40.いつかきっと会える
白檀の良い香りが満ちる部屋の中、紡生は仏壇に手を合わせていた。
飾られた写真にはルルーの生前の姿が映っている。
紡生は十分に冥福を祈り終わると顔を上げた。
「お参りさせていただき、ありがとうございました」
「いいえ。こちらこそ本当にいろいろとお世話になりました」
そういって頭を下げる女性の声は、あのときルルーの元に降り注いだものと同じもの。
彼女こそルルーの飼い主――蒼樹だ。
「さ、なにもおもてなしできませんがお茶でも。こちらへ」
促された席に座ると湯気のたつ湯呑が差し出され、蒼樹は改めて深々と頭を下げた。
「この度はルルーともども本当にお世話になりました。首輪も……そして体もみつけてくださって……。おかげでこうして線香をあげてあげられる。猫社さんには返しきれないほどの恩をいただきました」
「……本当は生きているうちにみつけてあげられたらよかったのですが」
「いえ。それはわたしの責任です。もっと早く猫社に行けたら……」
蒼樹は目を伏せてうつむき、左足をさすった。
どうやら膝が悪いらしく、ほとんど曲がらないため歩行が困難らしい。
猫社に来るのが一月遅れてしまったのも、それが理由だったようだ。
蒼樹は重くなった空気を変えるように明るい声をあげた。
「今日は神余さんはご一緒じゃないのね」
「ええ。神余さんは今ちょっと、警察に……」
神余はあの日、裏で手を回してくれていた。
ルルーの体を見つけたときには警察の相手を、ミケと紡生が猫社に誘導しているときには犯人の拘束を。
そして今日は犯人の現行犯逮捕の通報者として、事情聴取を受けている。
彼が社会的に必要な手続きを担ってくれたおかげで、紡生たちも思う存分動けたのである。
まさに縁の下の力持ちだ。
「そう……。あの人にもお礼を言いたかったのだけど」
蒼樹は少し残念そうに眉をさげた。
「私から伝えておきますよ」
「そうね。お願いするわ。……ところで、そちらの方も猫社の方?」
蒼樹の目線の先にはミケがいた。
いつも通りの和洋服でウトウトと舟を漕いでいる。
紡生は苦笑いを浮かべてミケの脇腹をつついた。
びくりと体を跳ねさせて睨んでくる。
「こちら、ミケです」
「まあ。この方があのミケさんなのね!」
蒼樹は嬉しそうにミケへと笑いかけた。
「貴方のことは紡生さんから聞いていましたよ。恨みに飲まれたうちの子を助けてくれる人だと」
「は?」
「うちの子、怨霊になってしまっていたのでしょう?」
ミケの元へと向かう前、紡生は神余と共に蒼樹の元を訪れ、事の顛末を洗いざらい話していた。
その中にはルルーが怨霊になっていることも含まれていた。
普通は信じられる話ではないが……。
「……アンタ、その話を信じたのか?」
「ええ、初めは信じていなかったけれどね。でもルルーがどんな子なのか言い当てていたし、真剣さが伝わってきたから信じてみようと思ったの。それにうちの子が苦しんでいるのだとしたら、飼い主として放っておけないもの。……わたしにできることはただ祈るだけだったのだけどね」
蒼樹は困り笑いを浮かべた。
「それで、ルルーはどうなったのでしょう?」
「……戻った自我分は送ってやれた。恨みにまみれたやつはもういない」
「そうですか。……よかった」
簡潔に答えるミケに、蒼樹はわずかに息を吐きだした。
安堵の息ではあったけれど、その中には隠しきれない寂しさが混ざっていた。
怨霊となっていたルルーを恨みから解放してあげられたからと言って、ルルーが死んでしまった事実がなくなるわけではないのだから当然のことだ。
蒼樹はこれから先、幾度となく自分を責めるだろう。
もっと早くに猫社に行けていたら。
脱走をさせなければ。
足が動いてくれれば。
そういう気持ちがなくなることはない。
けれど――
「蒼樹さんが私を信じて祈ってくれなければ、ルルーちゃんが自我を取り戻すこともなかった。そうしたら天に送ってあげることもできなかった」
紡生は蒼樹の両肩を掴んで目を合わせた。
ルルーには紡生の声も、神であるアメの声も届いていなかった。
一番縁の深い蒼樹の声だからこそ、届いたのだ。
だからこそルルーは自我を取り戻した。
蒼樹の声が届いたのは紡生の話を信じ、受け入れ、祈り続ける選択をした蒼樹のおかげ。
「だからそれくらいしかできなかっただなんて言わないでください。あなたはあなたにしかできないことをした。……立派な飼い主ですよ」
そう告げると、蒼樹の目が潤み始めた。
「……そう。わたし、少しでも役に立てていたのね。あの子の為に……なれていたのね」
「ええ。きっと」
迷いなく言い切ると、蒼樹はその場に崩れ落ちた。
その背を優しくさする。
「……縁があれば引かれ合うって、神様が言っていました。お互いに会いたいと思っている者たちは引かれ合う定めだって」
「え?」
「私ね、十年前にムギって子を亡くしたことがあるんです。酷い別れ方をして、ずっと罪悪感から猫を飼えないでいた。……でもね半年前、ムギと同じ模様の子猫が家の前にいたの。その子はコムギと名付けて保護しました」
コムギの尻尾の付け根には麦のような茶色い模様がある。
それはムギにもあったチャームポイントだ。
「だからね、きっとムギが生まれ変わって会いにきてくれたんだって、そう思ったの。神様の言葉を信じるのなら、ムギも私に会いたいと思ってくれていたってことになる。……あんなに不甲斐ない家族だったにも関わらず、会いたいって思ってくれていたんだって」
紡生はアメに生まれ変わりの話を聞いたとき、救われた気がした。
紡生を助けたせいで自分が死んでしまった。それなのに会いたいと思ってくれていたのだと。
コムギが本当にムギの生まれ変わりなのかも、生まれ変わりが前世の記憶を持っているのかもわからないけれど。
「天に還れたのなら、きっといつか会える。いつになるかなんてわからないけれど、それでも待っていてあげてほしい。……なんて、私のわがままですけど」
紡生は自嘲気味に笑いかけた。
けれど蒼樹は涙を流しつつもしっかりと頷いてみせた。
「ええ。ずっと、ずっと待っているわ。本当に、ありがとう……!」




