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第59話 幼馴染彼女ともしもの備え1

 いよいよもって、俺も真剣に考えなくてはならなくなってきたようだ。


 もしもの備えについてである。


 回りくどい言い方にはなってしまうが、里桜との関係をさらに進めるために必要になるものだ。


 思い返せば、危ない局面はこれまでに幾度もあった。


 俺達が付き合い始めた日の夜、里桜が俺の入っている風呂に全裸凸をかましてきた。初めて見た里桜の裸体は、それはもう魅力的で、危うく逆上せるところだったな。


 買い物デートで購入したワンピースを着るのを手伝った時。半ば無理矢理に背中に触れさせられた。里桜の素肌の感触は、まだこの手に残っている気がする。


 ……実際には風呂でもっと密着したこともあったりするんだが、そっちはさすがに余裕なさすぎて覚えてねぇや。


 里桜にマッサージをして、気持ちよさそうな、喘ぎ声に似たものを聞かされた時。咄嗟の機転でくすぐりに転じなければどうなっていたことやら。あの声の破壊力はやばかったなぁ。


 ホラー映画を見た日の夜にも、またお互いに身体を隠すこともなく一緒に風呂に入って。里桜が怖がらんようにって必死だったから、なんとか耐えられたんだっけ。


 里桜と初めて深いキスを交わした時は、このままいくところまでいってしまうかと思った。思わず押し倒してたもんな。


 そして、着ぐるみパジャマでじゃれ合った昨夜。耳を甘噛みされて、甘噛みして。あのパジャマじゃなきゃ、とてつもなく危険な行為だっただろう。


 といった具合に、この全てが確実に、着実に、俺の理性へとダメージを与えている。崩壊の日は、すぐそこまで来ているように感じる。


 というのも、里桜が積極性の塊だからだ。


 里桜はおそらく、常にアクセルを全力で踏んでいる状態にある。さらには、ブレーキというものを搭載していない。もしくは、壊れているのかもしれない。


 そして、脇目も振らず、真っ直ぐ俺に向かってくるのだ。


 俺とより深い仲になることに対して、微塵も躊躇がない。むしろかなり強く望んでいるはずだ。そうでなければ、里桜の行動が矛盾だらけになってしまう。


 大好きな彼女から向けられる感情として、こんなにも嬉しいものは他にないだろう。俺もペースはともかく、気持ちを同じくしているのだから。なら、俺はそれに対して真摯に応える必要がある。


 ゆっくり進んでいこうと決めたのは俺自身。だが、このままでは里桜のスピードに振り落とされてしまいかねない。それは、里桜に愛想を尽かされるのと同義だ。


 里桜に限ってそんなことはないと思いたいがな……。


 どちらにせよ、俺にも一度だけ理性を飛ばした実績がある。現状を維持して、今のままで事に及べば、最も傷付くことになるのが里桜の方なのはわかりきっている。一時の勢いで、里桜の人生をめちゃくちゃにしてしまうことだけは看過できない。


 更にここで、自分の心にも目を向けてみようと思う。俺の真の望みは何か、ということである。それは、簡単に言語化することができる。


 ゆっくりと過程を楽しみながら進むこと──ではない。そんなものは、通過点に過ぎない。


 余分なものを削ぎ落として、もっと大局的に考えると、たった一つの答えが見えてくる。


 それは、二度と離れ離れになることなく、里桜と二人でいつまでも仲良く、幸せでいることだ。里桜に告白した直後に、俺は宣言している。俺が絶対に里桜を幸せにすると。そして里桜もまた、俺を幸せにするために頑張ると言ってくれた。


 それこそが俺の一番の望みだ。


 だからこそ、備えが必要になってくる。


 さて、ここまでのことを考えているのなら、さっさとすればいい。というのが客観的に自分を見つめ返した時の感想なのだが──現実はなかなかそううまくいかないらしい。


 ここのところ、食材の買い出しには里桜と連れ立って行くことが多い。いつも行くスーパーにはドラッグストアが併設されている。買うとするなら、コンビニよりもこちらでがいいだろう。


 しかし、そこで大きな問題が立ちはだかる。里桜が一緒なのだ。里桜はただの買い出しといえど、俺と出かける時はまるでデートかのようにオシャレをしてくれる。そして、俺から片時も離れようとしない。


 その状態で、そんなものを買えるわけねぇよな。


 なぜってそりゃ……恥ずいだろ。


 ヘタレ、なんて声が飛んできそうだな。

 

 ヘタレ上等、と言いたいところだが、汚名は早めに返上しておくに限る。


 理由は、これだけじゃないのだ。


 物が物だけに、その後の行為にまで簡単に考えが及んでしまう。意識しすぎておかしな空気になるのは想像に難くない。


 あくまでも俺は、いざという時の備えをしておきたいだけ。悠人と蛍が訪ねてくる直前のようないい雰囲気になって、その流れでっていうのが理想だ。


 ようするに、俺が用意しようとしているものはお守り代わりってことだな。心の余裕と言い換えてもいい。里桜の想いに、ちゃんと向き合うための。


 それがなければ、俺はどこかでブレーキを踏んでしまうだろう。一度危うい場面を経験したことで、その予感はより強くなっている。


 着ぐるみパジャマでじゃれ合ってた時も、最後は攻めることを止め、里桜を寝かしつける選択をしたのもそのせいだ。


 というわけで、早急に行動に移したいところなのだが、俺の取れる手段は一つしかない。


 そう。里桜がいるから購入に踏み切れないのなら、一人で行けばいい──と、こうなる。


 まぁ……それも簡単じゃねぇんだけどな。


 *


「あー……その、里桜?」


 朝食を終え、着ぐるみパジャマから着替えて再び顔を合わせたところで、俺は里桜に声をかけた。


「はぁいっ」


 昨夜のじゃれ合いの余韻なのか、里桜は満面の笑みで応えて俺に抱きついた。


「えっと……この後、ちょっと買い物に行ってくるつもりなんだけどさ──」


「はーいっ、わかったよ。それじゃ私も準備するねっ」


「い、いや……そうじゃなくてな、一人で行こうと思ってんだよ」


「えぇっ、なんでぇ……?」


 里桜は、しゅんと眉を下げた。大きな瞳にも、寂しげな光が揺れている。


 ……やっぱこうなるんだよなぁ。


 最近の里桜は本当に俺にべったりで、全く離れたがらないんだ。


 でも、今回はここで引くわけにはいかない。


「マジで大したもん買うわけじゃねぇっていうか……俺の個人的なもんだからさ。そんなのに里桜を付き合わせちゃ申し訳ねぇよ」


 全くもって言い訳だな。俺の個人的なものなんて大嘘もいいところだ。ただ、余計なことを言うと里桜はすぐ察しちまうんだ。与える情報は少ないほうがいい。


「そんなの全然気にしないもんっ。ねぇー、一人にしちゃやぁーだぁーっ!」


「すぐ帰ってくるからっ」


「それでも寂しいのーっ!」


 駄々っ子かよ……。

 勘弁してくれ。俺は里桜のこれに弱いんだ。


 決意がぐらりと揺らぎかけて──


 いやいや、まだだ。まだ諦めんぞ。


「本当にすぐ済むからさ。それに里桜は準備に時間がかかるだろ?」


 化粧に着替え、そしてヘアセット。早くても、いつも30分はかかる。そんなの待っていられるか、と言外に伝えてみる。


「じゃあこのまま行くもん」


「…………」


 マジかよ。これもダメなのか。


 俺が言葉に詰まっていると、里桜は訝しむような視線を向けてくる。


「ねぇ……隼くん、私になにか隠してる? 本当にただのお買い物なの? はっ、まさかっ──」

 

 やっべ、バレたか?!


 そんな不安が頭をよぎったが、その直後、俺はずっこけかけることになる。


「──えっちな本、買おうとしてるんでしょっ! ダメなんだよっ、そういうのは18歳になってからなんだからぁっ」


「ちげぇよっ! んなもん買わんわっ」


「でも隼くんも男の子だし、そういうの、興味あるんでしょ……?」


 はぁ……なに言ってんだよ、里桜は。


「あのなぁ、里桜。言っとくが、俺が興味あるのは里桜のだけ──あっ」


 しまった、勢いでなんかすごいこと口走っちまった……。


 里桜の顔はみるみる赤くなっていく。


「あぅ……隼くん。そんなに大きな声で言われるとさすがに恥ずかしいよぉ。でも、その──あり、がと?」


「お、おぉ──どう、いたしまして?」


「…………」


「…………」


 どうすんだよ、この空気?!


 というか、自分の裸は見せつけてきたくせに、エロ本は18歳になってからとか言うんだな。里桜の感覚はよくわかんねぇなぁ。


 ……って、違う違う。里桜が変なこと言うから話が脱線したじゃねぇかよ。


「と、とにかくっ。ごめん里桜。寂しいのはわかったけど、今日だけは許してくれ。どうしても一人じゃないとダメなんだ」


「えっちな本じゃないなら、なんでなの? その理由は、教えてくれないの……?」


「うん……ごめん、今は言えない」


「……今は? いつかは、話してくれる?」


「そう、だな。約束するよ」


 それはきっと、そう遠くない未来に訪れるはずだ。その時には、俺と里桜は大きな一歩を踏み出していることだろう。


 打てる手は全て出し尽くした。俺の手元にはもう、切れるカードは残されていない。これでダメなら、またなにか別の手段を考えないと。


 諦めに心が傾き始めた時だった。


「──わかったよ。一人でお留守番、してるね」


「えっ、いいのか?」


「だってぇ……私が一緒じゃダメって言われちゃったんだもん。私だってね、隼くんを困らせたいわけじゃないんだよ?」


「そっか……。里桜、ありがとな。わかってくれて」


 よかった、これでようやく俺の憂いがなくせる。


 ホッと息を吐き、里桜を抱き寄せようと腕を伸ばしかけると、


「その代わりっ──」


 それよりも早くピッと鼻先に指が突きつけられた。


「お、おぉ……なんだ?」


「帰ってきたら、いっぱい構ってね?」


 そんなの言われるまでもねぇよ。俺の我儘を聞いてくれたんだ、里桜にはその権利がある──なんてな。こんないじらしい彼女、俺がほうっておけるかっての。


「その程度、お安い御用だ。ダッシュで行って帰ってくるから、待っててくれな」


「あっ……そんなに急がなくてもいいんだよ? 外は暑いんだから、無理して走ったら倒れちゃうよぉ」


「そん時は里桜が介抱してくれ」


「だーめっ。それじゃ私が構ってもらえなくなっちゃうでしょー?」


「それもそうか。なら、ほどほどで行くことにするわ」


「うんっ、そうしてくれたら私も安心だよ」


 ふぅ、なんとかなった。


 安堵とともに、今度こそ里桜を抱き寄せる。帰ったらって約束だけどさ、ちょっとばかし前払いしてやってもいいよな。


 その後、開店時間に合わせて家を出ることに。その間際、里桜は玄関まで見送りに来てくれた。


「いってらっしゃい、隼くん」


「ん、いってくるな」


 一度だけキスを交わして、今後への期待を胸に、俺は照りつける太陽のもとへと踏み出すのだった。


 これから買おうとしている物を思うと、こんなに勇んで向かうのはスケベ心がすぎる気がしてくるが……。


 でもまぁ、これも避けては通れない里桜との大事な通過点だもんな。適当にはできねぇか。

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