表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/73

第58話 幼馴染彼女とアニマルパジャマナイト2

「しゅ、隼くん……」


 小さく俺の名前を呼んだ里桜は、ゆっくりと、まるでなにかに魅入られたように立ち上がった。


「あー……その、ただいま」


「うん。おか、えり……」


 ひた、ひた、と俺に近付いてくる里桜。両腕を前に伸ばし、ふらふらと。その姿はどこか、理性を失ったゾンビのようにも見える。


 まぁ、里桜とおぞましいゾンビなんて似ても似つかねぇがな。ただ、動きがそれっぽくて、他に喩えが浮かばなかったってだけだ。


 目の前までやってきた里桜は、呆けたような顔で俺を見上げ、持ち上げていた両腕を俺の身体に回し、ぎゅっと抱きついてくる。


「ふぁぁ……うささん隼くんだぁ。かぁわいいーっ!」


「お、おい、里桜……?!」


「うへへ、隼くん可愛いねぇ……うへ、えへへ」


 普段の里桜からは想像もできないようなおかしな声に戸惑う。


「隼くん、隼くんっ、こっち来てっ!」


「えっ、あぁ……うん」


「はいっ、ここに座ってねっ」


「お、おぉ……わかった」


 里桜に腕を引かれて連れてこられたのはリビングの中央、ソファの前。俺は床に座らさせられた。里桜はというと、俺の背後に陣取った。先日マッサージをした時と、俺と里桜の配置が入れ替わった形だ。


「ふへ……お耳もふもふ、隼くん可愛いよぉ……えへへ」


 里桜は後ろから抱きついてきた。フードの垂れ耳を手で弄びながら、頭頂部に頬擦りをして。さらに、俺の後頭部は極上の枕に包まれていた。


 な、なんなんだ、この状況はっ……!


 いつもいつも迷いなく押し付けてきやがって。里桜がそんなだから、俺が毎度ドギマギさせられるってのに……。


 というか、これはあれか?

 さっきの俺と同じってわけか?


 一応、笑われる覚悟は決めてきたが、さすがにこうなるとは思っていなかった。


「お、おい、里桜?」


「なぁに、隼くぅん?」


 俺の呼びかけに、甘やかすような声が返ってくる。


「これって──わぷっ」


 どうにか身体を動かして振り返ると、俺の顔は真っ黒な生地に押し付けられた。また里桜に頭を抱きしめられたらしい。


「はぁ……隼くん、どうしてそんなに可愛いのぉ」


「んーっ、んーっ……」


 頭上から蕩けた声が降ってくるが、俺はそれどころじゃなかった。里桜の胸に隙間なく顔が埋められて、言葉を発することもできやしない。うめき声を上げるので精一杯だ。


 これ、柔らかくて幸せ──じゃなくってっ!

 息がっ、苦しいっ……。


 さすがに降参だ。俺は震える手で、里桜の膝をタップした。


「あっ──」


 里桜の腕が緩んだ隙に顔を上げて、思い切り肺に酸素を取り込んだ。


 あぁ、くそ……風呂上がりのいい匂いでクラクラする。


 俺が吸い込んだのは、里桜が放つシャンプーと石鹸の香りだった。そこに仄かに混ざる里桜本人の……。


「ごめんねぇ、隼くん。苦しかったよね?」


「……天国と地獄だった」


「んー……? なぁに、それ?」


「いや……こっちの話だ。それよりも里桜、やりすぎだぞ」


 危うく窒息するところだったじゃねぇかよ。でも、あれで死ねるならやっぱり天国──いやいや、まだ死ねるかっ。長年俺を想い続けてくれて、ようやく付き合い始めたばかりの里桜を残して逝くわけにはいかん。


 まぁ、その里桜にやられかけたわけだけどな。


「えへへ……ごめんなさぁい。隼くんが可愛すぎて、つい我を忘れちゃった」


「……それ、褒めてるのか?」


 今度は俺が尋ねる番だった。里桜が喜んでくれるのは嬉しいのだが、そこは俺も男、可愛いと言われるのはちょっとばかし複雑なのだ。


「もちろん褒めてる……んだけどぉ、もしかして隼くん──」


 里桜はじっと、俺の目を覗き込んだ。里桜の透き通るような、深く黒い瞳に見つめられると、心の奥底まで見透かされている気分になる。実際、昔からこういう時は俺の本心をピタリと言い当てるのが里桜である。


 しまった。


 そう思った時には、すでに手遅れだった。


「ふふっ、可愛いっ。でも安心してね、普段の隼くんはちゃーんと格好いいから。ね?」


「うっ……」


 望んでいた気がする言葉なのに、こうも真っ直ぐに言われるとこそばゆい。俺は顔が熱くなるのを感じた。


「あのねぇ、隼くん」


 里桜は、あやすように俺に語りかける。


「隼くんにはね、可愛いところと、格好いいところの両方があるんだよ。さり気なく私を守ってくれたりする時は格好いいし、寝てる時とか照れてる時は可愛いの。格好いい時はね、胸がキュンってなって好きって思うし、可愛い時は、締め付けられるみたいにきゅぅってなって好きって思うんだよ。ほらっ、どっちも私が大好きな隼くんだよ?」


「な、なるほど……?」


 どういうことかさっぱりわからん。


 里桜はただ可愛い一色だからな。俺はひたすらその可愛さにやられてんだ。


 でも……そうか。


 その感覚はわからんけど、嬉しいって思ってしまう。里桜が、俺を丸ごと好きだって言ってくれていることだけは、なんとなくわかるから。


「あのさ……里桜」


「うん、なぁに?」


「俺もさ──里桜のこと、全部好きだから」


「へへっ、ありがと。というわけでぇ──」


「……というわけで?」


 この恥ずかしいやり取りは、さすがにもう終わりだよな……?


 なんて思ってしまった俺が愚かだった。


「隼くん可愛いっ、ぎゅぅーっ!」


 俺はまたしても、里桜から可愛い攻撃を受けることになるのだった。


 *


「うーん……隼くぅん」


「はいはい、どうした?」


「なんでもなぁい。呼んでみただけぇ」


 俺はひたすら里桜に可愛がられていた。具体的に言えば、ずっとフード越しに頭をモフられている。里桜がやたらと嬉しそうなのだ、甘んじて受け入れる他ない。


 だが、里桜の声がだんだんとほにゃほにゃしてきたのに気付く。この声の意味するところは、すぐにわかった。


「なぁ里桜。眠いんだろ?」


「そんなことないもーん。ふあぁ……」


「ウソつけ。言ったそばからあくびしてんじゃん」


「だってぇ……」


「だってじゃねぇよ、まったく」


 世話が焼けるんだ、里桜は。ただまぁ、こういうところも可愛いって思っちまうんだよな。


 だが、普段寝る時間はとっくに過ぎている。眠くなって当然、無理してんのはバレバレだ。


「ねぇ、隼くぅん」


「なんだ?」


「また、うささん、着てくれる?」


「……どんだけ気に入ってんだよ」


「朝になったら着替えちゃうって思ったら、寝たくなくなるくらい、かなぁ……」


 それは気に入りすぎだろ……。


 でも、俺もなんだかんだで悪くないって思い始めてんだよなぁ。もちろん、これを着ることに抵抗がなくなったってわけじゃねぇが。


 こうして里桜に抱きしめられていると、ふわふわする。里桜のいい匂いに包まれて、頭空っぽになるくらい甘やかされて、心底安心して、心が満たされる。こんなものを知ってしまったら、ますます里桜なしの生活なんて考えられなくなる。


 やっぱり俺は兎、なんだろうな。里桜がいなきゃ寂しくて死んじまうような。


 あー……そういや、実際の兎は構いすぎるとストレスになるんだっけ。いや、そんなことはどうでもいいか。はっきりと自覚したんだ。俺は──これからも、里桜とこんなふうに過ごしたいってな。


 たまにこうして可愛がられるのも、案外いいもんだ。


「わーったよ。また着てやるから、今日のところはもう寝るぞ」


「ほん、とう……? また、可愛い隼くん、見せてくれる?」


「そう言ってんだろ」


「えへ……やったぁ。それなら──」


 プツリと糸が切れたように倒れ込んできた里桜を、俺は慌てて受け止めた。やっぱ無理してたんだな。


「おっと。里桜、まだ寝るなよ。歯、磨いてないだろ」


「うー……隼くん、連れてってぇ」


「しょうがねぇやつだな……」


 俺は里桜を支えて立ち上がる。里桜はふらふらしながら、俺の腕にしがみついた。


「ほら行くぞ。ちゃんと掴まってろよ」


「はぁい……えへへ」


 里桜を片腕にぶら下げて、洗面所へと向かう。コップに水を汲み、歯ブラシに歯磨き粉を付けて渡してやる。


「ほらよ」


「ありがとぉ、隼くんっ」


 里桜が歯を磨き始めるのを見届けて、俺もそれに倣う。それほど広くない洗面所で、二人でシャコシャコと音を響かせて。その途中、鏡に映る自分を見てみた。


 これは、可愛いのか……?


 そこには、可愛いらしい白兎を着た、あまり可愛いとは言えない俺が立っていた。


 って、里桜がいいって言うんだからいいか。あんま気にすると次に着る時に困るもんな。


 意識を逸らすように、鏡の中の里桜に目を向けると、パチリと目が合った。里桜は、頬をゆるゆるにして微笑んでいた。


「ふへ……わらしらし(私達)かわひひねぇ(可愛いねぇ)


 里桜がそう言うと、その口から歯磨き粉の泡がたらりと垂れた。


 あぁもう、本当に世話が焼けるな。途中で喋るからそうなるんだぞ。


 とはいえ、それを指摘すれば俺も同じことになるのは目に見えているわけで。俺はティッシュを1枚取り、里桜の口元の泡を拭い取る。


「んーっ……あいがおぉ(ありがとぉ)


 おいおい、またかよ。キリがねぇだろ。


 俺は先に磨き終え、口をすすぐ。そして再度コップを水で満たして、里桜に押し付ける。里桜もまた水を口に含み、ぶくぶくと音を鳴らしてから吐き出した。


「ふぁー、すっきりしたぁ」


「それじゃ、今度こそ寝るぞ」


「はーいっ」


 歯を磨いて、意識が少しはっきりしたらしい。里桜はもうふらふらしておらず、自分の足で真っ直ぐに立っていた。それなのに、また俺の腕にしがみつく里桜。


「……自分で歩けるだろ」


「やーだぁっ! 連れてってぇ!」


「はいはい、仰せのままに」


「へへっ。隼くん優しいっ、好きっ」


「俺も、甘えん坊で可愛い里桜が好きだぞ」


 俺もたぶん、相当眠いんだろうな。恥ずかしげもなくこんなこと言えるんだから。


 俺達はじゃれ合いながら、俺の部屋へと向かうのだった。


 俺も慣れたもんだな。自ら部屋に里桜を連れ込むようになるなんてさ。ここに来て、初めて同じベッドに横になった夜は一睡もできなかったってのにな。


 これも、危ない場面を乗り越えたおかげなのかね?


 里桜と一緒のベッドで眠ることが、当たり前になりつつある俺がいた。まぁ、本当に寝るだけなんだけどな。




 と思った俺が愚かでした。今夜二回目である。


「ねぇ、隼くーんっ。見て見てっ」


「今度はなんだよ」


「ほらぁ、猫さんのポーズっ!」


 明かりを暗くし、二人してベッドに上がると、里桜は俺から離れて四つん這いになった。腰をわずかに持ち上げて、フリフリと揺する。


 まさに狩りの姿勢だ。


 いや……これから寝ようって時になにしてんだよ。


「里桜、もういいから寝る──」


 そう言いかけた時だった。暗闇の中、里桜の目がキラリと光った気がした。可愛らしい猫の仕草でありながら、その目つきはさながら獲物を狙う獣。


 黒猫の皮をかぶった黒豹。女豹だ。


 まさか、悠人と蛍は……これを見越して?


「うささん、かくごぉーっ!」


 やばいっ、食われる。


 だが、俺に逃げ場はない。間の抜けた声に反して、里桜の動きは素早かった。次の瞬間には飛びかかられていて、あっという間に捕まってしまう。まさに捕食者に捕らえられた草食動物、俺はベッドに押さえつけられていた。


「ちょっ、里桜っ?!」


「可愛いうささん、つっかまえたーっ。それじゃ、いただきまーすっ、あーむっ!」


「んひっ……!」


 フードは、さっきの衝撃で頭から脱げていた。そして、露わになった俺の耳に里桜が噛み付いたのだ。痛みは全くなかった。噛み付くと言っても、もちろん本気ではなく甘噛み、唇ではむはむされている。


 ただ、柔らかく耳を噛む里桜の唇の感触がくすぐったい。さらには、里桜の吐息がすぐそばにあった。


「り、お……なに、して……んっ」


「えへっ、うささんのお耳、美味しそうだったから。あむあむ」


「それはっ、俺の耳、だっ!」


「じゃあ、隼くんのお耳が美味しそうだったから、でいい?」


「いいわけがあるかぁっ!」


 俺は強引に里桜を跳ね除け、そして上下を入れ替える。俺の下には、楽しげに笑う里桜がいた。


「やーんっ。私、猫なのに、うささんに食べられちゃーうっ」


 そうだな、それもいいだろう。窮鼠猫を噛む、なんて言葉もあるくらいだし──って、今の俺は兎だけども。


 ここでやられっぱなしというのは俺の沽券に関わる。きっちり仕返し、してやらねぇとなぁ。


 里桜のフードをズラすと、狙うべき獲物はまだ黒髪に覆われている。それを手でさらりと掻き分けると、じゃれ合いの興奮のせいか、わずかにピンクに染まった小ぶりな耳が現れた。


 そこに顔を、口元を寄せる。


「里桜、覚悟しろよ?」


 そっと囁いて、今度こそ里桜の耳に噛み付いた。


「ひゃっ、んっ……あっ」


 里桜の身体がピクンと跳ね、艶めかしい声がした。それでも、俺はどこか落ち着いている。昨日のように、激しく里桜を求める気持ちはわいてこず、愛おしさだけが頭を、胸の内を満たしていた。


 これは、たぶん着ぐるみパジャマの効果なんだろうな。愛らしい里桜を、ただひたすらに可愛がりたい、そんな思いが俺を支配している。


「里桜は、くすぐりだけじゃなくて、耳も弱いんだな」


「ふぁっ……うん。そうっ、みたい。だけど、隼くんも同じような感じ、だったもん。私だって、またっ──」


「まぁ、確かに。でもさ、力は俺の方が強いよな。反撃、できるか?」


「へっ、あっ……う、動けないよぉ……」


 里桜は俺の下から抜け出そうと藻掻くが、俺が少し力を入れるだけで、その全てが徒労に終わる。


「なら、ここからはずっと俺のターンだ。さぁて、この悪戯にゃんこをどうしてやろうか」


「あぅっ……あ、あの、お手柔らかに、お願いします……」


 里桜の瞳からは不安と期待、それから諦めが見て取れた。もしかするとビビってるだけなのかもしれんが。


 にしても、この程度で随分としおらしくなっちゃって。いつも俺を振り回してる勢いはどこへいったんだか。


 でも、動けないんだからしかたねぇよな。んじゃ、このまま可愛い猫さんを大人しくさせますかね。


 俺はそっと、里桜を腕に抱きしめた。


 さすがにこれ以上耳を攻めるのはよろしくない。いくら着ぐるみパジャマ効果があるとはいえ、自ら理性を手放すようなことはできんからな。


 昨日、俺はおおよその自分の限界というものを学んだのだ。


「里桜」


 静かに名前を呼んで、目を見つめた。


「は、はいっ……!」


 まだ緊張してるみたいだな。


「黒猫、マジで似合ってる。可愛いよ」


 頭と背中を同時にゆっくりと撫でた。


「えっ……うん、ありがと……」


 里桜の緊張が解けていく。


「ほら、可愛い猫さんはもうねんねの時間だぞ」


 さらに優しく、優しく撫でる。そうしていると、やがて里桜の目に眠気が戻り、とろんとしてくる。


 よしよし、いい子だ。


 寝かしつけようとしてるせいか、なんだか俺も眠たくなってきたな。


「ねぇ、隼くんも、一緒にぃ……」


「あぁ、わかってるよ。だから、安心して寝ろよ」


「うん、もう寝るぅ。その前に、おやすみの、ちゅー……」


「はいよ。おやすみ、里桜」


 ちゅっと軽く口付けをして、顔を離した時には、里桜の目はもう閉ざされていた。口をむにゃむにゃさせて、


「隼くん、好きぃ……」


 そう零したっきり、里桜は完全に沈黙した。


 ふぅ……やれやれ、ようやく寝たか。


 里桜の相手は大変なんだ。艶っぽい時は理性がゴリゴリ削られるし、可愛い時は──色々ありすぎてもうわかんねぇや。


 でもさ、それが俺の心に決めた女の子なんだから仕方ねぇよな。


 とにかく、今日もなんだかんだでいい一日だったってことで。


 そう心の中で呟いて、俺も眠気に身を委ねた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ