第47話 幼馴染へは告白だけじゃ足りない
肩をピクリと跳ねさせたきり、里桜からの反応がなくなってしまった。
やっべ……タイミング、ミスったか?
そんな心配が頭をよぎったのも束の間、里桜がぐすっと鼻を鳴らす。そして、
「……嬉しい」
ポツリと呟いた里桜の声に心が震えた。
よかった……ダメじゃなかったか。
ホッと息を吐き、腕を緩めて里桜の顔を覗き込むと、今にも泣き出しそうな、なみなみと涙を溜めた瞳がそこにあった。
「ごめんな、たくさん待たせて」
「んーん、いいの。ちゃんと聞かせてくれたから。でも、ずっとずっと待ってた……」
ついに耐えきれなくなった涙が一雫、里桜の頬をつぅっと伝って落ちていく。
たった一言で、こんなにも……。
そう思うと、また痛いほどに胸が締め付けられる。この感情は『好き』なんて言葉だけじゃ到底表しきれない。だから、俺は再び口を開く。今度はしっかりと里桜の瞳を見つめて。
「里桜……」
名前を呼びながら、頬を流れる雫を優しく指で掬い取る。その涙は、ほんのりと熱を持っている気がした。
「うん、なぁに?」
「好きなんかじゃ、全然足りてなかった。昔も好きだった。なのに俺が里桜を泣かせて、もう会うこともできないんだって諦めてた。でも、里桜が繋ぎ直してくれたおかげで……今はもっと、昔と比べ物にならないくらい、言葉じゃ伝えきれないくらいに、里桜が大好きだ」
視線をそらさず真っ直ぐに告げると、里桜の顔は一瞬で茹で上がった。泣きながら照れて、そんな表情もたまらなく可愛くて愛おしい。
「あぅ……隼くんの、バカっ。そんなに言われたら、もう花火どころじゃ、なくなっちゃうよ……」
「わりぃ……でも──んむっ」
里桜が俺の唇に指を当て、言葉を遮った。浴衣姿から繰り出されたその仕草に、俺はまたドキリとする。
「今度は私の番、だよ。言わせっぱなしになんて、させないから」
「……わかった、聞かせてくれ」
「うん。あのね……私も、隼くんが好きっ、大好きなのっ。昔から優しい隼くんが好きだった。好きで好きで、諦められなくて戻ってきたの。やっと、言えた……大好きっ、隼くん」
里桜が俺のことをどう思っているのかなんて、とっくに知っていた。里桜は常に、全力で愛情表現をしてくれていたから。でもしっかりと言葉にされると嬉しくて、心がふわふわする。
こんなことなら、もっと早く──
いや、そうじゃねぇな。こうして待っていてくれた里桜に、俺の想いを受け取ってくれた里桜にかける言葉は他にある。
「……ありがとな、好きでいてくれて。戻ってきてくれて。全部、里桜のおかげだよ」
そうじゃなかったら、俺はまだ後悔を押し殺しながら日々を無為に過ごしていただろう。仲直りができて、こんなふうにまた好きになれて、里桜も好きだと言ってくれて。
それは全て、あの一緒に暮らし始めた日から──いや、里桜がこっちに戻ってくる計画を立ててからか。もしかするとそれよりもっと前からなのかもしれない。本当に、どれだけ感謝してもし足りないよな。
「えへへ……。でもね、それは私がそうしたかったからだもん」
「それでも、だ。ありがと、里桜、好きだよ」
「……うんっ! 私も好きっ!」
俺は、涙を流しながらも嬉しそうに微笑む里桜を強く胸に抱きしめた。里桜もまた、俺の背に腕を回してくれて。
俺たちはしばらくの間、花火の爆音が降り注ぐ中、空も見上げずに固く抱き合っていた。
「ねぇ、隼くん?」
ふと、俺の腕の中で里桜が小さく声を上げた。腕から解放すると、恥ずかしそうな表情で見上げてくる。
「なんだ?」
「その……私達って、これで恋人同士、ってことでいいんだよ、ね?」
「そう、だな」
そうなるために告白をしたはずなのに、改めて言葉にされると少しだけこそばゆい。
でも、恋人、か……。
ならこういうのもいいかもな。
俺はわずかに視線を落とす。
今まで散々繋いできた手、小さくて柔らかくて可愛らしい手、今も知らず知らずのうちに繋いでいる手、大好きな里桜の手がそこにある。
関係が明確に変わったことを示すように、俺はするりと指を絡ませた。
「あぁっ、ダメだよ隼くんっ……!」
里桜が驚き手を引こうとするが、しっかりと絡められた指はそう簡単には解けない。俺も里桜を逃がすまいと、さらにぎゅっと握る。
「いいだろ、もう……恋人同士、なんだから」
「そういうことじゃ、ないんだもんっ。私からしたかったのにぃ……」
なんだ、そういうことかよ。それならさっさとすればよかったのに。
「まぁ早い者勝ちってことで」
「……告白は、隼くんに譲ってあげたのに?」
「それは、そう、だけど……」
そういやそうか。里桜は律儀に俺の待ってろって言葉を守ってくれてたんだよな。
でもすでにやってしまったことを取り消すことはできないわけで、里桜は悔しそうに頬を膨らませた。
「いいもんっ。私は別のもの、先にもらうからっ」
「別のもの、って……?」
「それはね──恋人同士になるまでできなかったこと、だよっ?」
そう言うと里桜は俺にぐっと顔を寄せる。可愛いすぎる顔が迫ってきて、ドクンと心臓が跳ね上がった。
里桜はそんな俺に構うことなく、すっと目を閉じると、
──ちゅっ
温かく、柔らかい感触が唇に触れた。これは前にも頬に感じたことがある、なにをされたのかはすぐにわかった。
里桜に、キスされてる。
なんで、なんて野暮なことはもう思わない。でも心臓は暴れまわり、身体は金縛りにあったように動かない。その間も里桜は俺の頭をがっちりと腕に抱えて、ずっとキスをし続けている。俺も、いつの間にか目を閉じていた。
そうすると、感じられるのは里桜の存在だけになり、愛情をこれでもかと伝えてくるような長いキスに頭の奥がジンっと痺れる。驚きの波が過ぎ去っていくと、代わりにとめどなく幸福感が押し寄せてきた。
こういうとこも里桜らしいなって思う。やたらと積極的で、こっちが予想もしていないことばかりしてきて、俺を振り回して。でもそれが今の里桜で、そんな里桜も俺は大好きだから。
ここが外だとか、誰かに見られるかもだとか、そんなことを考えたのは一瞬のことで、すぐに里桜からの甘いキスによって溶かされてしまった。まぁ人なんてほとんどいないし、いても上ばっか見てるだろうしな。
息が苦しくなったのか、わずかな熱を残して里桜の唇が離れていく。俺達の間にできた隙間を抜けていく風がその熱を攫って、少しだけ寂しくなる。
「へへっ……。キス、しちゃった、ね?」
「俺としては、されちゃった、なんだけど?」
「イヤ、だった?」
「んなわけねぇだろ……。驚いたけど、めちゃくちゃ嬉しいよ」
キスって……なんか、すごいんだな。なにがどう、とははっきり言えねぇけどさ。
こんな幸せな気分は今まで味わったことがない。このキス一つだけで、更に数段飛ばしで里桜のことが好きになったくらいだ。すでに上限だと思っていた天井をやすやすと突き破ってな。
「ならよか──んっ?!」
それを証明するように、今度は俺から里桜の唇を奪う。やられっぱなしじゃいられない、というよりは、もっとしたいという衝動に駆られて。
こうして自分からしてみると、されるのとはまた少しだけ違う、俺という存在を里桜に刻みつけているような不思議な感覚があった。
里桜は──俺のもんだ。もうどこにも行かせない。
そんな想いが俺の中で大きくなっていく。その想いに任せて、さらに深く口付けをする。
……あぁ、これはやばいな。中毒性が強すぎる。幸せなだけじゃなくて、里桜の唇、気持ち良すぎだろ。
その感触を楽しむように、俺は息が保つ限りキスをし続けていた。
「もうっ……不意打ち禁止っ!」
キスをやめると、なぜか怒られるはめになった。理不尽がすぎる。
「……それ、里桜が言うか?」
「私はいーのっ! だって、ずっと我慢してたんだもんっ」
「……そりゃ悪かったよ」
「謝らなくてもいいから、もっと、させて……? 私、キス、好きかも……」
気付けばまた里桜に口を塞がれていた。俺の幼馴染は──いや、幼馴染兼彼女様はとっても積極的でいらっしゃる。でも、負けちゃいられない。俺だってすっかり里桜の虜なんだからな。
「んっ……隼くんっ、好きっ」
「俺も、里桜が好きだよ……」
合間合間に愛を囁いて、唇が離れるたびに攻守は交代して──
って、花火大会に来てまで、俺達はいったいなにをしてるんだろうな。それでもこの幸せな時間、そう簡単にはやめられそうにない。
*
「はぁ……綺麗だねぇ」
空に花が咲き、散っては夜空に溶けていく。かと思うと今度は連続で打ち上がり、暗闇を色鮮やかに染め上げる。
「そうだな」
俺は口ではそう返事をしつつも、視線は里桜の横顔に釘付けだった。
今の俺は里桜を後ろから抱きかかえる形で座っている。顔を向かい合わせていると、またキスが止まらなくなりそうだから、という理由で。
結局さっきはお互い夢中になりすぎて、こうして花火を見始めたのは半分以上も時間が過ぎてからだった。
「わぁっ……! ねぇねぇ隼くん、今のすごくなかった?!」
突然はしゃぎながら里桜が振り返り、ぱちりと目が合う。それが予想外だったのか、里桜はこてんと小首を傾げた。
「んー……? 隼くん、花火、見てた?」
「ごめん、里桜しか見てなかった」
厳密に言えば、里桜の向こう側にチラッと花火は見えていた。でも、焦点はもちろん里桜に合わせていたのでぼんやりとだけだ。
「せっかくここまで来てるのに、ちょっとは見ないともったいないよ……?」
「だって、里桜の方が綺麗だし」
……あ、やべ、なんか勢いでキザなこと言っちまった。
ただこれも今の里桜には効果覿面だったようで、すぐにふにゃふにゃに蕩けていく。
「もうっ、もうっ……隼くんのバカぁ……。そんな嬉しいこと言うと、またちゅーしちゃうよ?」
「望むところだ。あっ、でも俺もそろそろ花火、見とこうかな」
さすがに今日の記憶が里桜の横顔とキスだけなんてことになったら、思い出話をするのにも困るもんな。
「じゃあ一回だけね」
「俺からもするから二回だろ」
「そしたら次は私がするから、また止まらなくなっちゃうね」
「まぁ……そん時はそん時ってことで」
なんだかんだで最終的にはキスの合間に花火を見上げる、というスタイルに落ち着いた。ファーストキスから間もないってのに、もう何回したのか数えるのも億劫になるくらい繰り返しキスをして。
それでも、花火がクライマックスに突入し激しさを増すと、二人でしっかりと空を見上げる。間髪入れずに次々と打ち上がる花火は圧巻の一言だった。
恋人になった里桜とこれが見られたのなら、告白を前倒しにした甲斐があるってもんだな。
しかしそれもやがて終わりを迎える。締めくくりにふさわしい一際大きな花火が夜空に咲き、名残を惜しむかのようにゆっくりと闇に溶けて消えていった。
「はぁ……終わっちゃったねぇ」
後に続く花火はないというのに、空を見上げたままで里桜が呟く。
そういや、本来はここで告白するつもりだったんだっけ。そのために考えた言葉も、まだ俺の中に残ったままだ。
ま、せっかくだしな、これも伝えておくか。
「なぁ里桜」
「なぁに、隼くん?」
「昔ここでした約束、覚えてるか?」
「うん……覚えてるよ。私が引っ越しちゃったせいで、守れなかったよね」
視線を落として申し訳なさそうにする里桜に、俺は慌てて次の言葉を紡ぐ。
「それは里桜のせいじゃねぇから気にすんなって。俺が言いたいのはさ、昔のことじゃなくて、これからのことなんだよ」
「これからの、こと……?」
「あぁ。あのさ、里桜。来年も再来年も、これから先ずっと、一緒に花火、見に来ような。里桜と一緒に見られるのなら、別にここのじゃなくてもいいからさ」
あの日の約束のやり直し。果たせなかった約束を今度は絶対に守ると心に誓って。これが、俺が里桜のために用意してきた言葉だった。
なのに里桜ときたら──
「隼くん、それってもしかして……プロポーズ?!」
思わずずっこけそうになった。どこの誰が告白とプロポーズを続けざまにするというのか。一気に階段駆け上りすぎだろ。
「ちげーよっ! それはさすがに気が早すぎるわ!」
「えー……。でも、ずっと一緒にって言ったのは隼くんだよ? そういう意味じゃ、ないの?」
……確かにニュアンス的にはそうも取れるかもしれないけど、そういうつもりは──いや、それもありか。このさいだ、また待たせることになるのは心苦しいもんな。
「……里桜」
その柔らかい頬に手を添えて愛しい名前を呼ぶ。里桜はくすぐったそうにピクリと身体を震わせて、俺の次の言葉を待つようにじっと見つめてくる。その瞳は潤みを帯びて、期待の光が揺れていた。
「正式には……いずれする。でも、覚悟だけは伝えとくな。里桜はこれから俺が絶対に幸せにする。だからさ、ずっと側にいてくれよ」
照れくささも、恥ずかしさも、今は全部飲み込んで、ただ真っ直ぐに里桜だけを見据えてはっきりと口にした。里桜は驚き目を丸くして、それから熱に浮かされたように甘く微笑んでくれる。
「隼くん……嬉しいよぉ。ずっと、ずっと側にいさせてね。私も、もう二度と隼くんから離れないから」
「そうしてくれ。里桜がいないのは、寂しいからな。もう俺、里桜がいてくれないと耐えられねぇよ」
「うん。私も隼くんがいないなんて寂しすぎて無理だよ。だからね、私も隼くんを幸せにできるように頑張るねっ!」
やけに気合いの入った里桜に思わず笑ってしまう。これ以上俺を幸せにしてどうしようってのか。そんなの里桜が与えてくれる幸せの海で溺死するぞ。今でも結構あっぷあっぷなんだからな。
「そんな頑張らなくてもいいんだぞ。もう十分すぎるくらい幸せにしてもらってるからさ」
「ダーメっ! これくらいで満足なんてしないし、させてあげないよっ。隼くんにはもっともーっと私にメロメロになってもらうんだから、覚悟しといてね?」
「それは……お手柔らかに頼む」
「ふふっ、手加減なんてしないもーんっ!」
うん、知ってた。告白して恋人同士になって、キスをして、プロポーズまがいのことまでしても、里桜が止まるはずがないって。むしろ恋人同士になったことで、さらに容赦がなくなるのだろう。
……理性、保つかな?
里桜の猛攻を受けたら、そんなものあっという間に溶かされちまうからなぁ。
まぁ、それでもいいか。どうせ今更だし。
それにさ、こんなに楽しそうに里桜が笑ってる。この顔が見られるのなら、俺はなんだっていいんだ。
ただここは一つだけ、俺からも牽制をしておこうと思う。やりすぎるとこうなるんだぞ、ってな。
俺はそっと里桜を抱き寄せる。俺がなにをしようとしているのかを知らない里桜は喜んで胸に飛び込んできた。そして俺はこの、とめどなく湧き上がってくる想いを口にする。
「里桜、愛してるよ」
……くっ。これは好きって言うよりも照れるな。でもここで引いたら台無しになっちまう。
「…………ふぇ? 隼く──んっ?!」
もう一押し、俺の言葉に動揺する里桜に更に追い打ちをかける。唇を奪って、返事は許さない。
「んんっ、ふぁっ……隼くっ──んっ、んんっ……」
息継ぎを挟んでもう一度。
どうだ、里桜。俺だってこれくらいのことはするんだぞ?
そうして、しっとり柔らかな唇をたっぷりと堪能してから顔を離すと、里桜の顔はトロトロに蕩けていた。里桜は自分がされるのには弱いもんな。
「はぅ……隼くん……それは、ずるいよぉ……」
「俺も、里桜をメロメロにしとかないといけないからさ。ダメだったか?」
「ダメじゃない……。ダメじゃないけど、こんなの……。もうっ、帰ったら、きっちりお返し、するからっ……」
「なら、そろそろ帰るか?」
「うん……帰る」
さて、次はなにをしてくるつもりなのかね。それすら楽しみになってきたな。
それから俺達は後片付けをして、結局ほとんど口にしないままだった大量の食べ物を持って帰路につく。
もちろん手は恋人繋ぎで。いつもは少しひんやりしている里桜の手も今はじんわりと温かい。
辺りには花火が終わった後の静かで寂し気な空気が漂っているが、俺達だけは未だ冷めやらぬ熱気に包まれていた。




