27.異常事態
消毒液の臭いが鼻を刺激する。
獣医師たちが慌ただしく出入りする部屋の外で、紡生はベンチに腰かけていた。
今治療室にいるのはゴミ袋に入れられていた猫だ。
その猫はまだ息をしていた。
泡を吹き力のなく横たわっていたが、まだ助かる可能性があった。
だから紡生はすぐさまこの動物病院へと走った。
それから数時間、紡生はなにもできずにただここに座り込んでいる。
ガチャリとドアが開く音がした。
反射的に見上げると、緑色の医療服をきた夏苗が治療室からが顔をのぞかせているのが目に入る。
紡生は居ても立っても居られず立ち上がった。
「お姉ちゃん! ど、どうなった……?」
「心配は分かるけど慌てないの」
夏苗は医療服を脱ぎ、疲れた様子で紡生の隣に腰をおろした。
「なんとか一命はとりとめたわ。でも予断を許さない状況よ。これから先どうなるかは、あの子の体力次第だと思う」
「……病気なの?」
「ううん」
夏苗は静かに首を横に振った。
「……あの症状は、《《毒物》》の可能性が高いと思う」
「ど、毒……!?」
「うん。脱水症状と出血による貧血、その他中毒症状が出ていたから、たぶん殺鼠剤かなにかを食べちゃったんだと思う」
「殺鼠剤……」
その名の通りネズミ駆除で用いられる毒餌だ。
家庭や飲食店でもよく使われるものなので薬局でも売っているのを目にしたことがある。
「じゃあ殺鼠剤を間違って食べちゃったか、食べたネズミを食べて中毒症状を起こしたってこと?」
「その可能性もなくはないけど……」
「?」
夏苗は言いにくそうに視線を反らした。
「殺鼠剤にも即効性のものと遅効性のものがあってね」
即効性の毒を食べたネズミを猫が食べた場合、ネズミの体内で分解されるから二次中毒を引き起こす可能性は低い。
逆に遅効性の毒は二次中毒を引き起こすけれど、相当量の蓄積がないと中毒化はしないという特性があるのだという。
「仮に遅効性毒を食べたネズミを食べたとしても、猫の体重で考えると二〇~三〇匹くらい食べていないと起きないと思うわ。だからつむが言うようなことは起きないはずよ。だから二次中毒じゃない可能性の方が大きいと思うの」
「どういうこと?」
「つまり――誰かが《《意図的に》》毒を飲ませたということよ」
「!?」
あまりのことに言葉を失う。
まさかと思ったけれど、夏苗はやけに確信めいた顔をしていた。
「実はね、あの子だけじゃないの」
「え?」
「ここ数日、この付近で同じような症状で運ばれてくる子が少なくとも《《五匹》》もいたの。偶然とは思えないわ」
頭を殴られた様な衝撃を覚えた。
数日の間に五件、同じ症状で運ばれた。
偶然というには多すぎる。これではまるで……。
「じゃあ意図的に猫を毒で殺している人がいるってこと……?」
「そうね。しかも即効性の強い毒ではなく遅効性の弱い毒を使っている。だから愉快犯なんじゃないかと思うの。できるだけ長く苦しめていらなくなったら捨てる。そんなことを繰り返しているんじゃないかって。……つむが見つけたときゴミ袋に入れられていたんでしょ?」
「っ!」
あまりにも非道な予測に血の気が失せる。
そんな非道なことをする人が、近くににいるなんて思いたくない。
「…………なん、で」
「それは分からないわ。でも、明らかに異常事態よ。捕えて毒を与えるのか、はたまたばらまいているのか……。でももし毒がばらまかれているなら猫だけの話じゃなくなる」
この地域に住む者として毒がばらまかれているかもしれないだなんて、とてつもなく不安なことだ。
もしも散歩中の犬が食べてしまったら? もしも公園などにあって、子供が触れてしまったら?
そういう事故につながりかねないことだった。
「しかも毒だけじゃなくて昨日のボヤ騒ぎの跡にも猫の遺体があったみたいでね。《《いろんな方法》》で猫が処分されているらしいの。凶悪性が高いからって本格的な捜査が始まったらしいわ。バイオテロか放火か、はたまた全く違う目的があるのか分からないけれど、一貫して猫が犠牲になっているから同一犯の可能性が高いって」
「……犯人は見つかったの?」
「まだみたいね」
「そう、なんだ……」
足に力が入らず、ふらりとよろけた。
猫を意図的に苦しめている人が、この街のどこかにいる。
しかもすぐに殺さず、じわじわと弱るのを待っているかのようなむごいやり方を好む、残忍で非道な人物が。
何のために?
どうして?
そんなの分からない。分かりたくもない。
けれどこれだけは分かる。
「……絶対に許せない」
理由なんてどうでもいい。
どんな理由であろうと理不尽に痛めつけるだなんて許されることじゃない。
紡生は腹の底から怒りがこみ上げてくるのを感じた。
ジッとしているなんてできなかった。
何ができるかなんて思いつかないけど、それでも自分にできることをしたい。
犯人逮捕につながる何かを――。
そんな紡生の考えを見通したのか、ため息が聞こえてきた。
「許せないのは私も同じだけど、この件に首をツッコんじゃだめよ」
「……でも」
「でもじゃないわよ。危険すぎるに決まっているでしょ。猫に非道なことをしているやつが、人間に手をださないとも限らないのよ」
「それは……」
猫を害したい犯人と猫を助けたい紡生。
確かに犯人からしたら邪魔で仕方がない存在だろう。
襲われる可能性もないとは言い切れない。
夏苗は真っ直ぐと紡生の目を見つめた。
こちらの身を案じてくれているのがよくわかる。
「だから一人で出歩かないように言っておこうと思って電話したのに、まさか先に当事者を連れてくるとは……」
夏苗は毒事件のことを知ってすぐに知らせようとしていたらしい。
昼間にあった着信はそれだったようだ。
「とにかく危ないことはしないこと。あとなるべく一人にならないこと! いいわね?」
「う……」
圧が強くて頷かざるを得なかった。
夏苗は頷いた紡生を満足そうに見ると、車の鍵を取り出した。
「さて。あの子のことはできる限りのことはしたし、今ここにいても仕方がないわ。だからつむはもう帰りなさい。送っていくわ」
「……うん」
運んできた猫のことも毒事件のことも気になるけれど、今自分にできることはなにもない。
やるせなさを抱えながら送られるしかできなかった。
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