普通だ。三十五年後の未来でも、そういうジャンルのアニメは存在するらしい。それだけのことだ。


 俺は気にしないことにした。


 魔力という単語と、なくなるという単語を、語彙リストに加えた。それだけだ。

――――――――――――――――――

 翌日。


 俺はいつものようにおもちゃで遊んでいた。封印していた回転する球体以外のやつだ。光るおもちゃを手でぱしぱし叩きながら、今日覚えた単語を頭の中で復習していた。


 メイドが部屋に入ってきた。


 いつもの時間だ。俺の様子を確認しに来るのが習慣になっている。


 メイドはにこにこしていた。俺がおもちゃで遊んでいるのを見て、穏やかな声で言った。


「そんなに遊んでいると、魔力がなくなっちゃいますよ」


 俺の手が止まった。


 ——今、なんて言った。


 魔力。


 昨日アニメで覚えたばかりの単語が、メイドの口から出た。


 俺はメイドを見た。メイドはにこにこしていた。冗談っぽい口調だった。子供をあやすときの、軽い感じの言い方だった。


 ——冗談だよな。


 そうに決まっている。赤ん坊の世話をしながら「魔力がなくなる」というのは、ただの言い回しだ。「そんなに食べすぎると豚になっちゃうよ」みたいな、子供向けの冗談表現というやつだ。


 この国ではそういう言い方をするのかもしれない。


 ——うん、そういうことだ。


 俺は自分にそう言い聞かせた。


 でも。


 握ると意識を失う、あの球体のことが、頭の隅でじわりと浮かんだ。


 ——冗談、だよな?


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