38.ルルー
社の上に、一匹の白い獣がいた。
「アメちゃん!」
その言葉に呼応するように社の鈴が鳴り、アメの周りに蒼い炎が無数に灯った。
「よく連れてきたわ! あとは任せて!」
アメはそう言うと蒼い炎を体に纏い大きく宙を舞った。
入れ替わるように境内に入る紡生とミケ。
その後ろに迫る怨霊との間にアメは立ちはだかった。
「『我は狛。社を守る神獣。穢れを持ち込むこと、まかりならん』」
そう告げると蒼い炎が怨霊を阻むように渦巻いた。
構わず突進してきた怨霊がそれに触れると、その部分がボロリと剥がれ落ちる。
「ギャアウ!」
「この炎は狛の浄化の力よ!」
不浄を浄化し、神聖な空間を保つ。
それが狛の役目。
蒼い炎は浄化の炎なのだ。
苦しむようにのたうち回る怨霊を前に、アメは鋭い声を上げた。
「逃がさないよ!」
アメの意志を受けた炎は逃げようと後退した怨霊を囲んだ。
逃げ道を塞がれた怨霊が戸惑ったように動きを止める。
「紡生ちゃん! 媒体は!?」
「予定通り、怨霊の中!」
「ナーイス! それじゃあ……」
そう言うとアメは輝きだした。
前にも見たことのある光――神力だ。
「神様力最大出力~~~!!」
アメから放たれた神力が怨霊の中にある首輪に注がれ、首輪も淡い光を放つ。
少しの後、白い粒のような光があふれ出した。
耳をすますとその粒からは温かい言葉が聞こえてくる。
『愛してる』
『元気でいてね』
『いつまでも一緒にいられますように』
優しくて、温かくて、安寧を願う声。
紡生でも、アメでも、もちろんミケの声でもない。優しい女の人の声だ。
これは――
「聞こえるでしょう。首輪に込められた想いが。これは全部蒼樹さんのものだよ」
紡生はミケから降り、蒼樹の想いが届くように声を張り上げた。
あの首輪は蒼樹が手縫いで作ったものだ。
一刺し一刺しルルーへの想いを込めて作られたそれには、今も確かに願いが宿っている。
ルルーの幸せを願う。そんな想いが。
白い粒はやがて一本の糸へと姿を変え、どこかに向かって伸びていった。
「それは縁の糸。アメちゃんに頑張ってもらってね、見えるようにしてもらったんだ」
アメが神様力で具現化してくれた縁だった。
可視化するには多量の神様力を必要とするため神域内でしかできない。
だからこそ怨霊を猫社まで誘導したのだ。
それもこれも――
「ルルーちゃんに知ってほしかった。今でもあなたを大切に想っている人がいるってことを」
紡生の言葉では届かなくても、飼い主の……蒼樹の言葉なら届くかもしれない。
わずかでも自我を取り戻してくれるかもしれない。
自我を取り戻したら幸せだった記憶を思い出してくれるかもしれない。
そうすれば消えるそのときだけでも恨みから解放してあげられるから――。
可能性は限りなく薄い。
けれど恨みにのまれたまま消えるなんて、幸せだったときすら忘れたままだなんて、そんなのは嫌だから。
紡生はまっすぐに怨霊へと向き合った。
「思い出して。あなたは――確かに愛されていた」
その言葉に応えるように、浮かんだ粒が怨霊を囲んでいく。
『ルルー……帰ってきて』
今も帰りを待っているのが分かる言葉が降り注ぐ。
糸を通じて今の蒼樹の気持ちが伝わってきているようだ。
「ガアウ?」
怨霊は目を見開き、糸を見上げた。
『会いたいよ』
『ずっと、いつまでも待っているから』
『帰る場所はここにあるよ』
そんな言葉が雨のように怨霊の中へと落ちていく。
震える声は涙にぬれていたけれど、それでも愛しているのを伝えようと紡がれていく。
怨霊はしばらくその声を、糸を見つめていた。
――ぽとり。
ふいに大きな雫が怨霊の赤い目から零れ落ちた。
黒いドロドロではなく、透明な雫が。
――怨霊が、いや。ルルーが泣いている。
自我を取り戻しているのだろうか。
泣きながら震えるルルーは、その体にため込んだ怨念を振り払おうと藻掻いているように見えた。
「恨みを落としたいと望むのなら、炎に入りなさい。浄化の炎は穢れだけを落とす。癒着してしまった部分はどうにもならないけれど、自我が少しでも残っているのならその部分だけでも輪廻に還れるかもしれないわ」
アメはもがくルルーを見て、静かに語りかけた。
飲まれてしまった部分はもうどうにもならない。
けれど少しでも自我が戻っている今なら……少しでも来世につなげられるかもしれないと。
「グゥア……」
ルルーは迷うように一声だけ鳴いた――そのとき。
――リリン
ルルーの中から鈴の音が聞こえてきた。
首輪についた鈴の音だ。
ルルーはその音を聞くと懐かしそうに目を細め、やがて蒼い炎へと一歩踏み入れた。
炎に包まれて行くルルーは苦しむ様子もなく、ただ穏やかに目を閉じていた。
大きかった黒い体はボロボロと崩れ、みるみるうちに消えていく。
『……にゃあ』
最後の一片が消えるそのとき、紡生は炎の中に灰色の猫が座っているのを見た。
炎の消える音共に鳴き声が聞こえた気がした。




