第一話 歩きスマホと転生
死因が歩きスマホというのは、我ながら情けなかった。
しかも読んでいたのが小説だった。それも——タイトルからして頭が痛くなるような、いわゆる「なろう系」と呼ばれるやつだ。
『追放された俺、実は神に愛されすぎていたので元パーティーメンバーが後悔しても遅い件について~無自覚チートで異世界最強になったら美少女軍団に囲まれました~』
コンビニの前でそのタイトルを見かけたとき、俺は思った。
——なんだこれ。
二十七歳、大手商社勤務、それなりにエリートコースを歩んできた自分が読むものではない。そう断言できた。タイトルだけで脳細胞が三つは死ぬ。
だが。
——ちょっとだけ、と思って読み始めたのが間違いだった。
気づけば帰りの道を歩きながらスマホから目が離せなくなっていた。馬鹿にしていた展開が、なぜか続きが気になる。主人公が追放される場面の理不尽さに、じわじわと怒りが湧いてくる。これは……うまい。悔しいが、うまい。読者の感情の引き出し方を完全に心得ている。俺がずっと書こうとして書けなかったものが——
トラックの警笛が聞こえた。
一瞬遅かった。
――――――――――――――――――
暗かった。
——死んだな。
冷静にそう思った。エリートサラリーマンの思考回路は、死後もしばらく正常に動いていた。状況整理。原因分析。対策立案——対策は、もう遅い。
悔しかったのは、仕事のことでも、恋愛のことでもなかった。
書けなかったことだ。
ずっと、書きたい世界があった。神と悪魔が現れた近未来。魔法と科学が溶け合う世界。企業が国家より強い力を持つ社会。泣ける人間ドラマ。月面での最終決戦。主人公のことが大大大大大好きな女の子たち。なんか意味あるんだかないんだかの敵幹部会議。劇場版で活躍する100億円の炎使いの男。——すまん、最後のは野心が出た——断片だけはあった。ずっとあった。でも形にならなかった。才能がないのか、時間がないのか、それとも単に怠惰なのか。結局何も残さないまま、歩きスマホで死んだ。
——情けない。
本当に、情けない。
追放されすぎたなんとかの主人公は、理不尽に追放されても最強になって見返した。俺は自分の夢から自分で逃げて、トラックに轢かれた。
どちらが惨めかは、言うまでもない。
光が見えた。
――――――――――――――――――
声が聞こえた。
くぐもっていて、遠い。でも確かに届いていた。苦しそうで、でも懸命な声だった。
光が強くなった。
俺は何かを通り抜けた。
そして——泣いた。
自分でも驚くほど大きな声で泣きながら、俺は状況を把握しようとしていた。体が小さい。腕が動かない。視界がぼやけている。温かいものに包まれている。
——転生か。
馬鹿にしていたやつだ。
俺は泣きながら、盛大に自分を呪った。
誰かが俺を抱き上げた。大きな手だった。震えていた。
男の声だった。低くて、泣いているような声だった。
「Le bébé est né」
俺はまだ泣いていた。泣きながら、耳だけで情報を集めた。
どこかで機械の低音がしている。規則的な、何かを処理し続けているような音。遠くから——ドローンの羽音のようなものが届いた。窓の外らしい。
男が、傍らの誰かに聞いた。
「Le nom est déjà décidé ?」
女の声が答えた。
疲れていて、でも穏やかだった。
「Oui, c’est décidé. Comme ton grand-père… Éric.」
俺の名前が呼ばれた。エリック。
日本語ではなかった。でも、その音が俺の名前なのだということは、不思議とわかった。
——なるほど。
俺はここで生きていくらしい。
転生先が近未来っぽいことはわかった。裕福な家の子として生まれたらしいことも、この部屋の雰囲気からなんとなく察した。チートはない。未来だから俺の知識も役に立たないだろう。
笑えない冗談だった。
でも——
泣き声が少しずつ小さくなりながら、俺は思った。
今度こそ、何かを残せるかもしれない。書けなくても、生きることはできる。この目で見て、この体で感じれば——いつかきっと、言葉になる。
形にならなかった夢の断片が、胸の奥でまだ揺れていた。
神と悪魔が現れた世界。魔法と科学が溶け合う社会。泣ける人間ドラマ。月面での最終決戦。
——ここは、そういう世界なのだろうか。
まだわからない。赤ん坊の俺には、何もわからない。だが、
——今度こそちゃんと、生きて何かを残そう。
そう思った。




