第四章 鍵の代償
地上に出た瞬間、
風が冷たかった。
永久夜区画の空は、
相変わらず暗い。
だがユウの目には、
わずかに――
色が戻った気がした。
「……私だけ?」
呟く。
「いいえ」
ミオが答える。
「あなたが
“触れた”場所は、
世界の解像度が
上がってる」
彼女は、
街灯を見上げた。
「光が、
前より
眩しい」
移動車両の中。
静寂。
エンジン音だけが、
夜を切り裂く。
「さっきの、
床に出た数式」
ユウが言う。
「俺、
何かしたのか」
ミオは、
少し迷ってから答えた。
「正確には――
“思い出した”」
《サンライズ計画》。
太陽を覆う
干渉フィールドは、
物理構造ではない。
それは、
情報層だった。
人類は、
朝の概念そのものを
世界から切り離した。
「朝が“存在しない”と
世界が信じるように」
「……洗脳?」
「世界規模の
自己暗示よ」
ミオは、
淡々と言う。
「あなたは、
その前の世界――
朝があった頃の
“定義”を
内側に持っている」
ユウは、
思い出す。
子どもの頃、
繰り返し見た映像。
朝日。
鳥。
光。
「俺は、
覚えてただけ……?」
「それが、
鍵」
ミオは、
はっきり言った。
「あなたは、
世界に
“朝はある”と
思い出させる存在」
車両が、
急停止する。
ミオの体が、
小さく揺れた。
「……でも」
彼女は、
前を向いたまま続ける。
「代償がある」
ユウは、
胸を押さえた。
ズキリと、
痛む。
「これか」
「ええ」
ミオは、
初めて不安を
隠さなかった。
「あなたが
世界に
“朝”を思い出させるほど」
「あなた自身は、
この夜の世界から
浮いていく」
夜しか知らない人々。
夜の常識。
夜の感覚。
「あなたの感覚は、
朝側に
引き寄せられる」
「最終的には――」
ミオは、
言葉を切る。
「この世界に
“存在できなくなる”」
沈黙。
エンジン音だけが、
残る。
「……俺が消える?」
「消える、とは
少し違う」
「“先に行く”」
ミオの声は、
震えていた。
「朝の世界へ」
ユウは、
笑った。
「それってさ」
「朝を取り戻すなら、
避けられないんだろ」
ミオは、
答えない。
拳を、
強く握っている。
拠点。
旧天文台。
巨大なドームの下で、
彼女は
初めて過去を語った。
「私も、
朝を見たことがある」
ユウは、
驚いて彼女を見る。
「……夜世代じゃ」
「違う」
ミオは、
静かに言った。
「私は、
夜明け消失の
“直前”に生まれた」
赤子の頃。
母親に抱かれて、
見た光。
温かさ。
それが、
彼女の
最初で最後の記憶。
「でも」
ミオは、
俯いた。
「私の両親は、
夜明会に
殺された」
「朝を守ろうとしたから」
ユウの喉が、
詰まる。
「だから、
私は刃になった」
ミオは、
顔を上げる。
「鍵を守るために」
「朝を、
取り戻すために」
沈黙。
ドームの隙間から、
星が見える。
「ミオ」
ユウは、
静かに言った。
「俺が
消えそうになったら」
「……呼び戻してくれ」
彼女は、
一瞬、驚いた顔をして――
小さく笑った。
「ええ」
「何度でも」
その時。
天文台の装置が、
自動起動した。
警告表示。
【干渉フィールド不安定化】
【局地的“夜明け”発生】
外。
空の一角が、
ほんのわずかに
薄く染まる。
「……始まった」
ミオが呟く。
ユウは、
その光を見つめた。
胸の痛みと、
引き換えに。
世界は、
確実に
朝へ近づいている。




