12.再会と気持ち
首を傾げていると、ミケは細めていた目を緩めあくびをかました。
「それより、飼い主も来たからオレらの仕事は終わりだ。戻るぞ」
「え、もう!? 後処理とかはないの?」
「んなもんねーよ」
「ええ……? じゃあ赤堀さんとハチちゃんは? 帰るなら挨拶くらいしないと」
赤堀は先ほど到着したばかりだし、すぐにハチの元に案内したので今は感動の再会中なはずだ。
今帰るとなるとその空気に水を刺すことになる。
せめてあと少しはまってあげたほうがいいだろう。
そう告げるとミケはうんざりと眉をひそめた。
「必要性を感じない。人間の相手なんざオレの仕事じゃなないからな。それでもやりたいなら勝手にドーゾ。オレは帰る」
「あっ、ちょっと、ミケさん!」
止める間もなく去っていってしまった。
「もう……すぐそうやって関わりを断とうとするんだから」
紡生はため息をついた。
ミケは紡生を認めないという割に放り出すことなく教えてくれるし、聞いていないようで話もちゃんと聞いてくれていた。
紡生が転んだときも傍に来てくれたし、本当は面倒見が良いのだろう。
もしかしたら人間のこともそこまで嫌っているわけではないのかもしれない。
それなのにふとした瞬間、明確な線引きをしていると感じることがある。
それも紡生の気のせいでなければ、人間が嫌いだからという理由とは別で。
「……」
もう一度ミケの去っていた方を見る。
ミケが何を抱えているのかは分からない。その感情すら。
それでも共に仕事をする仲間になったのだから、これからは知っていきたいと思う。
「……まあ根気よく付き合い続けるしかないかなぁ」
紡生は頬を軽くたたいて気持ちを切り替えた。
とりあえずこの場を離れるにも挨拶くらいはしなければならない。
そう思っているとちょうど赤堀がケージを抱えて出てきた。
目が合うと小走りで近寄ってきて、勢いよく頭を下げてきた。
「ありがとうございました! まさか本当に見つけてくれて、手当もしてくれたなんて……。本当になんとお礼を言ったらいいか……!」
「私がやりたくてやって事なので気にしないでください。ハチちゃん、怪我もひどくなくてよかったですね」
にこりと笑いかけると赤堀は赤い目に涙を浮かべ、何度も頭を下げた。
ケージを覗けばハチはおとなしく丸まっている。
まだイカ耳で警戒はしているものの、赤堀のことは認識しているようだし、もう少しすれば落ち着いてくるだろう。
「ハチちゃん、もう脱走しちゃダメだよ?」
「……みゃあ」
ハチに声を掛ければ短く鳴かれた。まるで返事をしてくれたみたいだ。
「ふふ。いい子ですね」
「そうね。この子は本当に賢い子なの。いつもアタシの様子を気にしてくれている。でもその分他人が怖いみたいで、チャイムがなるだけで隠れちゃうの。……脱走だって来客が原因だった。この子の性格は分かっていたのに……」
――どうして脱走を防いであげられなかったのだろう。
きっとそう言いたかったのだろう。
困ったように笑いながらも、赤堀の顔には深い後悔の影が落ちていた。
「先生にもきつく言われました。脱走させないことが飼い主の務め。外は危険なものがいっぱいなのだから守ってあげないといけないって。私はそれを怠ってしまった。……飼い主失格ですね。大切な子に怖い思いをさせてしまうなんて……」
ハチが見つかった今でも自分を責めずにはいられないのだろう。
その気持ちは紡生にもよくわかる。
それでも……
紡生は真っ直ぐに赤堀を見つめた。
「――飼い主失格なんてこと、ないと思います」
「え?」
気が付いたら口にしていた。
赤堀の肩を掴んで目を合わせる。
「飼い主失格っていうのは、猫のことを考えてあげられない人のことを言うんだと思う」
独りよがりに可愛がったり、愛情を注がずに金儲けの道具と考えたり。
猫の意志を尊重してあげられない人のことを言うのだと思う。
そう言う人のところにいた猫は、逃げたくて逃げたのだからそもそも帰りたがらない。
「でも、ハチちゃんはそうじゃない」
紡生はケージを覗き込んだ。
ハチは相変わらず警戒はしているものの、じっと赤堀の顔を見つめていた。
「ハチちゃんを見ればわかりますよ。貴女はハチちゃんに信頼されているいい飼い主だって」
今も赤堀が傍にいるのが分かっているから、迷子になっていたときよりも落ち着いている。
それを信頼と言わずに何というのだろう。
「だからこそハチちゃんも帰りたいと思ってくれていた。じゃなかったら猫社にお参りしたところで帰ってこないと思いますよ」
「猫社の……? どういう……」
「前に『猫社に祈られた願いが叶うのは、猫が帰りたいと思っていた証拠』だって聞いたことがあるんです」
アメが言っていた。
願いを叶えるには、猫側の意志も必要だと。
つまり今回ハチを無事に赤堀の元へ帰せたのは、ハチ自身が帰りたいと望んでいたという何よりの証拠なのだ。
「ハチちゃんはあなたの元に帰りたがっていた。だから縁を結んでもらえたんじゃないでしょうか」
「……ハチが帰りたがっていた? アタシのところに?」
「はい」
迷いなく言い切る。
だってきっとそうだから。
「私もコムギを……愛猫を脱走させてしまったとき、自分は悪い飼い主だって思っていました。でも猫にとっては違うんだって知った。それなら自分を責めるより、猫の信頼に応えられるように努力したい。もう二度と怖い思いをさせないで済むように。赤堀さんはどうですか?」
「……」
そう問えば赤堀の瞳が揺れた。
「…………アタシに、できるかしら。ハチはこんなアタシをまだ飼い主だって、そう思ってくれているのかしら」
「きっと」
きっぱりと言い切れば見る見るうちに赤い目に涙が溜まっていく。
「そうなの、ハチ。こんな私を信頼してくれているの? 帰りたいと、思ってくれていたの?」
「んなーん」
「っ」
ハチは肯定するように鳴いた。
それだけで赤堀には通じたようだ。
ケージを持つ手が震え、大粒の涙がぽろぽろと落ちていく。
「にゃあ?」
ハチがまた鳴いた。
まるで「どうしたの、大丈夫?」と言っているみたいだ。
赤堀は何度も何度も頬を拭い、何とか笑顔を作った。
「ごめん、ごめんねぇ。大丈夫だよ。おうちに、帰ろうねぇ。一緒にっ、……帰ろう、ねぇ」
震える声はそれでも温もりが籠っていた。
もう、前を向けるだろう。
ゆっくりと、ゆっくりと。
お互いを支え合うように、一人と一匹は夕暮れの中に消えていく。
紡生はその背が見えなくなるまで見送った。




