第十三話 襲撃とかわいいだけじゃなかった件
エミリーが掃除をしていた。
俺は眺めていた。
——いい眺めだ。
具体的に何がいいかは言わない。紳士なので。ただ、エミリーが掃除をしているときの動きというのは、なんというか、目が離せない要素がある。
護衛としての訓練を積んでいるからか、動きのひとつひとつに無駄がない。腰の使い方が、その、なんというか——
——でれでれするな、俺。
自分でもわかっていた。二十七歳のエリートサラリーマンの中身が入っているとは思えない有様だった。でも仕方がない。
赤ん坊にできることなど、眺めること以外にほとんどないのだ。これは暇つぶしだ。娯楽だ。文句は言わせない。
エミリーはにこにこしたまま掃除を続けていた。気づいていないのか、気づいていないふりをしているのか——どちらかはわからなかった。
——幸せだな。
俺はそう思った。
その瞬間だった。
――――――――――――――――――
窓が、割れた。
大きな音がした。ガラスが飛び散った。
男が二人、窓から飛び込んできた。
体格がいい。動きが速い。明らかに訓練された動きだった。一人が着地と同時に部屋の角へ回り込み、もう一人が俺のいる方向へ真っ直ぐ向かってきた。
——え。
一瞬だけ、俺の思考が止まった。
でも——止まったのは一瞬だけだった。
前世で培ったエリートサラリーマンの思考回路が、緊急モードで動き始めた。状況整理。情報収集。優先順位の設定。
——落ち着け。見ろ。
俺は男たちの動きを観察した。
二人の視線が——俺に向いていた。
部屋に飛び込んできて、最初に確認したのが俺だった。エミリーではない。俺だ。
——狙いは俺か。
なぜ赤ん坊が狙われるのかはわからない。でも動きが語っていた。角に回り込んだ男はエミリーを牽制するポジションを取っている。もう一人は俺に向かっている。これは護衛を抑えつつ標的を確保する動きだ。
——父親の仕事上の敵か。それとも別の何かか。
考えている場合ではなかった。
俺に向かっていた男が、腰のホルスターから何かを引き抜いた。
ナイフだった。
普通のナイフではなかった。刀身が——赤く、輝いていた。熱を帯びているのか、それとも魔力が込められているのか。軍用の、それも特殊な代物だと一目でわかった。
男はそれを、俺に向けて突き出した。
――――――――――――――――――
その瞬間。
霧が、出た。
どこからともなく、白い霧が部屋に広がった。一秒もかからなかった。視界が白くなった。俺から見えるものがほとんどなくなった。
そして——笛の音が鳴った。
甲高い、鋭い音だった。
一回。
二回。
三回。
霧の中で、何かが動いた気配がした。音も、衝撃も、ほとんどなかった。ただ——動いた。それだけだった。
霧が、少しずつ晴れていった。
――――――――――――――――――
男たちが倒れていた。
二人とも、床に崩れ落ちていた。動いていなかった。
まるで時間が止まったかのように、致命傷を受けたまま固まっている。
ただ、動けない状態で固定されている。
——何をしたんだ、エミリー。
俺はエミリーの方を見た。
――――――――――――――――――
エミリーは、いつも通りにこにこしていた。
「坊っちゃん、ご無事ですか」——無事です。びっくりしましたが。俺は心の中でそう答えた。
そこに、足音がした。
母親が部屋に入ってきた。割れた窓と、倒れた男たちを見て、一瞬で状況を把握したらしかった。それから、エミリーを見た。
「あら」母親は言った。
驚いた様子はなかった。むしろ——どこか、誇らしげだった。
「さすがは霧笛のエミリーね。この程度では訓練にならなかったかしら」
エミリーは少し頬を染めた。
「奥様、おたわむれを」にこにこしたまま、そう言った。
訓練だったのか……でも……
俺は、倒れている男たちを見た。——一人は胸のあたりが大きく抉れ、もう一人は首に大きな刺し傷がある、明らかに致命傷だ。血もかなり流れている。
「……この人たち、死んじゃったの?」
思わず声に出して聞いてしまった。
母親はくすっと小さく笑った。
「いいえ、魔法の道具の力で死んでいませんよ、ただ、痛みとショックは本物ですけどね」
え……?俺はもう一度男たちを見た。
……明らかに致命傷なのに、生きてるのか。すげえ……
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霧笛のエミリー。
俺はその言葉を頭の中で繰り返した。
二つ名だ。エミリーには二つ名があった。霧笛の——それだけの実績が、この名前の裏にあるということだ。
——かわいいだけじゃなかったんだな。
俺はエミリーを改めて見た。
にこにこしていた。いつも通りだった。窓が割れて男が二人乗り込んできて、それを一瞬で無力化して、今はまたにこにこしている。
何事もなかったかのように。
——何者なんだ、エミリー。
腕がサイボーグで、二つ名があって、霧の中で敵を無力化できる。それでいて普段はにこにこしながら俺の世話をしている。
俺はエミリーの属性リストを更新した。
美少女。サイボーグ。護衛。メイド。水着(夏限定)。霧使い。
——盛りすぎだろ。
でも——なんとなく、悪くなかった。
こんなに強い人が、俺の傍にいてくれる。
それが、素直に、よかった。
俺は小さな拳を、こっそり握った。
誰にも伝わらなかったが、それでよかった。




