第42話 幼馴染と水着の策略
「はぁ……疲れたぁ」
湯船に身を沈めた俺の呟きが浴室にこだまする。里桜が入浴剤を入れたのだろう、白く濁った温かい湯が体にじんわりと染み渡る。深く息を吐き出すと、疲れがゆっくりと溶け出していくようだった。
俺の水着選びが終わった後、夕食を済ませてからショッピングモールを出た俺達は、再び電車に乗り家へと帰ってきた。
ちなみに俺の水着は無難にハーフパンツタイプのものになったわけだが、柄選びにはそれはもう時間がかかった。まぁ男の水着姿なんてなにも面白くないだろうからこれくらいにしておくか。
そして帰宅してからもしばらくそわそわと落ち着かない様子だった里桜が先に風呂に入って、なぜかいつもの半分くらいの時間で出てくる。里桜はドライヤーを片手にぶら下げて、濡れ髪をバスタオルで拭いていた。
「隼くん、お風呂空いたよー。隼くんも疲れてるだろうし、ゆっくり浸かってきてね」
「にしては里桜、だいぶ早くなかったか?」
「私はいーのっ。ほらほら、行っておいでよ」
そんな感じで里桜に背中を押されて浴室へと向かい、身体を清めてから湯に浸かり今に至る。
ほぼ常時里桜が抱きついていた左腕には、まだ微かにあの柔らかい感触が残っているような気がする。今日は起きてからずっと里桜と一緒だったわけだが、ようやく訪れた落ち着ける時間に安堵していた。
でも、楽しかったなぁ。
さんざん振り回されて、精神と心臓にダメージを負い続けてはいたが、振り返ってみれば思い出すのは今日見た里桜の笑顔の数々だった。
俺の腕を引いていく時の嬉しそうな笑顔、服屋の試着室で照れくさそうにはにかんでいた顔、水着を着て恥ずかしそうに笑う顔、それから時折見せる俺をからかうような意地の悪い笑みも。次々に脳裏に蘇る里桜の表情はどれも可愛くて、胸が締め付けられる。
俺は天井を見上げながら、さらに言葉を紡ぐ。
「やっぱり、好きだなぁ……」
誰にも聞かれることのないその心の底からの呟きは、静かに温かい湯気の中に溶けていった。
里桜と仲直りをしてから、里桜への気持ちを再び自覚してからおよそ一ヶ月。この間、俺は六年分の空白を埋めるために過ごしてきた。
今の俺と里桜は離れ離れになる前よりも仲が良くなっていると思う。一緒に暮らしている分、お互いにお互いの気持ちを理解している分、ずっと。
そうなれば当然、次は里桜への告白──
……そろそろ、してもいいのかもしれないな。
と、そこまで考えてハッとした。
もしかして、今日が絶好のチャンスだったんじゃ、ないのか……?
楽しいデートだったし、雰囲気も良かった。まさに告白するにはベストなタイミングだったはず。
六年の空白を埋めるとともに、ずっと里桜に告白するシチュエーションにも頭を悩ませていたというのに俺はいったいなにをやっていたんだか。
いっそ、風呂から出たら伝えるか……?
いや待て待て。ここで告白なんてしたら、今まで待たせてきたのが全て水の泡になってしまう。家でなら、いつでもできたはずなんだから。
なのに、なんて俺はバカなんだ……。
愚かな自分に愕然とする。里桜に押されまくっていて、そんなことを考える余裕がなかったという言い訳もあるが、それでも。
そうして一人で頭を抱えていると、控えめに洗面所のドアがノックされて、続いて里桜の声がした。
「隼くーん?」
突然の里桜からの呼びかけに飛び上がりそうになりつつも、どうにか平静を装い返事をする。
「……どうした?」
「えっとね……入っても、大丈夫?」
「あ、あぁ、いいぞ」
たぶんドライヤーでも戻しに来たのだろう、この時はそう思っていた。だがその予想に反してカチャリと音を立てて浴室のドアが開いて、ひょこりと里桜が顔を覗かせた。
「えへへ、おじゃましまぁーす」
間延びした里桜の声、俺は現実を受け止められなくて固まっていた。
バスタオルを身体に巻き付けた里桜が浴室へと入ってきて、そこでようやく我に返った。
「えっ、ちょっ?! おい里桜っ、なにしてんだよっ!」
「えー? だって隼くんが入っていいって言うから」
「入っていいって言ったのは洗面所だっ! なのにっ、なんで……」
俺がそう言うと、里桜は顔を赤らめて、身体に巻いているバスタオルに手をかけた。
「隼くんと、一緒にお風呂、入ろうと思って……。さっきは身体を洗っただけだったから」
「待て待てっ! それはダメだって!」
「ダメじゃないし、待たないよ」
里桜は悪戯っぽく微笑んで、俺を見つめてくる。そしてあっさりとバスタオルの端を引き──
俺は思わず固く目を瞑った。
パサリとバスタオルが落ちる音に続いて、ヒタと里桜が一歩俺に近付く音がする。そして、そっと里桜の手が俺の頬に触れた。
「ねぇ隼くん、見て……?」
わずかに震える里桜の声が、熱い吐息と共に俺の耳をくすぐる。抗うことなどできずに、その言葉に従ってうっすらと瞼を開けてしまった。
「……は?」
俺の口から、間抜けな声が漏れた。
目に飛び込んできたのは黒色の水着を身に纏った里桜で、してやったりという表情で笑っていた。
「──ぷっ。あははっ。隼くん、もしかして私が裸だと思ってたの?」
「……」
なにも言い返せなかった。
この幼馴染は本当に……。
俺が油断してるとすぐこれだ。
「もー、隼くんはえっちだなぁ。でも残念でしたぁっ! 水着、ちゃーんと着てるもんねーっ! んふふっ」
「ったく……あのなぁ、水着を着てればいいってもんじゃねぇんだよっ」
裸じゃなかろうが、里桜の水着姿だって俺には十分すぎるほど目に毒なんだから。
「まぁまぁいいでしょっ。それにほら、後で見せてあげるって言ったことだしね」
「後でって今日かよっ?!」
「そうだよ?」
当たり前のように言う里桜にため息が漏れる。
「普通、プールとか海でってことだと思うだろ……」
「だってそれまで待ちきれないもんっ。隼くんも気になってたんじゃないの?」
「それは、そうだけどさぁ……。というか、水着、それにしたんだな」
黒色のワンピースタイプの水着、俺がつい、ちょっとエロいなんて思ってしまったやつだ。
「これにした、というかねぇ、今日のところはこれを着てみたって感じかなぁ」
「……ん? 今日のところは?」
って、どういうことだ……?
まさかとは思うが──
「んふふっ、隼くんの反応が良かった水着、全部買っちゃったぁ。と言っても3着だけだけどね。他のはまた今度、のお楽しみね?」
──そのまさかだった。
「マジかよ……。てか、そんなに水着を着る機会あるのか……?」
「なきゃ作るまでだよっ。お風呂なら毎日入るしね」
つまり、またこうやって突入してくる気満々ってことで。
あ、やばい。なんか頭がクラクラしてきた……。
「というわけで、今度こそおじゃましまーすっ」
俺の困惑などお構いなしに里桜がちゃぷんと片脚をお湯に沈める。
「だから待てって! 俺は裸なんだよっ!」
「お湯濁ってて見えないから大丈夫っ。ほーらっ、もっと詰めてよ、入れないでしょー?」
そのための入浴剤かっ?!
あぁもう、全部計算ずくだったのかよっ!
『後で』と言ったのも、早く風呂から出てきたのも、普段はあまり使わない入浴剤を入れていたのも里桜の張った伏線だったってわけだ。
……それならそうと先にはっきり言っとけよなぁ。そしたら心の準備をしてたのに。耐えられるかは別として、な。
そして逆に長い付き合いのせいではっきりとわかってしまうのは、ここまでした里桜は決して引かないということだけだ。
まぁ……俺が折れるしかないんだろうな。じゃないと里桜はいつまでもここに立っているだろう。そうなれば俺も風呂から出ることができずに逆上せることになる。
「……わかったよ」
「さすが隼くんっ、話がわかるね」
里桜はそう言うと、俺が空けたスペースに身を沈めていく。二人も入れば浴槽はぎゅうぎゅう詰めで、ザパーと溢れ出したお湯が排水口へと流れていった。
俺と向かい合う形で座った里桜が気持ち良さそうに目を細める。
「ふぁぁ……温かいねぇ」
「……狭くないか?」
「お互い成長したもんねぇ。昔一緒に入った時は全然余裕あったのにね」
「……だな」
里桜の言葉に思わず視線が胸元に吸い寄せられそうになって、慌てて逸らした。服の上からでもその豊かさがわかるってのに、今は水着1枚纏っただけで。水面から覗く膨らみに心臓が跳ねた。
……成長しすぎなんだって。
そのまま少しだけ無言の時間が流れ、ふと里桜が口を開いた。
「ねぇ隼くん」
「なんだよ?」
「さっき、狭いって言ってたよね?」
「言ったな」
「ならさ……私、そっち寄っても、いい?」
「寄る、って……?」
俺がその言葉の意味を理解する前に里桜は動いていた。一度立ち上がり、俺に背を向ける。黒い水着に包まれたお尻が目の前にあった。
「隼くんは、脚を開いて伸ばしてくれる?」
「こう、か?」
言われたとおりにすると、里桜は躊躇なく腰を落として、俺の両脚の間にすっぽりと身体を滑り込ませた。
「これなら、さっきよりはくつろげる、でしょ?」
「あ、あぁ……」
反射的に頷いてしまったものの、まったくくつろげない。脚を伸ばしたことで窮屈さは減ったけど──
この密着感は……やばい。
里桜はべったりと俺に背を預けてきていた。それに加えて、太ももには里桜の水着越しのお尻が触れて、濁り湯のせいで見えない分、その感触が生々しい。
「ねぇ隼くん……ぎゅって、して?」
なにも考えらなくなった頭に里桜の声が響いて、操られるように勝手に身体が動く。たぶん躊躇いがちだったと思う、それでも俺は里桜を抱きしめていた。
「これで、いいのか?」
「うん。このまま……もう少しだけ、このままでいて」
「……わかった」
触れ合う肌の熱さに、どうしようもなく理性が溶けていくのを感じながら、同時に俺の胸の内からはとめどなく里桜への愛情が湧き上がっていた。
やっぱり、ちゃんと告白しよう。
そうしなければ里桜はこの曖昧な関係のままでも構わず突き進んでいって、俺はそれに甘え続けることになるだろう。そんなのは里桜に対してあまりに不誠実がすぎる。
だから、里桜に一番喜んでもらえるような最高のシーンで、俺のできうる最大限の言葉でこの想いを伝えたい。あとはなるべく早めに、だな。
じゃあ、それはどんな……。
すっかり黙り込んでしまった里桜を抱きしめながら、俺は再び考え始める。
しばらくすると里桜が真っ赤な顔で「逆上せそうだから、そろそろあがるねっ」と言って浴室を飛び出していってしまったが、それと同時に妙案を思い付いた──
──なーんて言えりゃよかったんだけどなぁ。
結局、一日中翻弄され続けて限界を迎えた頭からは、なに一つとして案が出てくることはなかったのだった。
はぁ……明日悠人に話、聞いてもらお。




