第55話 幼馴染彼女と出迎える友人・妹の来訪1
俺と里桜が課題を片付け終わった翌日、その夕方のことだった。
「やぁ隼、高原さんも。花火大会以来だね」
俺が開けた玄関の外に相変わらず爽やかな微笑みを浮かべた悠人が立っていた。クソ暑いってのに、涼し気な顔しやがって。これだからイケメンは……。
「里桜姉っ!」
こっちはこっちで相変わらず、蛍は待てのできない犬のような勢いで、一緒に出迎えに出てきた里桜に飛び付いた。俺の脇をすり抜けてな。
「ふふっ、蛍ちゃんはいつも元気だねぇ。よしよし」
「ふへへ──里桜姉、会いたかったぁ!」
里桜は蛍の頭を優しく撫でて、蛍は嬉しそうにされるがままになっていた。その姿は、まるで本物の姉妹のようで──って、おいっ!
実の兄には挨拶もなしどころか無視かよ、この愚妹は。兄ちゃんは寂しいぜ……。
「いらっしゃい、二人とも。外、暑かったでしょー? ほら、時雨くんも入ってー」
「うん、お邪魔するね」
「わーっ! 念願の里桜姉の家だぁっ!」
悠人が丁寧に靴を揃えている間に、蛍は脱ぎ散らかして家の中へと突入していった──って、蛍は本当にガサツだな。悠人に揃えてもらってんじゃねぇよ……。
親友よ、頼むからあんまうちの妹を甘やかしてくれるな。これ以上増長したら手がつけらんねぇだろ。
……でも、俺もあんま人のこと言えねぇか。
悠人と蛍も、俺と里桜と同じ日に付き合い始めたばかり。彼女が可愛くて仕方ない気持ちは同じなのだろう。というわけで、ここは大目に見ておいてやるとするか。
「にしても、なんだってこんな急に来ることになったんだよ?」
なんかやたらと荷物が多そうだし。蛍とどっか買い物にでも行ってたのかね?
「うん、まぁそれは色々とね。でも別に急でもないでしょ、事前に連絡しておいたんだからさ」
「事前ってなぁ、悠人。電話してきたの、ついさっきだったろ! ったく……来るのは構わんが、もっと早く言えっての」
「あはは、ごめんごめん。ちょっとうっかりしててね」
「うっかりって……。はぁ……まぁいいけどな」
蛍はともかくとして、せっかく悠人が訪ねてきてくれたというのに、俺は内心ちょっとばかし面白くなかった。
その原因はというと、かれこれ20分ほど前に遡ることになる。
*
この日、俺と里桜はここ数日の疲れを癒すべく、のんびりと過ごすことに決めていた。そもそも、まだなんの予定も立ててないしな。
まず、朝はちょっとだけ寝坊をした。アラームもかけずに寝て、目覚めた後もしばらくゴロゴロしながら、里桜と二人でお互いの体温を感じて微睡んで。
なかなかに怠惰だったが……これぞ夏休みって感じがするよな。
朝食の後は早いうちに最低限の家事と買い出しを済ませて、冷房の効いた涼しいリビングでだらだら──もといイチャイチャしていたわけだ。
より一層甘えてくるようになった里桜が可愛すぎて、それはもう有意義な時間だったな。
里桜を膝の上に乗せて抱き合って、見つめ合って、時折キスをしたり、わけもなく笑ってみたりしてさ。
気付いた時には、時計の針は午後4時を指していた。
えっ、ウソだろ……おかしいな、さっき起きたばっかだよな?
そう思ってしまうほど、時間はあっという間に溶けていった。きっと里桜には時を加速させる能力があるに違いない。できたら減速させてほしいんだけどな。
まぁでも、夏休みはまだまだたっぷりと残っているのだし、そこまで慌てるような時間じゃないはずだ。
「ねぇ隼くんっ。アイス、食べたくなぁい?」
不意に里桜が膝から降りて、ぴょこぴょこと弾むような足取りでキッチンへと向かっていった。
「ん、食べる」
冷房をかけているとはいえ、ずっと里桜とくっついていたせいか、身体が熱を持っている。まさにアイスを食べるにはもってこいだ。クールダウンも必要だからな。
「実はねぇ、ちょーっとお高いアイス買ってあるんだぁ。課題が終わったら、ご褒美に二人で食べようと思ってたのっ」
「おぉ、めっちゃ気が利くじゃん」
「って言うのは言い訳で……本当は私が食べたかっただけなんだけどね。へへっ、奮発して買っちゃったっ」
里桜は照れたように笑い、冷凍庫から二つのカップアイスを取り出した。
大の甘党の里桜である。好きな食べ物の中には、当然アイスも含まれる。
別に好きなものを食うのに、言い訳なんてしなくてもいいのにな。普段から里桜は無駄遣いなんて全くしないんだからさ。
ちなみにこれは余談なのだが、浮いた分の生活費は俺達の小遣いに回していいことになっている。そして、里桜がやり繰り上手なおかげで、俺の財布はかなり潤っている。今まではあんま使い道がなかったが──この先、きっと里桜のために使うことになるんだろうな。
「まぁ、たまにはそんな贅沢もいいだろ。それより早く食おうぜ」
里桜が用意してくれていたご褒美、そう聞かされたら、一瞬でアイスの口になってしまった。俺も里桜には劣るが割と甘党なのだ。
「うんっ。それでねぇ、二種類あるんだけど、隼くんはどっちがいい?」
二つのアイスと二本のスプーンを手に戻ってきた里桜がパッケージを見せてくる。
ふむ、チョコとストロベリーか。
チョコは濃厚で美味そうだし、さっぱりストロベリーも捨てがたい。
……これは決めらんねぇな。
「里桜が食いたくて買ってきたんだから、先に選べよ」
「えー……選べないよぉ。どっちも美味しそうなんだもん」
里桜もかよ。ってことは、取れる手段は一つしかないな。
「それなら、シェアすっか」
昔もよくしてたもんな。
「あっ、さすが隼くんっ。私もね、それがいいんじゃないかなって思ってたの。じゃあ……まずはこっちからにしよっか」
食べる順番を決めたらしい里桜は、チョコアイスをそのままローテーブルに置き、ストロベリーアイスの蓋を開けた。そして、スプーンとともに俺に手渡した。
「はい、隼くん。どーぞっ」
「……俺からでいいのか?」
「うんっ。食べて食べてっ」
いやいや、ここで俺が先に食うのは違うだろ。里桜が買ってきたわけだし、一応課題を終わらせたご褒美という体なのだ。であれば、一番の功労者である里桜が真っ先に食うべきだ。
ただ、このまま里桜に押し返せば、譲り合いの応酬が始まるのは目に見えている。
なら──
俺は差し出されたアイスにスプーンを突き立ててすくい取ると、自分の口には運ばずに里桜の口元に持っていった。
「ほら里桜、あーん」
「えっ、自分で食べたらいいのに」
「いいんだよ。里桜に食べさせたい気分なんだ」
「もうっ、しょうがないなぁ」
とか言いながら、嬉しそうな顔をしてくれるのだから、里桜は本当に可愛い。
大きく開かれた口にスプーンを差し込むと、
「あーむっ────んーっ、おいひっ!」
里桜のほっぺがゆるゆるになった。
そうそう、この顔が見たかったんだ。甘い物食ってる時の里桜って、マジで幸せそうなんだよな。
「さて、次は俺も──」
「だーめっ!」
再びアイスのカップにスプーンを伸ばそうとすると、パッと奪い取られてしまった。そして里桜は俺と同じようにアイスの乗ったスプーンを差し出し、ニコリと笑う。
「次は、私の番でしょ? はいっ、隼くんもあーん」
……まぁそうなるよな。予想通りというか、期待通りというか。俺もこれをしてもらいたくて里桜に食べさせたってところがあるし。
「んじゃ、遠慮なく」
パクリとスプーンを口に含むと、冷たいアイスが舌の上で溶け出して、苺の香りと味が広がっていく。
「んっ、うまっ。こりゃ高いだけのことはあるな」
おまけに里桜に手ずから食べさせてもらったのだ、最高に決まってる。
「でっしょー? 思い切って買って正解だったね」
「だな。……っと、せっかくだから溶けちまう前に食わねぇとな。ほら、次行くぞー」
「うんっ、あーん」
食べさせ食べさせられて、あっという間に一つ目が空になった。続いて、後に回したチョコアイスに手を付ける。こっちももちろん、お互いに食べさせ合うことに。
「おっ、これも美味い。すげぇチョコ濃いな」
「ねっ、すっごく美味しっ。でも隼くん──」
じっと里桜が俺の顔を見つめてきた。なにかあったのかと思っていると、するりと里桜の顔が近付いてくる。
「ん?」
「ふふっ。口の端にアイス、付いてるよぉ」
──ぺろっ
里桜の舌が、俺の口元に触れた。
「えへっ……甘いね?」
「え、いや……」
いきなりなにしてんだよ、里桜は……。
舐め取らなくても、拭き取ってくれたらそれで済む話なのに。でも……里桜が舐めた感触が、ずっと残ってる。
里桜以外にされたら、きっと気持ち悪いって思う。なのに、今は嬉しくて、恥ずかしくてドキドキが止まらない。里桜も、照れているのか少しだけ顔が赤くて。
「隼くん……最後の一口、あげるね」
「え、うん……」
また、口の中にアイスが入ってくる。そして、間髪入れずに里桜に唇を塞がれた──だけじゃなかった。
「んんっ……?!」
「んっ、ちゅっ……。ひゅんふん……。んっ、んむっ……」
里桜の舌が俺の唇を割り開き、口の中に侵入してきた。俺の舌に絡み付いてきて、二人の熱でアイスがとろりと溶けていく。
アイスだけの時よりも、一層甘く感じる。気付いた時には、俺からも舌を絡ませていた。
「えへへ……ごちそうさまっ」
口の中からアイスがなくなると、里桜の顔が離れていく。口を半開きにしたままで、そこからピンク色の舌が覗いていた。
それを見た瞬間、俺の頭の中でなにかがプツリと切れた気がした。せきを切ったように愛おしさが溢れ出して、
「里桜っ……」
俺は短く名を呼び、里桜を抱きしめ、口付ける。今度は俺から里桜の口内へと舌をねじ込んだ。
里桜はわずかに戸惑いを見せたが、俺を受け入れてくれて。これまでしてきたキスが、まるでママゴトに感じてしまうような深いキス。俺は一瞬で夢中になっていた。
アイスはもう全く残っていないというのに、ただただ甘くて。
また里桜に先を越されてしまったという気持ちも、さらに一歩里桜との関係が進んだことへの喜びに塗り潰されてしまう。
頭の中が、里桜一色に染め上げられていく感覚。
もっと、里桜がほしい。そんな想いに支配されて、気付けば俺はキスをしたまま里桜をソファに押し倒していた。
息が苦しくて唇を離すと、里桜は潤んだ瞳で、熱っぽい視線を向けてくる。
「隼くん、好き……」
「あぁ、俺も里桜が好きだ」
もう、いいんじゃないか。我慢は、たくさんした。里桜への想いも、これ以上ないほどに高まっているはずだ。なら……ゆっくりと決めたのは俺だけど、ここまで勇気を出してくれた里桜に応えたい。
「隼くん……。いい、よ? いつでも、覚悟できてる、から」
「あぁ……」
ゆっくりと里桜に覆い被さり、再びキスを交わそうとして──
まさにその時だった。
──〜〜♪
ローテーブルに置きっぱなしにしていた俺のスマホが着信を告げるメロディを奏で、ブルブルと震えた。
俺達の緊張を表すように静寂に包まれていたリビングに、その音がやけに大きく響き渡る。驚いた俺達は弾かれるように距離を取った。
誰だよっ、こんな時にっ?!
俺は苛立ちを隠すことなく、音のする方へと目を向けた。スマホは依然として鳴り続けている。それを眺めているうちに、しだいに頭が冷静さを取り戻していった。
──待て。俺は今、なにをしようとしてた……?
里桜の熱に呑まれて、我を忘れて……。もちろん、里桜への想いは本物だし、そうなることに期待もある。でもさ──
肝心の準備、なんもしてねぇじゃん……。
言い訳のようになってしまうが、昨日までは課題漬けだったわけだし、四六時中里桜と一緒の生活の中、隙を見て買いに行くこともできなかったのだ。
あっぶねぇ……。
大事にするとか言っておいて、いったいなにをしてんだろうな、俺は。いきなり責任の取れないことをするところだった。
それだけじゃない。そんな事態になったらそれは、俺を信用して里桜をここに置いてくれているおじさんとおばさんに対しての、これ以上ない裏切り行為になる。下手をすれば、また里桜と離れ離れにされてしまう可能性だって。
そこに考えが至ると背中には冷や汗が流れ、心臓はさっきまでのドキドキが嘘のようにバクバクと脈打つ。
「……ねぇ隼くん? 電話、誰から……?」
「あ、あぁ……そうだった」
スマホを手に取ってみると画面には『悠人』の文字。
「……悠人だ。ごめん、ちょっと出るわ」
「うん、そうしてあげて」
俺は深呼吸をしてから、通話ボタンをタップした。
「……どうした、悠人」
『あっ、やーっと出た。隼、遅いじゃん。もうすぐ着いちゃうところだったよ』
「着くって、どこにだよ?」
『そりゃ、隼の家に、だよ。あぁ、高原さんの家でもあるね』
「いや、そこはどっちでもいいんだが……なんでうちの場所知ってんだよ?」
まだ悠人には教えてなかったはずだぞ。一応、歩いて学校に通える距離とは伝えてあるが。
『蛍ちゃんがお母さんから聞いたみたいだよ。というわけで、これから蛍ちゃんと二人で行くから』
「はぁっ? 蛍も?」
『とりあえず話は着いてからね。もうすぐそこまで来てるから、また後で』
「おい、ちょっと待っ──」
虚しくも、そこで電話は途切れてしまった。悠人のやつ、言いたいことだけ言って切りやがった……。
忌々しく、静かになったスマホを見つめていると、里桜はさっきの余韻を残した顔で小首を傾げた。
「……時雨くん、なんだって?」
「よくわかんねぇけど、蛍と一緒にこれからうちに来るんだと。しかも、もうすぐ着くらしい」
「……そっかぁ。じゃあ、この続きはまた今度、だね?」
「そう、だな……」
ホッとしたやら残念やら。なんとも複雑な気持ちだ。
もし悠人が電話をしてこなければ、俺は後悔することになっていたはず。つまり、悠人に助けられた形だ。
でも、それはそれとして、雰囲気をぶち壊しにされたことは面白くなかったりする。
「さーてっ、そういうことならお出迎えの準備しなきゃっ」
里桜はさっきまでの表情を器用に引っ込めると、ひょいとソファから立ち上がり、使ったスプーンと空になったアイスのカップを持ってキッチンへと行ってしまう。
俺はただ、その後ろ姿をボーっと見送ることしかできなかった。
なんでそんなすぐに切り替えられるんだ……。すげぇよ、里桜は。
はぁ……なんか俺ってすげぇ情けないやつかも。
◆side里桜◆
アイスのカップをゴミ箱に放り込みながら、私は唇を噛み締めた。
もうちょっと、あとちょっとだったのにぃ……。
悔しいなぁ……。
残念だなぁ……。
あと一歩のところで、実家を出てくる時に定めた目標の全てを完遂できたのにさぁ。
隼くんと暮らして、隼くんの後悔を取り払って、隼くんに好きになってもらって、私の身も心も全部、隼くんのものにしてもらうこと。これが私が立てていた計画なの。
もちろん、その先もずっと隼くんとの関係は続けていくつもりだったけどね。
でも……まぁいっか。あと一歩のところまできたってことは、隼くんをその気にさせるのには成功してるってことだもんね。
焦ることは、ないよね。夏休みはまだ長いの。チャンスはまた作ればいい。これからそのための時間はいくらでもあるんだから。
とはいえ、やっぱり残念なものは残念、なんだよね。蛍ちゃん達を出迎えるにあたって、切り替えなきゃいけないし。八つ当たり、したくないもん。
そのために必要なのは、どう考えても隼くん成分の補給。
スプーンを洗って少しだけ頭を冷やした私は、再び隼くんの隣に戻ってきた。
「ねぇ隼くんっ」
「……なんだ?」
あぁもう、そんな切なそうな顔しないでよ隼くん。私はもうどこにも行かないから。ちゃんと次の機会を待ってるから。
だから──
「今は、これで我慢してね?」
私は隼くんに軽く抱きついて、静かに唇を重ね合わせた。さっきまでの熱を解くように、優しく、穏やかに。
エントランスからインターホンが鳴らされたのは、この直後のことだった。




