39.帰ろう
蒼い炎がふっと消えた。
辺りは先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返っている。
「……逝ったの?」
ぽつりとこぼした。
紡生には今見たものが本当にあったことなのか分からなかった。
それでもあの猫が、ルルーが縁を辿っていけたのならいい。
そう思わずにはいられない。
「そうね。恨みに飲まれていた部分は消すしかなかったけれど、戻ってきた自我分は送れたよん」
アメは空を見つめてそう言った。
どのくらいが送れたのかはアメにしか分からない。
けれど欠片でもルルーの魂を送れたようだ。
「来世につなげられたかな」
「それはあの子次第ね。でもまあ、心配はいらないと思うわ」
「……そっか」
アメがそう言うのならそうなのだろう。
もしかしたら転生して、また蒼樹と会えるかもしれない。
紡生はそう信じて空を見上げた。
いつの間にか降っていた雨は止み、ぶ厚い雲の隙間から星が見えていた。
……終わったのだ。
「はあ~~」
一つ息を吐き出すと足から力が抜けてしまい、その場に倒れこむ。
「あはっ。お疲れだね」
「そりゃあね……」
張り詰めていた緊張が切れて疲れが押しよせてくる。
怨霊を前にして、強い負の感情を浴びて、疲れないわけがない。
少なからず怨霊の影響で気持ちが引きずられていたのは間違いないのだから。
けれど紡生の心は穏やかに凪いでいた。
「でも少しはいい結果にできたみたいでよかった」
「そうね。よく頑張ってくれたわ! ほら、ミケもそう思うでしょ?」
アメにつられて振り返ると、バツが悪そうに頬を掻くミケと目が合った。
いつの間にか人型に変化していたらしく、あやかしのときよりもよく表情が分かる。
「……まあ、よくやったと言ってやらんでもない」
「あら、まだそんなひねくれたこというの? 今回のことは紡生ちゃんがいなかったら成り立たなかったのにねー?」
「るせ」
「なによー。その口の聞き方はー! ていうか聞いたわよ。ミケ、紡生ちゃんにクビを言い渡したんだって? ダメじゃない。そんなこと勝手に決めちゃ。紡生ちゃん傷ついたんだからね?」
「……あー、うるせえうるせえ。わかってんだよ」
ミケは頭を掻いてそっぽを向いた。
「悪かったな。傷つけて」
「それだけー? もっとなんかないのー?」
「……楽しんでるだろアンタ」
「あはっ! バレちゃったかー」
「アンタなぁ……。つーかアメは大丈夫なのかよ。『介入しすぎない』っていう神ルールガン無視だっただろ」
「うっ! そ、それは今は言わないでよ」
慌てだしたアメにニヤつくミケ。
そこには少し前のようなギスギスとした空気感はなかった。
すっかりいつもの調子に戻ったあわせ屋が帰ってきたのだ。
それが無性に嬉しい。
「……ふ、ふふ。あはははは!」
思わず笑みを零すと二匹の視線が集まる。
紡生は少しだけ浮かんだ涙を拭い、穏やかな笑みを浮かべた。
「やっぱり私、二人のこと好きだな。面白くて」
「……面白がるなよ」
「あはは。ごめんごめん。……でもさ。だからやっぱり、あわせ屋にいたいなって思うんだ」
今回の騒動であわせ屋がどんなところなのか、何を思って作られたのか。
そういうことはすべて分かった。
すべて分かったうえで、それでもここにいたいと思う。
「だから『いらない』だなんて言わないで。私もあわせ屋の一員でいさせてよ」
「……」
起き上がり、真っ直ぐに見つめる。思いが届くようにと。
「……いいのか? もうわかっていると思うが、オレもアメも炎を操る力を持つんだぞ。怖くないのか?」
ミケは気まずそうに目を伏せた。
けれどそんな話、今更だ。
紡生は思わず笑ってしまった。
「怖くないよ。アメちゃんには言ったけど、私が恐れているのは炎じゃなくて理不尽に奪われることだし、それに……」
紡生は目線をあげて二人を見つめた。
「二人は私を傷つけるために炎を使ったりしないってわかっていたからね。だから怖くなかったよ」
二人の操る炎からは理不尽な脅威を感じることはなかった。
あったのは守りたいという信念。そして送ってあげたいという願いだけ。
そんな優しい炎を灯せる二人が、紡生のことを傷つける訳がない。
そう信じることができた。
だから恐れずにいられたのだ。
「――……なんだそりゃ。……っふ。ほんっと、能天気なやつ」
ミケはしばらくしてぽつりとこぼした。
呆れられたような気配はあったけれど、その顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
意地の悪さも不機嫌も鳴りを潜め、ただただおかしそうに笑うその顔は無邪気な少年のようだ。
――こんな顔、できたんだなぁ
その顔は初めて見るはずだったけれど、紡生はなんだか懐かしさを覚えた。
(……?)
そっと胸を押え首を傾げていると、ミケが手を差し出してきた。
「さて、帰るぞ」
「え?」
「あわせ屋。行くんだろ?」
「あ、うん!」
紡生はミケの手を取り立ち上がった。
そしてもはや歩きなれてしまった道を歩いていく。
星明りがその後姿を優しく照らしていた。




