3.おかえりコムギ
――にゃあ
「…………コムギ?」
どこかで猫の鳴く声が聞こえた気がして重い瞼を開くとフローリングの板が目に入った。
のそりと体を起こすと、玄関扉の透かしから夕暮れの光が差し込んでいるのが見える。
どうやら玄関で爆睡していたらしい。
「……そっか。猫社から帰ってきて、そのまま寝ちゃったんだ」
固いフローリングで寝ていたからか体のあちこちが軋んでいる。
けれど頭だけはもやが晴れたようにすっきりとしていた。
ここ最近続いていた寝不足が解消されたのだろう。
いつの間にか頭の痛みも引いている。
「……今なら探しに行けるかな」
絶対安静とは言われたけれど、じっとしているなんてできなかった。
紡生はそのまま外へと向かった。
「あ、ちょうどよかった」
「え」
扉を開くと、玄関先で待っていた三毛猫がしゃべりかけてきた。
一瞬猫がしゃべったことに驚くが、猫社でのことを思い出す。
「……ああ、ミケさんか」
猫がしゃべるという驚くべき状況ではあるけれど、紡生はもう慣れつつあった。
そもそもしゃべる猫だけの話じゃない。
神やあやかしが出てきている時点で自分の常識は通用しない。
なら深く考えるのもムダというものだ。
「こいつで間違いないか」
「え? こいつって」
ゆるく頭を振った紡生に、ミケは自分の背の方へと視線を送った。
視線を辿ると、そこには震えてうずくまる白猫がいた。
まだ成猫になりきらない大きさで、尻尾の付け根には麦のような茶色い模様のある子だ。
(この特徴は……!!)
見間違えるはずもない。
「コムギ!!」
紡生は喜びのままに近づいた。
どうやら縁を辿って見つけてくれるという話は本当だったらしい。
けれどコムギはびくりと震え、ミケの後ろに隠れてしまった。
「おい、急に近づこうとすんな。パニックが治まってないんだから」
「あ、ご、ごめんなさい。つい」
紡生は急ぐ心を落ち着かせ、極力穏やかな声をかけた。
「コムギ、私だよ。紡生だよ。ごめんね。怖かったでしょ。おうちに帰ろう?」
コムギはフルフルと震えていたが紡生の声を認識したらしい。
ゆっくりと近づいてきて、くたりと座り込んだ。
「コムギ……?」
そっと抱き上げると体がぬれていることに気が付く。
「二つ隣の家の室外機の下にいたが、雨に濡れたみたいだ。飯も食えてないみてーだから体力も落ちている。さっさと介抱してやんな」
「た、大変!」
紡生はすぐに毛布で包み、その周りに湯たんぽやカイロを添えてケージに入れた。
泣きそうになりながらも必死に温め続けていると、震えが治まっていくのが分かった。
もう少し落ち着いたら病院へ行けそうだ。
「あとは任せていいな。じゃあオレは帰る」
バタバタする紡生をしり目に、ミケは塀に飛び乗った。
そう言い残し軽やかに塀の向こうへと消えていく。
「あっ、ミケさん! ありがとう!」
慌ててお礼の言葉をかけたが、届いただろうか。
(ありがとう)
紡生はもう一度心の中でお礼を言い、病院へと向かった。
◇ ◇ ◇
――ガランガラン
澄んだ鈴の音が聞こえてきた。
その元では紡生が穏やかな笑みを浮かべて祈りを捧げている。
「コムギ、無事に帰ってきました! 今は落ち着いています。本当にありがとうございました!」
コムギは雨に濡れたせいで体力が落ちていたけれど、幸いなことに怪我などはしていなかった。
そのおかげで少しずつ元の生活に戻ってきている。あと数日もゆっくりとすれば落ちつきを取り戻すだろう。
「またコムギに会えたのは猫社の皆様のおかげです!」
もしもあの日猫社にお参りに来ていなかったら、きっとまだ見つけられていないだろう。
そうなればコムギの体力が尽きて最悪の事態になっていたかもしれない。
いや、そうなる可能性の方が高かった。
初めて家の外に出る猫が無事に帰ってくる可能性は本当に低い。
無事に帰ってきた確率を調べたときは、本当に生きた心地がしなかった。
だから猫社には感謝してもしきれない。
紡生はリュックの中からマグロ缶を取り出して社の横に供えた。
「お礼に何をもってこればいいのか分からなくて、勝手なセレクションなんですけど」
神様にはお酒を捧げるのがいいのかとも思ったけれど、紡生はまだ十八歳。お酒を買うことはできない。
だから取りあえず猫が好きそうで、お礼になりそうなお値段のモノを持ってきた。
「もちろんこれだけで感謝が伝わるとは思っていないので、なにかリクエストがあれば――」
「やだぁ! あたしコレ大好き!」
「んえ?」
なにかリクエストがあれば教えてほしい。
そう言おうとしたら足元から可愛らしい声が聞こえてきた。
見てみるとニコニコ顔でマグロ缶を食べるアメがいた。
「……アメ様?」
「はあい、アメでーす! でも『様』はやめてほしいな。距離を感じるからさ。ってことであたしのことはアメちゃんって呼んで!」
「あ、はい」
アメはピースサインを作り、ウインクを決めた。
神様というより、まるでアイドルのようだ。
「それよりもコムギ、ちゃんと戻れたってね。よかったよかった!」
「はい、本当にありがとうございました! 私だけじゃ見つけてあげられなかったので……」
ミケの話では二つ隣の家の室外機の下にいたらしい。
近所の家には事情を話して探させてもらったにもにも関わらず見つけてあげられなかったのだ。
見落としてしまっていた事実が悔やまれる。
「まあ猫はかくれんぼの天才だからしょうがないしょうがない! そんなに落ち込むことないよ~」
しょんぼりとしているとアメはキャラキャラと笑った。
「それに探した場所にいたにも関わらず出てこなかったってことは、ある意味でコムギが貴女のことを信用していた証拠でもあるし」
「え?」
「猫はね、仲間と認めた者の雰囲気で危険かどうかを判断するの。だから大声で、しかも慌てて探し回っていたら危険があるんだって思って余計出てこなくなるのよ~」
「そ、そうなんだ……」
飼い主の動揺が伝わってしまい、結果的に余計に怖がらせてしまうのだそうだ。
そんなの、飼い主失格ではないか。
一番怖い思いをしていたのはコムギだったのに、自分が焦っていたせいで余計な恐怖を与えてしまった。
申し訳なくて落ち込んでしまう。
「まあでも、こうしてコムギを帰してあげられたのは貴女のおかげだから、そんなに落ち込まないで!」
「え? ど、どういう?」
予想外の言葉を掛けられて顔をあげると、アメはいつくしむような眼を向けていた。
「いくら飼い主が帰ってきてほしいと願っていたとしてもさ、猫の方が帰りたいと思っていなければ縁を繋いであげられないんだよ~」
アメは猫にとっての飼い主の在り方が問われるのだと言った。
つまりは普段からどう接しているかが重要なのだと。
「コムギが帰れたのは貴女のことを信頼していた証拠なのよ!」
「コムギが……?」
自分のことを信頼してくれていた?
こんなダメダメな自分を……?
「っ!」
鼻の奥がツンとした。
目が熱くなり、涙が滲んでいく。
脱走させて、しなくてもいい恐怖を味わわせてしまった。
だからコムギは自分のことを怨んでいるかもしれない。嫌われてしまったかもしれない。
そう思っていた。
……けれどアメの話を信じるのなら、コムギは紡生のことを嫌ってはいなかったということになる。
むしろ紡生の元に帰りたいと、紡生を信頼できる仲間だと思っていてくれたというのだ。
「コムギが……そんな風に……?」
「うん。……だからあんまり思いつめちゃダメよ? コムギはそれを望まない。ならどうすればいいのか。わかるでしょ?」
そう問うてくるアメはいつものおちゃらけた雰囲気ではなく、凛とした空気を纏っていた。
澄んだオッドアイはなにもかもを見透かしているように真っ直ぐ紡生を捉えている。
(私が……これからしてあげられること……)
それはきっと自らの過ちを責めることではなく、寄せられた信頼に応えるために動くことだ。
紡生は目元を赤く染めながらも力強く頷いた。
「もう絶対に危ない目には遭わせない。コムギが安心して暮らせるようにしてみせます!」
「うんうん、その意気やよし! がんばってねん」
紡生の答えに満足したのか、アメは体を足に擦り付けてきた。
まるで慰めてくれているかのようで心が温かくなる。
軽く撫でてみると、ゴロゴロと喉を鳴らしてくれた。
紡生は滲んだ涙をごまかすように撫で続けたのだった。
◇
「……さあて、そんじゃあそろそろ次の仕事に行こうかな」
しばらくそうしていると、アメはふいに立ち上がった。
「あっ……」
そうか、もうお別れなんだ。
よくよく考えれば神様自身が直接出向いてくれている今の状況の方が普通じゃない。
アメがあまりにも話しやすいからつい、忘れていた。
「……本当にお世話になりました。この御恩はずっと、ずっと忘れません!」
収まっていた涙がこみ上げてくるけれど、別れに涙を見せる訳にはいかない。
紡生は腹に力を入れ堪え、笑みを浮かべてみせた。
「なーに終わった気でいるの? 貴女も一緒にいくんだよ?」
「え?」
言われた意味が分からずにキョトンとしてしまう。
そんな紡生に、アメは何かを企んだような笑みを浮かべた。
「コムギを帰したらなんでもやるって言ったっしょ? ほら、初めにお参りしてくれたとき!」
「ああ、そう言えば……」
コムギを帰してくれるのなら何でもするつもりだった。
あの言葉にウソはない。けれどそれとこれとがどうつながるのだろうか。
首をひねっているとアメは立ち上がり胸を張った。
「ふっふーん。そういうことで、貴女にはあわせ屋のお手伝いをしてもらいまーす!」
「え……えええええ!?」
突拍子もない申し出に素っ頓狂な声が出てしまった。
「あわせ屋のお手伝い!? そ、それって私にできるんですか!?」
「できるできる!」
「本当に!?」
軽い言い草に不安になる。けれどアメは本気らしい。
「もっちろん。難しいことはあたし達でやるし、心配いらないよん! それにあわせ屋も猫社も猫手不足だからね!」
「ね、猫手不足!?」
「そうそう! いやー、これでようやく寝不足から解放されるわ~!」
アメは心底嬉しそうな笑みを紡生に向けた。
器用に二本足で小躍りするほど嬉しいらしく、断れる雰囲気ではない。
(本当に大丈夫なのかな?)
自分には縁を結ぶことも、猫を探すこともできる気がしない。
けれど……
紡生はちらりとアメを伺った。
未だに浮かれて踊っている。
(……こんなに喜んでもらえるのなら、まあいいか)
思わずクスリと笑みが漏れた。
自分が役に立てることがあるかは分からないけれど、あわせ屋の仕事に携われるのなら素敵だと思う。
だってあわせ屋は猫の無事を祈る飼い主や、帰りたいと願う猫、そのどちらの役にも立てる場所だから。
紡生はなんだかワクワクとして、笑顔で頷いた。
「わかりました。精いっぱいやってみます!」
「そうこなくっちゃ!」
ニカっと笑うアメにつられ、紡生もまた笑みを浮かべたのだった。




