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第61話 幼馴染彼女ともしもの備え3

 ◆side里桜◆


 隼くんは昔から、ほんのちょっぴり天邪鬼なところのある男の子だった。


 素直じゃないというか、ひねくれてるとまでは言わないけどね。


 本当はこうしたいって気持ちがあっても、誰かに余計なことを言われたりすると、むすっとしてやめちゃうの。


 もうねぇ、こういう不器用なところもすっごく可愛くってぇ。はぁ……隼くん大好きだよぉ。


 …………。


 ──こほんっ。失礼しました、持病の発作が。


 えーっとぉ、これは私達が確か小学2年生の時だったかなぁ。あっ、そうそう、思い出した。3年生に上る前の春休みだったね。


 私と隼くん、蛍ちゃん、それからそれぞれのお母さん、この五人で喫茶店にお茶をしに行ったの。家族ぐるみの付き合いをしてたから、こういうことはよくあったんだよ。


「隼君、蛍ちゃん、それから里桜も。なんでも好きなもの頼んでね」


 お母さんがそう告げて、私達子供三人は色めき立った。なんでも好きなものって、子供にとっては魔法の言葉じゃない?


 私は隣に座っていた隼くんと、仲良く二人で一つのメニュー表を広げて覗き込んだ。


 種類豊富なケーキに、プリンやゼリー、果てはパフェまで。そのどれもが魅力的で、選び切れない。私ね、甘い物には目がないの。


 決めきれない時は、隼くんの出方を伺う、これがいつものパターン。


「隼くんはどれにするー?」


「うーんとね、おれはこれにしよっかな」


 隼くんは、メニュー表を隅々までじっくり眺めてから指をさす。そこには大きく写真が載せられていた。


「イチゴパフェ? いいねっ、おいしそうっ!」


 隼くんはね、生クリームとかイチゴが好きなの。ケーキを選ぶ時も、いつもショートケーキなんだよ。


 そこに、悪意のない無邪気な声が響いた。


「おにいちゃん、おんなのこみたいっ!」


 蛍ちゃんだった。


 それまで嬉しそうだった隼くんの顔が、一瞬で不機嫌になる。眉間に皺を寄せて、唇を尖らせた。


「……やっぱりやめる」


「なぁに、隼。蛍の言うこと気にしちゃったの? いいじゃない別に、好きなんだから」


「……もういいよっ」


 おばさんが半分笑いながら隼くんをなだめていたけど、逆効果でしかなかった。隼くんは完全にへそを曲げてそっぽを向いてしまったの。


「じゃあ、なにもいらないの?」


「……コーラ」


 おばさんが広げたメニュー表を一瞥した隼くんは、さらに険しい顔で小さく呟いた。


 この瞬間、私の心は決まった。なにを選ぶのかってね。隼くんがつまらなさそうなのを見るの、すっごく辛いんだもん。


「里桜はどうする?」


 お母さんからの問いかけに、私は静かに耳打ちで応える。


「わたし、イチゴパフェにする」


「うん、里桜ならそう言うと思ってたよ」


 お母さんは優しい顔で笑い、そっと頭を撫でてくれた。その後、注文の品が届いて、私は迷わず隼くんに身を寄せる。


「しゅーんくんっ」


「……なに?」


「これ、わたし一人じゃ食べきれないから、わけっこしよ?」


 隼くんの目が、わずかに見開かれる。


「……しょうがないなぁ、里桜は」


 そう言った隼くんの声は、どこか申し訳なさそうだった。


 そうして二人でパフェをつついているうちに、隼くんの機嫌は直っていって、少しずつ笑顔が漏れ始めた。好きな物を食べてる時って、つい笑顔になっちゃうもんね。


「おいしいねっ、隼くん」


「うん……ありがと、里桜」


「んー、なんのこと? わたしが食べたかっただけだよ?」


「そっか」


 そこで見た隼くんの顔、ずっと私の目に焼き付いてるんだぁ。照れくさそうに、でも、嬉しそうに笑ってくれてたの。


 こんな小さな思い出でも、全部私の大事な宝物なんだよ。その積み重ねが、この確固たる隼くんへの想いの源だからね。


 ──と、こんな感じで、隼くんは天邪鬼なところがある男の子だったんだよ。それはたぶん、今でも変わっていない。


 ***


「はぁ……暇だなぁ」


 ころんとソファに寝転がり零した声が、静かなリビングに溶けていく。


 隼くんが一人で出かけていって、私はお留守番。すぐ帰ってくるって言ってくれたけど、寂しくてしょうがないよぉ。


 隼くんの帰りを待っているこの時間が、まるで数日のようにも感じる。


 だって、付き合い始めてからは、ほぼずっと一緒にいるんだもんっ!

 少しも離れたくないって思っちゃうくらい、隼くんのこと大好きなんだもんっ!


 そりゃぁ……私もわかってるよ? 隼くんにも一人の時間が必要な時もあるんだろうなぁって。私には、ないけどね。


 それにしても、私がいると困るお買い物って、いったいなんなんだろう?


 えっちな本じゃないって言ってたけど、実際はどうなのかな。もしもあれがウソで、本当はえっちな本だったとしたら、なんか複雑だなぁ。


 私のなら、いつでも見せてあげるのにっ。できたら、そのまま──


 って、これじゃ私がえっちな子みたいじゃないっ。違うんだよ? これも隼くんがなかなか手を出してくれないせいなのっ。私、かなり頑張ってアピールしてるのにぃっ。


 といっても、別に現状に不満があるわけじゃないの。隼くんは私のことをとっても大事にしてくれるし、ちゃんと好きって言ってくれるし。なんだかんだで私、毎回骨抜きにされちゃってるもん。


 隼くんはもっと、その破壊力の高さを自覚したほうがいいと思うの。ドキドキしてほわほわして大変なんだからね?


 ただちょっぴり不安になるっていうか、なんでなんだろうって思うこともあって。


 だって私達、あの時寸前までいったよね? 蛍ちゃんと時雨くんが来なければきっと今頃は──


 それならさ、その当日とは言わないまでも、次の日くらいにはって期待しちゃうのはおかしくないよね? なのに昨夜もあっさり寝かしつけられちゃうし……。


 あんなに優しく撫でられたら、そりゃ寝ちゃうよっ。


 はっ! まさか隼くん、引いてないよね?


 私がやりすぎてて、もしも隼くんを困らせていたとしたら──それはヤダなぁ……。


 うーん……私、これからどうするのが正解なんだろ。なんだかよくわかんなくなってきちゃったよぉ。


「はぁ……」


 何度目かのため息をついた時だった。


「ただいまー」


 玄関から隼くんの声がした。


 隼くんが帰ってきた。そう思ったら、今まで胸の内に渦巻いていた不安の雲は散り散りになって消え去り、後には陽だまりような喜びの感情だけが残る。


 慌てて飛び起きて、ソファから降りる。そして急いで玄関へと続く廊下のドアを開けた。


「おかえりっ、隼くんっ!」


 私に犬の尻尾があったなら、それはもう千切れんばかりにフリフリしてたと思う。それなのに──


「ん、ただいま。えっと……ちょっと汗かいたし、先に着替えてくるわ」


 そう言って、隼くんはそそくさと私の横をすり抜けた。


 えっ……それだけ?

 ただいまのちゅーは? 

 ぎゅってしてくれないの?


 隼くんの背中に追いすがろうとすると、その手にドラッグストアの袋が握られていることに気付く。私もよく行くし、ロゴが入っているからすぐにわかった。


 お買い物って、ドラッグストアだったんだ。でも、なにか必要なものってあったっけ?


 日用品の管理は基本的に私がしてるから、だいたいのものは把握してる。頭の中の在庫リストを確認しても、足りないものは思い付かない。あのお店で買うものは、常に一つずつストックがあるようにしてあるからね。


 じゃあ、なにを────あっ……!


 不意に、私の頭が一つの答えを弾き出した。


 それは、あまりにも私の希望通りすぎる答え。でも、他に考えられるものはなかった。


 出かける前の隼くんの様子、私が一緒じゃダメだという言葉、そしてドラッグストアの袋。その全てが、私の出した答えが正解だと告げている。


 そっか……そうなんだぁ。


 お留守番をしていた間に感じていた不安も、ゆっくりと消えていく。


 引かれてなかった。困らせてなかった。それだけじゃなくって、隼くんもちゃんと考えてくれてたってことだよね。


 うわっ、うわぁ……すっごく嬉しいよぉ。


 だって、それってきっと──私のため、だよね? もしくは、私達二人のため。


 さすがの私も、この歳でお母さんになるつもりはないもん。もっともっと隼くんと二人きりの時間を満喫したいし、それ以前に私達はまだ高校生。いくらなんでも早すぎるよね。


 でもね、隼くん。それならそうと言ってくれたらよかったのに。わざわざこそこそと買いに行かなくても、ちゃんと私が用意してあったんだから。じゃなきゃあんな大胆なこと、できないよ?


 まぁ、それも自分で買ったわけじゃないんだけどね。


 あれは私が実家を出る前日の夜、お母さんからもらったの。


『里桜。明日から男の子と二人、一つ屋根の下で暮らすんだから、念の為にこれを持っていきなさい。隼君とのことは、全部里桜の好きなようにしたらいい。けど、これだけは約束して。いざという時には、それをちゃんと隼くんに使ってもらうこと。自分達で責任が取れるようになるまでは、ね』


 そんな言葉と一緒に。初めて見たそれに恥ずかしくなっちゃったけど、しっかり頷いて受け取っておいた。これはお母さんなりの応援と、愛情なの。お母さんは、いつでも優しく私の背中を押してくれるんだぁ。


 まぁでも、元々私が持ってたなんてことは些細な問題だよ。そもそも隼くんは知らなかったわけだしね。今重要なのは、隼くんが準備を進めてくれているってこと。


 なら、これから私が取るべき行動も自ずと見えてくる。


 隼くんの性格は、私がよく知ってるの。もしここで私がそれに気付いたことを悟られたり、余計な口を挟めば、隼くんのガードが上がることに繋がりかねない。


 隼くんは、ちょっぴり天邪鬼さんだからね。


 というわけで、私のすることはこれまでとそう大して変わらない。隼くんに、この大好きだって気持ちを全力で伝えていく。そこにほんの少しだけ、いつもより意識してもらえるような動きを加えればいい。


 あとは、その時が来るのを待つだけだね。大丈夫、それはたぶんきっと遠くない未来だから。というか、私がそうしてみせる。


 よーしっ、それじゃさっそくいってみよーっ!


 ここまでの思考を30秒ほどで済ませた私は、隼くんの後を追う。閉ざされたばかりの隼くんの部屋のドアを開け放ち、突入した。


「隼くーんっ!」


「えっ、ちょっ、里桜?!」


 隼くんはビクリと肩を震わせて、机の引き出しを慌てて閉めた。


 ふふっ、この反応はやっぱりそうだね。私の予想は間違ってないみたい。ふむふむ、隠し場所はそこかぁ。


 でも、そんなこと一々指摘したりしないよ。それは悪手、わかってる。


 私は迷わずに、おろおろする隼くんに飛び付いた。


「もーっ、帰ったら構ってくれるって約束でしょー? さっさとお部屋行っちゃうなんて酷いよぉ」


「いやっ、だから着替えてからって……!」


「じゃあお手伝いしてあげるっ。ほら隼くん、ばんざーいっ」


「ま、待てって! それくらい自分で……!」


「いーやっ! 私がするのっ。さっきちゅーもぎゅーもしてくれなかった罰ですぅー」


 私は往生際の悪い隼くんからTシャツを剥ぎ取った。汗でわずかに湿ったそのTシャツ、なんとなく興味がわいて、それをぎゅっと抱きしめて鼻を寄せる。


「お、おい里桜っ?!」


「すんすん……ふへ、隼くんの匂いだぁ」


「やめろって、汗臭いだろ」


「んー? そんなことないよ。大好きな匂いだもんっ」


 確かに汗の匂いはするね。でも全然イヤな感じじゃなくて、むしろいい匂いって思う。これも私が隼くんのこと大好きな証拠なんだろうね。


「あぁもう、わかった、わかったから。それくらいで勘弁してくれって。さっきしてやれなかった分は着替えが済んだら埋め合わせすっから」


「絶対だよ?」


「あぁ、絶対だ」


「それなら大人しく待ってる。だから、早く来てね?」


「……はいよ」


 ぶっきらぼうに答えた隼くんは、真っ赤な顔になっていた。本当、可愛いんだからっ。


 言質も取れたことだし、ひとまずリビングに行ってようかな。これ以上やると拗ねちゃいそうだもんね。引き際を見極めるのも大事なことなの。


「……おい、里桜?」


 部屋を出ようとした私の背中に、隼くんから声がかかる。私はなに食わぬ顔で振り向いた。


「なぁに?」


「なぁに? じゃねぇよっ! そのシャツ置いてけ」


「あはっ、バレちゃった」


「……ったく、油断も隙もねぇな」


 ちぇっ、ざーんねんっ。せっかくの機会だから堪能させてもらおうと思ったのに。だってこれ、ちょっと癖になりそう……って、それは変態っぽいかなぁ?


 その後、着替えを終えた隼くんに膝の上で抱きしめられて、逆上せそうなほどキスをしてもらったんだけど──この日はそれ以上のことは起こらなかった。


 あれぇー? おっかしいなぁ。準備おっけーになったはずなんだけどなぁ……。


 でもいっか、幸せだし。チャンスはこれからいくらでも作っていけばいいもんね。


 あんまり気負い過ぎるのは厳禁、私の方が混乱しちゃうから。隼くんにもちゃんとその気があるのがわかったし、今はそれで満足だよ。

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