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第40話 幼馴染は小悪魔?

「あっ! ねぇねぇ隼くんっ、あれ可愛くなぁいっ?」


 パッと俺の腕から離れた里桜が小走りで駆けていく。せっかく大人っぽくおめかしをしているのに、言動はどこか子供っぽい。


 俺はそのギャップに悶えつつも『里桜が一番可愛いんだが?』と心の中で呟いて、その背中を追う。




 俺達は電車を利用して、とあるショッピングモールを訪れていた。


 昨日から二人して初デートに浮かれまくっていた俺達だが、その本来の目的は里桜の夏服選びである。


 次々に試着を繰り返し意見を求める里桜を前にして、果たして俺は今日一日平常心を保ち続けることができるのだろうか。


 まぁすでに平常心なんて家に置き忘れてきている感が否めないが、できる限りは頑張ろうと思う。


「おーい、里桜っ! あんま一人で先に行くなよー」


 ひとまずは放っておくと一人でどんどん先に進んでいってしまいそうな里桜に声をかける。


 じゃないとすぐにナンパとかされそうだからな。さっきから里桜がすれ違う男共の視線を集めまくってるのには俺も気付いてんだ。


 いろんなものに興味を持ってちょこちょこ動き回る里桜は可愛くていつまでも見ていられるが、ナンパなんかに邪魔されるのは御免だもんな。


 俺の声に気付いた里桜はハッとして、少しだけ申し訳なさそうな顔をして駆け戻ってくる。そして先ほどよりもさらに強く俺の腕に抱きついてきた。


「えへへ、ごめーんねっ。ちょっと楽しくなっちゃって」


「いいけど、あんま離れんなよ。迷子になったら館内放送で呼び出してもらうからな?」


「それは……さすがに恥ずかしいよぉ……」


「ならちゃんと側にいろよ」


 俺がそう言うと、里桜は目を丸くして固まり、少し驚いた表現で見つめてくる。それから照れたように微笑むと、うっとりと目を細めて俺の肩に頬を擦り寄せた。


「はぁい。ずーっと隼くんにくっついとくっ」


「ずっとは、無理だろ……服買うって言ってたのに、それじゃ試着もできねぇじゃん」


「うーん……隼くんも一緒に試着室に入れば、問題解決?」


「……勘弁してくれ」


 その話は朝もやったってのに……まったく、この幼馴染は……。


「ふふっ、冗談だよっ。でも、ちゃーんと感想は聞かせてね?」


「まぁ……それが今日の俺の役目だしな」


「うんっ! よーしっ、さっそく最初のお店、行ってみよーっ!」


 里桜は俺の腕を引いて歩き出す。そのまま先ほど里桜が駆け寄っていっていた店へと入ることになった。


「んで、里桜はどんなのが欲しいとかあるのか?」


「んーとね、実はまだ全然考えてないの。というか……隼くんの反応見ながら決めるつもりだったから、まずは適当に──」


「いらっしゃいませー。なにかお探しですかぁ?」


 不意に、俺達の会話にやたらと明るい声が割り込んでくる。それに驚いたのか、里桜がビクッと身体を跳ねさせた。


「んにゃっ……! あのっ、あのっ、えっと……」


 気が付けば、俺達の横にはにこやかな笑顔を浮かべた店員が立っていた。気配を殺して近付くとは、この店員なかなかやるな。俺も少しだけビックリしたぞ。


 にしても……里桜の人見知りはこういうところでも発揮されるのな。まったく、仕方ねぇなぁ……。


「すんません、彼女ちょっと人見知りなんでで……。とりあえず色々見させてもらっても大丈夫です?」


「あっ、そうなんですね。それは大変失礼いたしました。ではゆっくりご覧になってくださいね。よろしければ試着もできますので」


「はい、ありがとうございます」


 俺が軽く頭を下げると、店員は奥へと引っ込んでいく。それを見送り、里桜が安堵の息を吐いた。


「えへへ、やっぱり隼くんは頼りになるねぇ」


「んな大袈裟な……。まぁでもこれで落ち着いて見れるだろ」


「うんっ、ありがとっ!」


 改めて里桜が店内をきょろきょろと見渡し、服を手に取っては広げてみたり、自分の身体に当ててみたりし始める。俺はそんな里桜を横でずっと眺めていた。


 女の子の買い物は時間がかかる、とはよく言われることだが……。


「んー……これはなんか違うかなぁ……。あっ、こっちは……でも、もっと攻めた方が……」


 一人でなにやらブツブツと呟きながら服を吟味する里桜。その真剣な表情が可愛らしくて、俺は思わず口元を緩めてしまう。


 ……楽しそうだなぁ。


 世の男共はいったいなにを言っているんだか。こんなのいつまででも見てられるじゃねぇか。


 そんなことを考えていると、里桜はふと顔を上げて俺を見る。その腕の中には、いつの間にか一着の服が抱えられていた。


「ねぇ隼くん、ちょっと試着してきてもいいかなぁ?」


「あいよ、行ってきな」


「はーいっ。あっ、勝手にどっか行っちゃったらヤダよ? ちゃんと試着室の前で待っててね?」


「わかってるって」


 レディース物の服屋の中に男一人で取り残されるのはややいたたまれなくはあるが、これも里桜のためだ、我慢するとしよう。


 カーテンが閉ざされ、中からしゅるりと微かな衣擦れの音が聞こえてくる。薄い布1枚隔てた向こう側で里桜が無防備な姿を晒しているのかと思うと──


 ……いや、ダメだな。想像するとまずい。


 俺は気を紛らわせようとスマホを取り出して適当なサイトを開いてみるも、頭には全く入ってこない。どうしても意識がカーテンの向こう側に向かってしまう。


「隼くん、いる……?」


 頭の中で葛藤を繰り広げることしばらく、里桜が声をかけてきた。動揺を悟られないように、数秒の間を置いてから返事をする。


「あぁ……いるぞ」


「よかったぁ……あの、ね。少し隼くんに手、貸してもらいたくて……」


「どうしたんだ……?」


「とりあえず、カーテン開けてもらっても、いいかなぁ?」


「……服、着てるよな?」


「さすがに私も脱いだ状態で呼んだりしないよぉっ!」


「だよな……」


 ホッとしたやら残念やら、複雑な気持ちでカーテンに手をかける。


 あぁもう、心臓がうるさい。


 意を決してカーテンを開けると──


「ごめんね、隼くん。ボタンに手が届かなくって……」


 真っ白な、陶器のように滑らかな背中が目の前にあった。華奢な肩甲骨が、薄い肌を通して浮かび上がっている。


 里桜の言っていた通り、決して下着姿だったわけではないが、背中の中ほどまでが露わになっている。背中側にボタンがあるタイプの服だったらしく、里桜はそれを留めようと悪戦苦闘しているところだった。


「えっと、里桜……これは……?」


「ねぇ……見てないで、早くボタン、留めて?」


「え、あ……うん」


 言われるがまま、里桜の背中に手を伸ばす。手の平にはじっとりと汗が滲んでいるのが自分でもわかる。


 ボタンを掴もうとした手が震えて、わずかに里桜の背中に触れた。


「ひゃぅっ……!」


 里桜の可愛らしい悲鳴が耳に届き、驚いて手を引っ込めようとしたが、すでに遅い。振り向いた里桜の、少し潤んだ瞳と目が合う。そして、俺の手首が里桜の小さな手に優しく掴まれていた。


「ご、ごめっ──」


「もう……隼くんのえっち……。急に触ったら、ビックリするでしょっ。そんなに触りたかったら、そう言ってくれればいくらでも触らせてあげるのに……」


 真っ赤な顔をした里桜の呟きが静かな試着室に響く。俺はなにも言えずに、ただ里桜を見つめることしかできなかった。


「でも……ここじゃダメ、だよ? ほら、ちゃんとボタン、留めて。ね?」


「わ、かった……」


 カラカラに乾いた喉からどうにか声を絞り出す。そして今度は背中に触れてしまうことがないように、指先に全神経を集中させて慎重に、一つずつボタンを留めていく。その間、肩を縮こまらせた背中から、里桜の緊張が伝わってきた。


「終わっ、たぞ……」


 そう声をかけると、里桜は肩から力を抜いて、ホッとしたような表情で振り返る。里桜はまだ、真っ赤な顔をしたままだった。


「ありがと、隼くん。で……早速なんだけどね、この服、どう思う?」


 ……この状況で感想を言えというのか、この幼馴染は。


 なかなか酷な注文だが、それをしないと今ここにいる俺の存在意義がなくなってしまう。壊れそうなほどに暴れまわる心臓を無理矢理抑え込み、しっかりと里桜に目を向ける。


 里桜が身に纏っていたのは、またしてもワンピースだった。でも、家から着てきたものとはまた全然雰囲気が違う。さっきまでのはガーリーで可愛らしかったのに対して、今はどこかセクシーさが漂う。


 まず目に飛び込んできたのは、オフショルダーから覗く、白く華奢な肩。そこから視線を落とすと、グレーのサマーニットワンピースが里桜のスタイルの良さを浮き彫りにしているのがわかる。ミニ丈のスカートから伸びる脚はスラリと長く、思わず息を呑んだ。


「隼、くん……?」


 不安そうな里桜の声に、慌てて口を開く。


「似合ってるし、綺麗だよ……でも──」


「でも、なぁに……?」


 これじゃ言葉足らずだろう。昨日も里桜に言われたしな。ただ今は、胸の内に湧き上がる、今まで感じたこともない強い衝動があった。


「こんな里桜、他の誰にも……見せたく、ない……」


 くだらない独占欲だ。男の独占欲は……醜いってよく言われるよな。そんなの俺だってわかってる。理性では、ちゃんと理解しているつもりなんだ。


 でも、それでも心の底から湧き上がるこの感情をどうすることもできなかった。


 ──この服を着た里桜を、衆目に晒したくない、って。


 せっかく里桜が楽しんでいるのに、水を差すように醜い感情を口にした自分に嫌になる。なのに里桜は優しげにそっと微笑んで、俺の頬に触れた。


「わかったよ、隼くん」


「り、お……?」


「ひとまず元の服に着替えちゃうね」


「あぁ……」


 おそらく里桜はこの服を買うことはないだろう。そう思って、カーテンが閉まるその瞬間まで、瞬きすらも惜しんで見つめ、里桜の姿を目に焼き付けた。


 しかし俺は、試着室から出てきた里桜の第一声に首を傾げることになる。


「お待たせっ。それじゃお会計してくるから、隼くんは外で待っててね」


 ……んんっ?

 お会計……?



 あ、あれ?

 さっき、わかったって、言ってなかったか……?


 頭の中をハテナが埋め尽くしていた。だが、理解の追いつかない俺を他所に、里桜は弾むような足取りでスカートの裾を靡かせながらレジへと向かっていく。それから手早く会計を済ませると、未だに同じ場所に立ち尽くす俺を見て、キョトンとした顔で戻ってきた。


「どしたの、隼くん? 外で待っててって言ったのに」


「いや……結局アレ、買ったのか……?」


 里桜の手にはしっかりと紙袋が握られていた。チラリと見える中身はグレーの生地、今しがた里桜が試着したワンピースのものに間違いはない。


「うん、買っちゃった。えへへ、隼くんのおかげでいいお買い物ができたよぉ」


「でも、さっきは……」


 俺が言葉に詰まると、里桜が俺の耳元に口を寄せる。そして、密やかに囁いた。


「あっ、そういうこと? なら安心してね、外では着ないから。この服はね、お家専用、隼くんにしか見せないから、ね?」


 その言葉にドクンと心臓が跳ねる。恐る恐る横を見るとそこには、


 ──小悪魔がいた。


 里桜は俺を見つめて、妖艶で蠱惑的な笑みを浮かべていたのだった。

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