第44話 幼馴染は察しが良い
離れ離れになる前の里桜との思い出は、それはもう数え切れないほどにある。今でも鮮明に思い出せるものから、言われてみればそんなこともあったっけなという程度のものまで様々だ。
その中でこの時期、7月の思い出で一番強く心に残っているものといえばこれを置いて他にはない。
夏の風物詩ともいえるイベント、花火大会である。
俺と里桜の地元、ではなくて、里桜の両親の地元で毎年開催されるその花火大会。記憶にある限りは欠かさず見に行っていたはずだ。さすがに当時はまだ幼かった俺達、二人きりでというわけにはいかなかったが、それでも俺は確かに里桜と一緒に花火を見上げていた。
保育園の頃は大きな音にビクビクしていた里桜、桜色の可愛らしい浴衣を着た里桜、屋台で買ってもらった綿菓子やリンゴ飴を嬉しそうに頬張る里桜。その年ごとに違った思い出がある。毎年変わらなかったのは、花火の光に照らされる里桜が可愛かったということくらいだろうか。
そして、これは小学三年生の時の思い出。いや、未練と言ったほうがいいかもしれない。
両親達から少し離れた場所で──もちろん目の届く範囲内ではあったが──俺と里桜は二人だけで花火を眺めていた。
最後の花火が夜空に吸い込まれていくのを見届けて、里桜は空から視線を落とし、俺の顔を覗き込んだ。
「はぁ……すごかったねぇ、隼くんっ。また来年もいっしょに見ようねっ」
満面の笑みでそう言った里桜の顔は、さっきまで見ていた花火と同じように輝いて見えた。
まだ次の春に里桜が引っ越してしまうなんてつゆとも知らなかった俺は、里桜と繋いでいた手に力を込めてはっきりと頷いたんだ。
「うん、ぜったいね」
里桜との約束、ついぞ果たすことが叶わなかったこの約束は、未だに俺の心の中に後悔とともに残り続けている。
***
ついに決戦の日を迎えた。
決戦、なんて言うと大袈裟に聞こえるかもしれないが、俺にとって今日はそれくらい重要な日なのだ。とんでもないことをやらかさない限りは勝ちが確定している勝負、だからといって手は抜けない。幼馴染という関係から更に一歩先に進むために、今日、俺は里桜にこの気持ちを伝える。
思い返せばその時を今日と定めてからここまで、とてつもなく長かったような気がする。その間、里桜からの猛攻は苛烈を極めていたからな。
日に日に激しくなっていく里桜からのスキンシップ、ちょくちょく俺のベッドに潜り込んでこようとするし、また何度か水着姿で風呂に突入してきたこともあった。
夏休みが始まったら始まったで、四六時中里桜と二人きりという状況。落ち着けるのは、里桜と肩を並べてではあるが、たっぷりと出された課題に真剣に向き合っている時だけ。それも俺の集中力が切れたと見るやいなや、里桜からの甘やかしタイムが始まるというおまけ付きだ。
強引に膝枕をされて、頭を撫でられて、「頑張ったねぇ、偉いねぇ」なんて囁かれる。
そんなことされてみろ、あっという間に溶かされちまう……。
何度理性が崩壊しかけたことか。思わず、勢いに任せて告白しそうになったのは一度や二度のことではない。
そんな猛攻を掻い潜って、今俺はここにいる。
うん……まぁまだ俺の部屋だけどな。
今日は昼食が済んでから、いつもべったりなのが嘘のように里桜は部屋に閉じこもってしまった。なんでも、出かける前にどうしても済ませておかなきゃいけないことがあるらしい。
そんなわけで、俺は一人自室のベッドに寝転がり天井を見つめながらぼんやりとしている。里桜に伝えるべき言葉はすでになんとなく決まっているので、後は出たとこ勝負といったところか。
「そろそろ、だな……」
時計を見ると、出かける予定の時刻がすぐそこまで迫っていた。その時間は里桜にも伝えてあるが一度様子を見に行こう、そう思って身体を起こした時だった。
控えめなノックがドアにコンコンっと響いた。
「隼くーん、入っても、いい?」
ドア越しに聞こえてきたのは、しとやかで可愛らしい声。普段俺の前で発する元気いっぱい明るい声とはどこか違う。
それに加えて、いつもならノックもなしに部屋に突入してくるのが里桜である。これは間違いなくなにか企んでいる。その程度の事ならすぐにわかるくらいには、俺は里桜との暮らしに順応しているつもりだ。
さて、今回はなにを仕掛けてくる気なんだ……?
警戒レベルをMAXに引き上げて返事をする。
「おう、入ってもいいぞ」
ゆっくりとドアが開いていくと──
そこに立っていたのは……言葉を失うほどに美しい姿の里桜だった。
紺色の生地に大輪の朝顔が咲き誇る浴衣。普段は下ろしている艷やかな黒髪は結い上げられ、うなじが露わになっている。
背筋はピンと伸びて、まるで大和撫子のように見える。でも顔は照れくさそうにわずかに俯き、頬がうっすらと桃色に染まっていた。
「どう、かな……?」
里桜は両手を身体の前で組み合わせて、恥ずかしそうに首を傾げた。
幼少期に見た浴衣姿とは、まるで違う。匂い立つような色気に頭がくらくらする。警戒していたのがまるで意味をなしていなかった。
そりゃそうか、相手は里桜、だもんな。
「すごく……綺麗だよ」
やっとのことで言葉を紡ぎ出すと、里桜は嬉しそうに微笑み、くるりとその場で一回転した。
「えへへ……よかったぁ。実はこの浴衣ね、昔お母さんが着てたものなの。お母さんもね、おばあちゃん──お父さんのお母さんから譲ってもらったんだって」
そう言って、里桜は浴衣の裾をひらりと揺らす。
「……可愛すぎるだろ」
その姿に見惚れて、さらに呟く。里桜もまた、ますます嬉しそうに笑う。
「ありがと。そう言ってもらえてすっごく嬉しいよ……。一人で着るの初めてだったからね、ちょっと不安だったんだぁ」
「そう、なのか……。でも俺、行き先も言ってなかったのに」
俺が里桜に伝えていたのは日時だけ。なのにどうして浴衣まで用意して──
「ふふっ、花火大会、なんでしょ? わかるよ、それくらい。だって……隼くんの考えてることだもん。それに昔は毎年一緒に見に行ってたからね」
「それは、そうだけど……」
こんなにもあっさりと見破られるとは思わなかった。
そうなると──まさか、俺がしようとしていることも、里桜は気付いて……?
いや、別にどっちでもいいか。どうせ俺のやることは変わらないんだからな。
にしてもなんとも察しの良いことで。
「もしかして、普通のお洋服の方が良かった……?」
「んなわけねぇだろ。そのままで──いや、そのままがいい。さっきも言ったけどさ、本当に、綺麗だから」
「もうっ……そんなに何回も褒められると照れちゃうよぉ」
もじりと身を捩る姿も、浴衣と相まって儚げで。
俺が告白する直前まで、里桜はさらに俺の心を掴んで離さない。こんな素敵な女の子に想いを伝えて、きっと受け取ってもらえるんだと思うと、今から踊りだしそうになる。
でも──と、今の自分の姿を見下ろす。里桜と並んでもおかしくないようにと、服装も髪形もできるだけ整えたつもりではあるが。
「悪いな……俺、浴衣持ってなくてさ」
そこまでは頭が回っていなかった。そもそも里桜が浴衣を着ているのがすでに予想外だったんだ。こんなことなら行き先をさっさと告げて、俺も用意しておくべきだったと悔しくなる。
「隼くん、こっち、見て?」
里桜は静かに歩み寄ってくると、そっと俺の手を取った。顔を上げると、里桜と視線がぶつかる。里桜の瞳には、俺だけが映っていた。
「……なんだ?」
「隼くんはね、そのままでもとっても素敵、だよ? もし、ね……隼くんが浴衣なんか着たら、私、直視できなくなっちゃう、かもしれないから……」
あぁもう……里桜は……。
里桜はどこまで俺を虜にすれば気が済むんだか。またうっかり口走りそうになっただろ。
でも、今じゃない。ここまで来たのだから、焦りは禁物だ。
俺はしっかりと里桜の手を握り返す。そして、
「んじゃ、そろそろ行くか」
「……うんっ!」
手を繋ぎ、二人で寄り添って玄関へと向かうのだった。
まずは、ただの幼馴染として過ごす最後の時間、目一杯大切にしようか。




