序幕
今回は重めの内容です。
「……じいちゃんって、戦争、行ってたんだよね?」
夏休みの終わり、扇風機の音がぽう、と鳴っていた。
結城涼は、畳の上に寝転びながら、祖父にそう訊いた。
テレビでは高校野球のダイジェストが流れている。
しかし、祖父――結城志郎は画面を見ていなかった。
ただ、遠くを見るような目で、ゆっくりと言った。
「……ああ、行ったとも。行きたくなんか、なかったがな」
涼は身を起こす。
「レポートで書くんだ。“戦争体験者の話を聞け”ってさ。教科書じゃわかんないこと、教えてくれるって」
志郎は笑わなかった。ただ、扇風機の風に吹かれながら、ぽつりと呟いた。
「……なら、あの空の話からしてやろう。わしらが、空を失うた日のことをな――」
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1945年8月16日、東京・青梅町。
空は、まだ青かった。だが、それはもう「空」ではなかった。
少年、結城志郎は、町内のとある防空壕の縁に座っていた。
耳の奥にはまだ、昨日のあの音が残っている。
あれは空襲とは違った。音のない爆発。地の底から跳ね上がってきたような衝撃。
爆風と光が、一瞬で世界を塗りつぶした。
昨日の昼、東京は、消えた。
空は赤く燃え、街は黒く焦げ、誰も声を出せなかった。
言葉も、涙も、焼けてしまったようだった。
そして今日。
焼け跡から戻った兵の一人が、震えながら呟いた。
「全滅です。建物の跡形も、ほとんど……」
陸軍省も、大本営も、沈黙したままだった。
誰も、命令を出せなかった。
「日本は勝っているのですか?負けているのですか?」
そう訊いた志郎に、上官はこう言った。
「お前が考えるな。国が考える。日本は必ず勝つ。」
それが命令だった。
思考も、判断も、命とともに国に捧げるのが兵だった。
志郎は十五歳。来週、十六になる予定だった。
遠くから、また鈍い音が響く。
B29だろうか? それとも、味方の戦闘機か?
いや、あれはもう――どちらでもなかった。
「……空が、壊れたんだな」
志郎はそう呟いて、立ち上がる。
砂埃の向こうに、黒い煙と、白く崩れた都市の影。
あれは東京だった。
かつてあそこに、未来があった。
だがもう、“碧落に還る道”は、閉ざされた。
これが終戦ではなかったというなら、
ならば、これは何の始まりだというのか。
――僕らは、まだ「戦争の中」にいる。