17.流れ、巡るもの
「さてと、じゃあ対策を考えようと思うんだけど……」
あわせ屋に戻り体を拭き終わった紡生は客間で座っていた。
塩を含んだ髪はまだべたべたするが、シャワーを浴びている時間もないし仕方がない。
隣に座ったミケも体中がべたついているのか不機嫌そうに顔をしかめていた。
尻尾があったら間違いなく激しく床を打っているだろう。
正直、ミケの気持ちは分かる。
(塩を投げかけられるなんて、滅多にないもんね)
紡生も人生初の経験だった。
漫画とかでは見かけるけど実際にやってくる人がいるとは思いもしていなかったし、やられる側としては気持ちがいいものではない。
とはいえ今回はそうされても仕方がないという気持ちもある。
いきなりやってきた不審者に大切な家族を利用されそうだったのだから。
紡生はまだご立腹のミケに苦笑いを向けた。
「まあまあミケさん。さっきのは私たちの対応もまずったから仕方がないよ」
「こっちに非なんてあったか?」
「いやあ……それはだって、ほら。いきなり宗教の勧誘みたいな言葉を掛けたら、ねえ? そりゃあ警戒されるっていうか、塩撒かれても仕方がないというか、少しでも話をできた事のが奇跡っていうか」
「?」
ミケは何が問題なのか分からないと言いたげに首を傾げた。
「ウ、ウソでしょ? 本当に分からないの!?」
「そう言えばさっきもバカとかなんとか言ってくれたな。そんなダメなとこあったか?」
「……マジか~」
どうやら本当にどこがダメだったのか分からないようだ。
やっぱりあやかしだから感覚が人間とはズレているのかも。
きょとんと首を傾げるミケに頭が痛くなってきた。
(とりあえず置いておこう)
ミケに関してはおいおい考えるとして、今はとりあえずアズキのことを考えなければ。
紡生は咳払いをして強引に話を進めることにした。
「正直今回みたいなときって、時間が解決するのを待つのが一番いいと思うんだよね」
大切にしていたペットを亡くしたとき、酷く落ち込む経験は紡生もしたことがある。
産まれてからずっと一緒だった先代猫・ムギが亡くなったときは、途方もなく落ち込んだものだ。
辛くて、悲しくて、会いたくて、でも会えなくて。
なにかできたんじゃないかと己を憎んで、けれど自分ではどうしようもなくて、家族に八つ当たりをしたこともある。
ちょうど、先ほどの黒永のように。
だから黒永の気持ちは痛いほど分かった。
「それなのに初対面の人にずけずけと言われたら、怒るのもムリはないっていうか。だから気長に待った方がいいんじゃないかって思うんだけど……」
「それはできない」
紡生なりの考えを話したが、少しも間を置かずにピシャリと言い切られる。
「なんで?」
「なんでもなにも、それだとアズキが持たないからだ」
「どういうこと?」
首を傾げると、ミケは大きなため息を吐いた。
呆れた眼差しに肩身が狭くなる。
「いいか、よく聞け。魂は流れてこそのモノなんだ」
「な、流れる……?」
ミケの話では、この世は大きな川のようなものらしい。
上流から下流へと流れていくその動きが時間の流れで、生き物はその川の中に落とされた状態なのだとか。
ただし柔らかい魂がそのまま川に入れられてしまうとすぐに崩れてしまう。そのため川にいるには器が必要で――
「じゃあ器が肉体ってこと?」
「そうだ」
川を流れれば石の角が削れて行くように、器も長く流れていればだんだんと削れていく。
それを成長と呼ぶか老化と呼ぶかは人により変わるが、元のままであり続けることはない。
そして流れ続けた器はやがて壊れることになる。
「役目を終えた器からは魂がまろびでて、水が蒸発するように天へと昇る。そしていずれ雨のように降り注ぎこの世に生まれ落ちる。これが自然の掟だ。人間も動物も、もっと言えばあやかしも神も変わらない。……が、これに逆らうものも一定数いる。ちょうど今のアズキみたいにな」
ミケは前に置いてある座布団を見た後、紡生へと視線を戻した。
「柔い魂のまま現世に居続けたら、どうなると思う」
「あっ!」
そこまで言われてようやく気が付いた。
器があっても時の流れには逆らえない。削れ、砕け、朽ちていくというのなら……。
「このままとどまり続ければすり減って……いずれ消える……?」
「そう。そしてそれは天に昇る魂とは違う。本当の意味での《《消滅》》だ」
「消滅、って」
「擦り切れた魂はもう戻れない。分解され、自分が何者なのか分からなくなる。そうして消えるまでの時間をたださまようことになる。……だから急がなくてはならない」
どこか遠いところを見つめるミケの目はなぜか揺らいでいた。
それが何を意味するのかは分からないが、悲しみや不安からくるものに見える。
今まで怒っている顔ややる気のない顔ばかり見ていたが、こういう顔は初めてだ。
(……たくさん見てきたのかな)
消えていくモノの声を聞き、姿を見る。それはどれほど苦しいことだろうか。
だからミケはたぶん、そういう魂を見たくないのだ。
「……猶予はどのくらいなの」
「詳しい時間は神にしかわからん。だがアズキは既に死んでから一週間が経っている。もうさほど時間は残されていないとみていいだろう」
「……そう、なんだ」
アズキはただ黒永が心配でこの世に留まっている。
飼い主を、家族を心配するのが悪いだなんて思わない。
でもこのままではアズキは自分が何者か分からないままさまよい、終わりを迎えてしまうことになる。
それにもしもアズキがそんな風になってしまったと黒永が知ったら、きっともっとふさぎ込んでしまうだろう。
アズキの願いとは真反対の結末になってしまう。
そんなの、悲しすぎる。
できるなら、どうにかしてあげたい。それなら。
「こうしちゃいられない。もう一回行ってみよう!」
「何か策があるのか?」
「ない!」
自信満々に言い放った言葉にミケはずっこけた。
起き上がった物言いたそうな目をまっすぐに見つめ返す。
「私にできることなんてたかが知れているだろうけど、それでもこのまま見ているだけだったら悲しい結末になるだけでしょ? だったら何ができるか分からないけど、とにかく動いてみないと!」
そう言い切れば、ミケは理解不能とばかりに眉をしかめた。
「分からないな。さっきまで消極的だったくせに。それに、アズキや黒永がどうなろうとアンタには何の関係もないだろ。なんでそこまでしようとする?」
「なんでって……ミケさんの話を聞いて何もしないほど薄情じゃないんだけど。それにミケさんだって、助けたいんでしょ? ならやれることを探してみる。当然でしょ?」
「……」
さっきみたミケの顔が忘れられない。
今までどれだけ見てきたのかは知らないが、見なくて済むかもしれない可能性があるのならできることをしてあげたい。
そう思うのは普通のことだろう。
「アンタにはなんの利もないのに?」
「利って……。ミケさんさぁ、人の好意は素直に受け取りなよ」
思わずため息をついてしまった。
はあ~やれやれと首を振っていると、急に額に爪を刺される。
「いったーーー!? なんで!?」
「むかついたから」
「ひどくない!?」
額を抑えて蹲る。
ドムシッとめり込んだ気がするんだけど、大丈夫か、これ。
押えた手に血はついていなかったので大丈夫だと信じたい。
「もう、暴力反対!」
「で?」
「聞いて!?」
ミケはさっさと話を進めろと目で訴えてくる。
分かったよ。進めるよ!
紡生は咳払いをして話に戻った。
「……ゴホン。要するに、《《情けは人の為ならず》》ですよ」
「あ?」
「あれ、もしかして知らない? 人に情けをかけると巡り巡って自分のためになるってこと」
「いや知っとるわ。それがなんだって聞いてんの」
「なにって言われると困るけど、まあ誰かの助けになれたら自分が困ったときも助けてもらえるかも? みたいなマインドだよ。うちの家訓なんだ」
困っている人を助けることができたら自分もいい気分でいられるし、もしかしたらそこからつながる縁があるかもしれない。
逆に手助けできたのに見捨ててしまえば、恨みを持たれるかもしれない。
だから自分の無理のない範囲でできることがあるのならやってあげなさい。
紡生はそう言われて育ってきた。
「まあ深く考えなくてもさ、できるなら恨まれる選択よりも感謝される選択を選びなさいってこと。そのほうが気分いいでしょ?」
「……ただの自己満足じゃねーか。そんなんで首を突っ込むとか馬鹿なのか?」
「自己満足で結構! だって自分のことだもん!」
紡生は元気よく笑ってみせた。
自己満足だとか、偽善者だとか、よく言われる。でもそんなの関係ない。
だって自分がやりたいようにやるのが悪いことだなんて思わないから。
「だからさ、アズキちゃんたちの手助けになれることを探したいの。それにこれは私に向けられた仕事だしね。せっかく期待されているんなら、応えたい! ……あ、ついでにミケさんにも感謝されたらいいなー……とは思わなくもないよ! 褒めたけりゃご存分にどうぞ?」
「最後のがなけりゃずいぶん立派な志だと思ったんだが……やっぱりただのバカか」
「ええー? ひどいなぁ」
肩をすくめたミケにおどけてみせる。
その顔からは先ほどまでの揺らぎが消えていた。
それがなんだか嬉しくて、クスクスと笑みが漏れた。
「まあ真面目な話。一つ一つは小さなことでも巡り巡って大きな幸運になるかもしれないじゃない。だから誰に何を言われてもやれることがあるならやりたい。それが私の信条なんだ」
「…………アンタ」
「ん? なに?」
小さく息をのむ音が聞こえた気がしてミケを見る。
一瞬だけ重なった視線はすぐに逸らされてしまったが、なんだかひどく驚いた様子だった。
「……いや。相変わらずお気楽だなと思って」
「そうかな? まあそれは置いておいてさ。時間もないことだし、さっそくやっていこうよ」
「……はあ。わかったよ」
ミケはやれやれと首を振りながらも、少しだけ笑みを浮かべた。
「で、なにからやるんだ?」
「まずはそうだなぁ……。アズキちゃんに詳しい話を聞きたいんだけど」
「聞いてやる。ちょっとまっとけ」
ミケは座布団へと視線を向けると、じいっと耳をすませた。




