第7話 評価は、結果のみ
翌日から、エリシアの机に置かれる書類の量は、目に見えて増えた。
意図的なのか、偶然なのか。
判断はつかないが、内容はどれも「誰かが後回しにしてきたもの」ばかりだった。
期限が曖昧な案件。
責任の所在が不明確な報告。
過去の資料が不足している案件。
どれも、面倒で、時間がかかり、評価されにくい。
――なるほど。
エリシアは、内心で静かに納得した。
臨時補佐官。
正式な肩書きなし。
失敗すれば「やはり無理だった」と言われる立場。
試されているのだ。
だが、やることは変わらない。
エリシアは、朝一番で書類を三つに分けた。
一、今日中に処理すべきもの
二、確認を要するもの
三、今すぐではないが放置できないもの
さらに、期限が明記されていない案件については、自分で仮の締切を設定する。
それを超えたものは、理由を添えて優先度を上げる。
やり方は、これまでと同じ。
違うのは、ここでは誰も指示してくれないということだけだ。
「……また増えているな」
昼前、若い文官が書類を運びながら、ぼそりと呟いた。
エリシアの机を見て、少し驚いたような顔をする。
「その量、一人で?」
「はい」
簡潔に答えると、彼は曖昧に頷いた。
「……無理はするなよ」
それは忠告というより、距離を保つための言葉だった。
同情と、少しの好奇心。
エリシアは、気にしないふりをしてペンを走らせた。
午後、執務室に緊張が走る。
港湾税の改定案に関する資料が、期限を過ぎて届いたのだ。
本来なら、今日の会議に間に合わせるべきものだった。
「誰が担当だ」
レオンハルトの声は低い。
沈黙の後、年配の文官が口を開いた。
「……こちらで確認中でしたが、細部が整っておらず」
「確認中、で三日ですか」
責めるでもなく、ただ事実を確認する声音。
空気が重くなる。
エリシアは、そっと書類に目を落とした。
港湾税。過去三年分の推移、例外規定、地方裁量。
――このままでは、通らない。
だが、今ここで発言すれば、余計な波風を立てる。
彼女は、一瞬だけ迷った。
そして、机の端に置いていた別紙を取り出す。
「……殿下」
小さな声だったが、確かに届いた。
「こちらの資料、会議用の要点だけでしたら、まとめ直しています」
室内の視線が、集まる。
年配の文官が、露骨に眉をひそめた。
「今はその話では――」
「構いません」
レオンハルトが、短く制した。
「見せてください」
エリシアは一歩前へ出て、紙を差し出す。
そこには、複雑な数字や規定が、三つの要点に整理されていた。
一、税率改定の影響範囲
二、地方局の反応予測
三、暫定措置案
「詳細は不足していますが、本日の会議では、この三点が問われます。判断材料としては、最低限ですが――」
そこまで言って、言葉を切る。
「……間に合います」
沈黙。
レオンハルトは紙に目を落とし、数秒考えた後、頷いた。
「これで行きましょう」
それだけで、決まった。
年配の文官は何も言わなかったが、表情は明らかに硬い。
若い文官は、驚いたようにエリシアを見る。
会議は、滞りなく終わった。
大きな称賛はない。
だが、混乱も起きなかった。
それが、結果だった。
執務室に戻った後、レオンハルトはエリシアに言った。
「余計な説明はしません。ですが――」
書類を机に置く。
「今日の判断は、適切でした」
評価は、それだけ。
だがエリシアの胸には、確かな重みが残った。
誰かの代わりではない。
誰かの付属物でもない。
自分の判断が、役に立った。
夕刻、例の年配文官が、帰り際に立ち止まった。
「……先ほどの件だが」
エリシアは顔を上げる。
「助かった。以上だ」
それだけ言って、彼は去っていった。
謝罪でも、称賛でもない。
だが、それで十分だった。
評価は、言葉ではなく結果で下される。
ここでは、それがすべてだ。
エリシアは、空になりかけたインク瓶を見つめ、静かに息を吐いた。
まだ、足りない。
まだ、立場は不安定だ。
それでも。
昨日より、ほんの少しだけ。
自分の足で立っている感覚があった。




