11.怪我をしていたのは……
赤黒い液体がついた草は、点々と一本の道を作っていた。
その先には不法投棄されたガラクタの山がある。
ミケは目線を鋭くし、スンと鼻を鳴らした。
「……血だな。まだ新しい」
「っ!」
「猫だ。猫の匂いがする。それにこの匂い……『肉の赤堀』の油の匂いも混じっている。たぶんハチだな。どうやら怪我しているみたいだ。慎重に行くぞ」
「……」
「おい?」
「! あ、うん」
紡生はハッとして立ち上がった。
その様子をミケは怪訝な顔で見つめていた。
「……アンタ、もしかして血がダメなのか?」
「あー……。別に苦手ってわけじゃないよ。ただちょっと、突然だったから驚いただけ」
実際、学校の講義や実習では何ともない。
不意打ちで見るのがダメなだけだ。
でもそれも何とかねじ伏せることもできる。
紡生は頭を振って怖気を払い、気合で足を前に出した。
「それより怪我した子がいるなら早く処置しなきゃ。行こう」
ミケは何か言いたげな顔をしていたけれど、早く保護しなければという気持ちは同じだったらしい。
何も言わずに後に続いた。
ガラクタの山に近づいてくると、ツンとした嫌なにおいが鼻をかすめた。
酸っぱいような、鉄臭いような、動物病院でよく嗅ぐ馴染みのある臭い――怪我を負った獣の臭いだ。
「……ひどい臭いだな」
「そうだね。この感じだと傷口が化膿しちゃってるかも。早く保護して病院に連れて行かなきゃだけど……どうやって捕まえる?」
猫、しかも怪我を負った状態となると、非常に強い警戒心を抱いているに違いない。捕獲するのは至難の業だ。
けれどゆっくりもしていられない。
まだ血が出ているのなら止血しなければ貧血を起こしてしまうだろうし、傷口から菌が入る前に治療しなくては危ない。
迷っているとミケが一歩前へ出た。
「心配ない。オレが話をつける」
「あ、そっか。ミケさん猫と話せるんだったね」
空き地でみたように猫と意思疎通ができるのなら敵意がないことを伝えられる。
それならば保護することも可能だろう。
さらに一歩近づくと、気配を感じ取ったのか唸り声が聞こえてきた。
「威嚇するな。……ってこっちの言葉じゃない方が伝わるか」
ミケはガラクタの下を覗き込むように座ると、何やら猫の言葉を話し始めた。
「にゃあ、なおーん」
「うううう!」
「なう。みゃおん」
「うー……」
しばらくすると威嚇ばかりだった唸り声がダンダン小さくなっていき、ミケが立ち上がるころにはガラクタの下からキジトラの猫が這い出てきた。
見てみると後ろ足を怪我しているらしい。
引きずりながらも懸命に歩いてくる。
「話が付いた。アンタ、親戚がやってる病院があるって言ってたよな。連れてけ」
「あ、うん!」
どんな話をしたのかは分からないけれど、今はそんなことよりもハチの保護が優先だ。
紡生は着ていた上着でハチを包み、病院へと走り出した。
◇ ◇ ◇
「ハチ! すみません、ハチの飼い主です!」
夕暮れの病院に肉屋の女将、赤堀が駆け込んできた。
大きな声ではないが鬼気迫る表情だったので、相当急いできたのがよくわかる。
軽く会釈をすれば紡生に気がついた。
「貴女、朝の……!」
「連絡した小宮です。ハチちゃんは奥にいるのでどうぞ。先生に話はつけてあるので」
「あ、ありがとうございます!」
そう告げると赤堀は診療室へと向かっていった。
奥からは何やら話す声が聞こえてくる。
紡生はそれを聞きながら待合室のベンチに沈んだ。
「はあ……よかった」
河川敷で見つけたキジトラ猫は、ハチで間違いなかった。
つけられたままだった赤い首輪には名前と連絡先が彫り込まれていたし、朝貰ったチラシにも連絡先が載っていたので電話を入れることができた。
おかげで今は感動の再会をしてくれているはずだ。
(いろいろあったけど、なんとかなったかな……)
初仕事でいきなり失敗という事態は避けられたようで一安心だ。
「それじゃあ、落ち着くまで優しく声をかけていてくださいね」
脱力していると診療室から女性が出てきたのが見えた。
茶色のくせっ毛をひとまとめにし、ボストン型の眼鏡をかけたおっとりとした雰囲気の女性だ。
彼女は紡生を見ると苦笑いを浮かべてきた。
「ちょっと《《つむ》》。他に人がいないからって気抜き過ぎよ」
「あっ、ごめん」
慌てて背筋を伸ばせば、彼女は紡生の隣へと腰をかけた。
「もう、本当にびっくりしたんだからね。午前の診察も終わったし、そろそろ休憩に入ろうってときに駆け込んでくるんだもん」
「だって~」
「だってじゃないの。せめて事前に連絡くらいしなさい。私がいなかったらどうするつもりだったのよ。焦るとすぐに突っ走るの、つむの悪いところよ」
「うっ」
女性はため息を吐いてデコピンをお見舞いしてきた。
けれど本気のデコピンではないのでさほど痛くない。
紡生はおでこをさすり、頭を下げた。
「ごめんなさい。夏姉」
「まったくよ、もう」
彼女――白夏苗は紡生のいとこの姉で、ここ白動物病院の院長先生をしている。
若くして親から引き継いだ病院を、齢二十九で立派に運営している才女だ。
夏苗はふと吊り上げていた目を下ろすと困ったように笑った。
「……まあつむが怪我した動物を放っておけないのは分かるんだけどね」
「度々ご迷惑おかけしてます……」
紡生は昔から怪我をした動物を放っておけない質だった。
そのたびに夏苗の世話になっているので、夏苗ももう諦めの境地に至っているのである。
「まあいいわ。……それで? 外にいるあの人は?」
夏苗は珍しくにやけた表情で紡生と外を交互に見た。
視線を辿るとミケのことを気にしているらしい。
「ああ、あの人は……えーっと」
そこまで言ってはたと止まる。
そう言えば、自分とミケの関係って何といえばいいのだろう。
(友人? ではないし、仕事仲間……といってもミケさんには仲間とは思ってもらえていないし……)
固まっていると夏苗はさらにニヤニヤとして顔を近づけてきた。
「彼氏?」
「はああ!? ち、違うよ!!」
予想外のことを言われて目を剥く。
私とミケさんが? ないない! と全力で首を振れば、残念そうに肩をすくめてきた。
「なーんだ。ついにつむにも春がきたかと思ったのに~」
「なに言ってんの!? 違うからね!?」
「えー? でもつむ好みの美形じゃない。それに恰好は変わってるけど、なんかそれも似合ってて可愛いし。何かのモデルとかかしら? どこで知り合ったのよ、あんなイケメンさん」
「いやだからっ! あ、ほら。赤堀さん来たよ! いろいろ説明とかあるでしょ? 私は外にいるからごゆっくり!」
奥から赤堀が出てきたのをいいことに、興味津々で質問を投げかけてくる夏苗から逃れた。
危ない危ない。ああなった夏苗はなかなかとまらないのだ。
いつもは理性的で冷静な夏苗だが、人の恋愛話になるとスイッチが入ってしまうらしい。
自分は彼氏も作らないし結婚もしないと明言しているのに、人の話は聞きたがるんだから困ったものだ。
(……まあ私には話してあげられることもないんだけどね)
残念ながら紡生は恋愛とは無縁の生活を送っている。
動物の為になる仕事に就こうと勉強に熱を入れていたら、いつの間にか高校も卒業し大学生になっていた。
ちなみに、大学でも高校の二の舞である。
……別に気にしてなんかいない。
彼氏いない歴=年齢だけど、気にしていないったらない。
「おい、なんだか騒がしかったがどうかしたか」
「べ、別に?」
外に出ると騒ぎを聞きつけたミケがこちらへと向かってきた。
まさかミケとの関係をいとこの姉に勘違いされましただなんて言えるわけもなく、何もなかったと言い張る。
「そんなことよりも、ハチちゃんの傷もそんなにひどくなかったみたいです! 赤堀さんも迎えにきてくれましたし、今はずいぶん落ち着いたと思います」
「そうか」
何気なく話題を変えれば、ミケもほっとしたように息を吐き出した。
どうやらずっとハチの怪我の具合を気にしていたらしい。
「そんなに気になるなら中に入ればよかったのに」
「やだ」
被せ気味に拒否されてしまった。
「やだって……そんなに病院嫌いなの?」
「違う。普通の猫と体のつくりが違うことがバレると厄介なだけだ」
「ふうん?」
口ではそう言っているけれど、今も病院とは一定距離を保っているところを見ると、単純に病院が嫌いなだけな気がする。
猫には病院嫌いな子も多いから仕方がないのかもしれないが、ミケも当てはまるとは思わなかった。
……かわいいところもあるではないか。
「へえ~。ふ~ん」
「なんだよ」
「いいえ、別にぃ?」
「顔がうるさい」
「ひどいっ!」
ちょっとイタズラ心が芽生えただけなのに、なんてことを言うんだこの男!
いくら何でも女の子にそれはないと文句を言おうと見上げると、ミケはどこか遠くを見て目を細めていた。
「どうしたの?」
「……《《臭い》》な」
「えっ!?」
ドキリとした。
思わず自分の体の匂いを嗅いでみる。
自分の鼻では分からないが、病院にいたせいで匂いがついてしまったのだろうか。
「別に、アンタに言ったわけじゃない」
「そ、そう? じゃあなんだったの?」
「アンタが気にする必要はない」
「……」
壁を作る様な言葉に押し黙る。
恐らく「そんなもん案件」なのだろうが、こう明確に距離を置かれるとなんだかなあ。
「それで、ハチの傷の原因は分かったのか?」
しばらくするとミケはこちらを振り返り尋ねてきた。
「ああ、それが……」
ハチの傷は猫同士のケンカでできた傷ではなく、なにか鋭利なもので切ったような傷だった。
恐らく落ちていたガラスとか、柵から飛び出た金具とかで切ってしまったのだろう。
「外は危険なものがたくさんありますからね」
「……だといいんだがな」
「え?」
ミケは何事かを小さくつぶやいたようだったが、残念ながら聞き取れなかった。
いったい何だったのだろうか。




