思い出した初恋と懐かしい匂い
「川嶋くん」
私は勇気を振り絞って話しかけた。
彼は少し驚いた顔をして、「どうしてここが?」と聞いてきた。
そういえば、大吾と初めて話した時も同じことを言われた。
確かにここは人目につかない場所で、座ってしまえば周りの壁が高いので外から見えない。
体育館裏の外階段を使う人はほぼいない。
初めてここに来た時は、偶然だった。
私自身も授業を受けるのが嫌になって、隠れられるところを探したのだ。
もちろん、今回なぜ私がわかったかというと、いつも大吾が授業をさぼる時は、体育館裏の階段の踊り場と知っていたからだ。
仲良くなってからは二人でよくここでお昼ご飯を食べた。
とはいえ、本当のことを言うわけにもいかず「たまたま見かけて・・・」と私は誤魔化した。
「で、なんだよ?」
「え?」
「用事があるから声かけたんじゃねぇの?」
「あ・・・別に、授業受けないのかなと思って」
話してみたかっただけで特に用事はない。
とりあえず、無難なことを言ってみたのだが、大吾は「受けるわけないじゃん」と鼻で笑って、ジュースを飲みながら漫画雑誌を開いた。
「何で授業受けないの?」
「俺は勉強が嫌いなんだよ」
「でも勉強しないと大学にいけないよ?」
「大学なんて考えてねぇよ」
大吾は、冗談でも聞いたかのように笑った。
「今はそう思っていても人の気持ちは変わるの。授業に出て損はないんだから」
私はそう言って彼の腕をつかんだ。
「おい!なんだよ」と怒ったように言いつつも、女子に反撃はできないのか振りほどくこともなく、ついてきた。
そういう優しいところもわかっている。
「若いうちに勉強した方がいいの。後になって勉強したかったとか思っても、難しいんだからね」
これは本当に実感したことだ。
20代後半にさしかかった時、キャリアアップのために英語の勉強をしようとして教材をフルセットで5万も払って購入したのに、単語を覚えるのに苦労して断念した。
大人になると理解力や察する能力はあがるが、記憶したり、柔軟に発想する能力は明らかに若い時の方が優れている。
後悔しても遅いのだ。
「なんだよ、母ちゃんみてぇだな」
大吾は教室前でうだうだ言っていたが、無理やり教室内に入れると大人しく隣の席に座った。
クラスメイトは大吾が入って来てかなり驚いていた。
その後、授業がすぐに始まって、大吾はふてくされた顔で教科書を見ている。
教室にいる大吾をみて、担任も驚いていたから相当ここまでもさぼっていたんだろう。
私は大吾の横顔を見た。
ふてくされながら教科書を開き、小さな声で「めんどくせぇ」とか言っている。
初恋の人の顔は何も変わらない。
正しくは初恋した頃に自分がきているのだから当然なんだけど、なんだか甘酸っぱい気持ちになる。
(この感覚、懐かしいな)
そう思いながら、授業に耳を傾けた。
キーンコンカーンコーン
この放課後を告げるチャイムが、こんなに嬉しく聞こえたことはない。
人間って本当に忘れていく生き物なんだな、と私はつくづく思った。
授業を受けてもほとんどわからない。
そりゃあ当たり前だと思う、仕事で数学も理科も使うことはないのだから。
ぐったりした気持ちになりながら、教科書を鞄に詰めた。
隣で大吾はぐっすり寝ている。
授業が終わったことに気づいていないようだ。
ツンツンと肩をつついてみる。
全く起きそうにない。
(肩・・・ゆすってみるか)
少しずつ手を伸ばす。
なぜだろう。手が震える。
少しずつ自分の手が大吾の肩に近づく。
もう触れてしまうというタイミングで「川嶋!起きろ!」と担任が大きな声をだして、大吾はぱちりと目を覚ました。
手を伸ばしている私を見て、「お前何しようとしてんの?」と睨まれてしまった。
「いや、あの、起こそうかと・・・」
「・・・あっそ」
一言そういうと大吾はひょいと鞄を肩にかけて持つと、去って行ってしまった。
夢みたいな一日だったなと思いながら、家に帰ると母が料理をしている音がする。
まな板で何かを切っているようだ。
母が生きている。
これはきっと夢なのだろう。
今晩夢の中で眠ってしまったら、もう会えないかもしれない。
鞄を置くと、そっと後ろから母に抱きついた。
「え!何?」と母はびっくりしていたが、料理の手を止め、抱きしめてくれた。
「なんかあった?」
「・・・ううん」
母の懐かしい匂い。
優しい温もり。
母は私が辛い時はいつもこうやって抱きしめてくれたなと温かな気持ちでいっぱいになる。
母が病気で入院した時、ものすごく後悔した。
もっと母と遊びに行けばよかった、もっと母と話せばよかった・・・そんなことばかり考えていた。
なんの保証もないのに、明日も明後日もこの先ずっと母は元気で傍にいると思っていた過去の自分を恨んだ。
「母さん、ありがとう」
ずっと言いたかった言葉を素直に言った。
「突然変な子だねぇ」
そう言いながら、母は私の頭を優しく撫でた。
「泣いてるの?」
「・・ううん。でも少しだけこのままでもいい?」
「仕方ないわね」
そう言ってしばらく母は抱きしめてくれた。
晩御飯を食べて、お風呂に入って、ぼんやりとTVを見ていた。
母はお茶をすすり、父は寝転んで、妹も寝転がって雑誌を見ている。
家族でそろって過ごすなんて何年ぶりだろう。
私は母が亡くなってから、実家にはよりつかなくなったし、妹も同じだ。
こんななんてことない日常が宝物だったんだって、過去の自分に伝えてやりたい。
いや、過去に来てるのか。
「ねぇ、お姉ちゃん。この雑誌に似てた服持ってなかった?」
「あぁ、持ってたかも」
「貸してくれない?」
「いいよ。あとで取りに来なよ」
そう返事をすると、妹は目を丸くして「本当にいいの?」と言ってきた。
「いいって言ってるじゃない」
「貸してほしいと言っといてなんなんだけど、素直すぎてこわいんだけど」
そういえば若い頃は妹によく何かを貸してほしいと言われるのがうざかった。
でも、今は30代で反抗期でもなく、幼い妹がかわいいなという感情しかない。
この平和がずっと続けばいいのに、そう思いながら、ベッドに入った。
このままで寝てしまったら現実へ帰ってしまうのだろうか。
もう少し起きていようかと思ったが、思ったより疲れていたようで、気づいたら眠ってしまっていた。
「あ・・れ・・?」
目を覚ますと、見たことある天井だった。
「すずー!起きなさい!」と母の声がする。
身体をみると、あのパジャマを着ている。
「も、戻ってない・・・?」
どういうことだろうと思いながら、1階に降りて朝食をとった。
いつものように母はバタバタと動き、父はのんびり新聞を読んでいる。妹はまだ起きてこないようだ。
そして高校の制服に着替えると、途中で恵美めぐみと合流し、昨日と同じく学校へ向かった。
どうやらまだ戻ることは出来ないようだ。
やり残したこともあるし、夢なのだとしてももう1度やり直せるなら・・・・。
私はひとつの決意を胸に教室へ入った。




