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チャプター2

 気が付くと、そこは暗い暗い森の中だった。ひんやりした土の感触と草の匂いにくすぐられ、私はがばりと体を起こす。


「……着いたのかな。別の世界に」


 辺りを見廻すと、暗闇の中に木々の影がぼんやりと見える。いずれの木も日本では見慣れない高木で、それらの枝葉が寄り集まって空を覆い隠してしまっているようだ。しかし、頬を撫でる澄んだ空気が私に教えてくれていた。今は夜なのだと。


「ううっ、ちょっと寒い。イサムくん風邪引いてないといいけど。いつもスウェットだから……」


 先にワームホールをくぐったイサムくんが、私同様この森に辿り着いたとしたら、一体どちらへ向かったのだろう。また、それは一体何時間前のことなのだろう。私が会社に居る間、彼はこの森の中を歩いて歩いて……今どこに居るのだろうか。


「イサムくん、どこか落ち着ける場所に辿り着いてるといいけど……まさかまだ森を彷徨ってるとか? 今頃心細くて泣いてるかも。こうしちゃ居られない!」


 私は焦燥感に駆られて立ち上がり、ひとまず前進を始めた。持ってきた包丁は、幸い目に付く所に落ちていたのですぐ拾えた。暗闇に慣れた目を頼りに、木々の間のいくらか踏み固められた所をそろりそろりと歩いていく。


「何だろう歩きやすい……天然の森ってこんなものなの? 暗くてよくわからないけど実は道がある? 人が通った跡……いやそれとも……」


 と、その時、前方からガサガサッと木の葉の揺れる音がし、けたたましい鳴き声が聴こえた。同時に、およそ人の靴ではない足が地面を蹴る音も。


「……やっぱ居るよねー、野生動物」


 道を作るのは何も人だけではない。私は包丁を前方に突き出して身構えた。何せ異世界の動物だ、どんなのが飛び出して来るかわからない。ただの会社員に対処できるとも思えないが……愛するイサムくんを連れ戻すため、多少命を張るのは覚悟の上だ。


「さぁ、来るなら来い……ジビエにしてあげるよ」


 よく目を凝らして、私は前からやって来る敵を探した。しかし、数十秒経ってもそれは一向に現れなかった。耳を澄ませても、遠くから鳥の声が聴こえるだけ。先程の足音もぱたりと止んでしまっていた。


「……ふぅ」


 強張っていた私の手足から、スッと力が抜ける。どうやら、ここらに住む獣がただ通り過ぎただけのようだ。


「なぁんだ、緊張して損し……」


 と、私が胸を撫で下ろしたその時だった。


『シュ〜〜』


 私の頭上から不気味な音がして、後ろ髪に冷たい先端が触れた。次の瞬間、大きな口が俄に息を吸い込む気配がし、上顎と下顎が風圧を伴い急接近するのがわかった。


「たあああああああああっ!?」


 咄嗟に私はヘッドスライディングぎみに倒れ込み、頭をパックンチョされるのを避けた。そのまま土の上を転がり、私を捕食しようとした輩の姿を見る。


「なっ、ななななな」


 それは、高木の梢ほどに鎌首をもたげた巨大な蛇だった。頭だけで私の上半身ぐらいの大きさがあり、辺りの木々に巻き付きながらくねる胴体は長すぎてもうどこまで伸びているのやら。それほどの体躯が淡い燐光を放って暗闇に浮かび上がっており、爛々と輝く目は私という獲物の姿をしかと捉えていた。


「なんじゃこりゃああああああああ!!」


 私は土を掻いて立ち上がり、一目散に逃げ出した。無理無理、とても無理。流石にここまでサイズ差があると命張った程度じゃどうにもならない。異世界の野生動物ヤバい、ヤバすぎる。


『シュ〜! シュシュシュ〜!』


 一方の大蛇は、身の毛もよだつ威嚇音を発しながら猛スピードで私を追いかけて来る。それはもう巨体に似合わぬ滑らかな動きで、私の逃げて行く経路を的確にトレースしてどこまでも追って来る。


「タスケテーーーーーーーーーッ!!」


 昔から足は速かった私だが、如何せん恐怖と混乱のために疲弊が早い。思わず泣きが入った拍子に、とうとう足がもつれた。


「うがあっ!?」


 横転して肩をしたたかに打ちつけ、悶絶する私。その隙を大蛇が逃すわけもなく、瞬く間にピンク色の口がぱっくり開いて私めがけ突進して来た。


「わっ、ちょっ……来ないでえっ!!」


 私は咄嗟に包丁を虚空に突き出した。相手のことなんか見てない。ただ本能的に死を逃れんともがいただけの、虚しい蟷螂の斧だ。このまま私は大蛇に飲み込まれ、胃の中で粥状に消化されながら一生を終えるんだ……イサムくんの顔をもう一度見ることもなく。私がそう悟った時だった。


 ズブリ


 包丁の切っ先が何かに突き刺さり、同時にずっしりと重い手応えが私の腕にやって来た。肩が外れるかと思うほどの衝撃に、たまらず私は目を開けた。


 するとどうだろう、私はいつの間にか大蛇の巨大な頭部の真下に潜り込んでおり、包丁の刃はやつの顎の下にある柔らかそうな一点を貫いていた。


『フシュ……』


 既に大蛇は動きを止めており、か細い声を残してその巨体が崩れ落ちた。私は下敷きにならないよう慌てて退避し、完全に事切れたやつの骸を見下ろした。


「や、やっつけちゃった……私すっげぇ……!!」


 多分ラッキー以外の何物でもないが、勝ちは勝ちだ。命は張ってみるものである。これが愛の力だよ。


 とは言え、既にめちゃくちゃ疲れているし体のあちこちが痛い。始めからこんな調子で大丈夫なのか……私が昂揚の裏で一抹の不安を覚えていると、道の向こうにオレンジ色の明かりが揺れるのが見えた。続いて蹄と車輪の音もやって来る。これはわかる。馬車だ。


「おやおや……ドラコンダに出くわして生き残るとは、随分と悪運の強いお人じゃわい。ヒヒヒッ」


 私の前で馬車を停車させたのは、黒いフードを被った怪しい人影。しわがれた声で私に語りかけるその人は果たして敵か味方か。思わず包丁を握り直す私でした。


《つづく》


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