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第39話 幼馴染と迎える心臓に悪い朝

「しゅーんくぅん。朝、だよぉ」


 今日も俺は里桜の声で目を覚ます。


 まだ眠気の残る頭でゆっくりと目を開けると、里桜が俺を見下ろして──



 いなかった。



 俺の視線の先には天井だけ。いつもなら、そこに里桜の顔があるはずなのに。


「あれ……? 里桜……?」


「こっちだよぉー、隼くぅん」


 ほにゃほにゃした里桜の声が耳元でする。左腕は、ここのところ登下校中にいつも感じている柔らかく暖かな感触に包まれていた。


 これは間違いなく、里桜の……。


 のそりと首だけを動かし、声のした方を向くと、至近距離に里桜の顔があった。まだ半分ほどしか開いていない瞼、寝癖でわずかに乱れた髪、ほんのりと赤みを帯びた頬。寝起きのせいか少しぼんやりとした瞳は潤んでいて、甘えるような表情をしていた。


「……おはよう、里桜」


「おはよぉ、隼くん」


 俺の幼馴染は今日も可愛い。まじで天使みたいだ。


 …………。


 うん、まぁ可愛いのはいいんだけどさ……なんで里桜が隣で寝てんの?


 はっ?!

 まさか俺……デートに浮かれて、里桜を部屋に連れ込んであんなことやこんなことを──


 ……なわけねぇよなぁ。


 昨夜はちゃんとおやすみを言ってそれぞれの部屋に戻ったはずだし、一人でベッドに横になったのも覚えている。


 なら──


「なぁ里桜。なんで俺のベッドにいるんだよ?」


 そう尋ねると、里桜は視線を泳がせながら照れくさそうに笑う。


「えっとね……なんかワクワクしちゃって寝付けなくって、ここなら落ち着いて寝れるかなぁって思ってね。お邪魔しちゃった」


 ぺろりと舌を出す里桜に、思わず頬が緩む。


 って、そうじゃないだろ。テヘペロじゃねぇんだわ。


「お邪魔しちゃったってなぁ……しかも枕まで持ち込んで」


「……ダメ、だった?」


「いや、ダメ──じゃないけど……いきなりはびっくりするだろ」


 ダメと言いかけて、ふと、停電の夜のことを思い出す。一度許した手前、強くは言えなかった。まぁいきなりじゃなかったら、また一睡もできなくなりそうなわけだけどな。


「でも隼くんね、『隣いい?』って聞いたら、私の寝る場所、空けてくれたんだよ?」


 少し得意気な表情で、小首を傾げて里桜は言う。


 身体を起こして改めて現状を確認してみれば、里桜の言葉通り、俺が寝転がっているのはいつもよりベッドの右寄りだった。全くもって記憶にはないが、無意識に里桜を受け入れていた、らしい。


「まじか……」


「えへへ。隼くん、ありがと。おかげでぐっすり眠れたよぉ」


「お、おぉ……それは、良かった、な?」


「うんっ! それじゃ私、朝ご飯の準備してくるから、隼くんはのんびり来てね」


「……わかった」


 枕を抱えて元気よく部屋を出ていった里桜を見送って、俺は再びベッドに倒れ込んだ。布団にほのかに残る里桜の香りにドキドキする。


「はぁ……朝から心臓に悪い……」


 でも──


 ここが落ち着くって、言ってた、よな……。


 それは、悪くねぇか。


 ベッドを抜け出した俺はカーテンを開ける。窓の外には快晴の空が広がっていた。それを眺めながら、俺は大きく伸びをする。


 ん、いい天気だ。


 俺の、俺と里桜の初デート、幸先は良さそうだな。


 *


 朝食と朝の日課を済ませた後、ソファに腰を下ろした俺に里桜はからかうように声をかけてきた。


「隼くんっ。私、お部屋で支度してくるから、覗いちゃだめだよ」


「覗かねぇよ」


 今までだって覗いたことはないってのに、なんの確認だよ。


「むぅ……やっぱり、覗いてもいいよ?」


「どっちだよ?!」


 覗くなって言ったり、覗いてもいいって言ったり、わけわからんやつだな!


 ただ、里桜は拗ねるように唇を尖らせていた。


「だって……そんなあっさり覗かないって言われるとちょっと悔しいんだもん。私、魅力ないのかなぁ……って」


 自分の身体を見下ろして眉を下げる里桜に、俺はため息を一つ吐く。


「バカ言ってんじゃねぇよ。里桜には魅力しかねぇっての。それにな……」


「それに……?」


「俺は里桜のことが大事だって言っただろ。だからさ、あんま俺に変なことさせんなよ……」


 ついでに恥ずかしいことも言わせんなよな。これからデートだってのに、里桜の顔、見れなくなるだろうが。


 それでも、今里桜がどんな表情をしているのかが気になって、チラッと目だけを動かして盗み見ると、


「えへ、えへへ……そっか、そっかぁ……」


 耳まで赤くして、デレデレになっていた。里桜はぴょこぴょこと跳ねるように近付いてくると、俺の両頬を掴んで顔を上げさせた。


 否が応でも視線がぶつかる。目を逸らしたいのに、透き通った里桜の瞳に吸い込まれそうになる。


 その瞳にさっきの不安の色はなく、期待だけが見えた気がした。


「隼くんっ。めちゃくちゃ気合い入れてくるから、楽しみにしててねっ!」


 俺は心臓が高鳴るのを感じながら、どうにか平静を装って無言で頷くことしかできなかった。


 里桜が自分の部屋に駆け込んでいった後、俺は大きく息を吐く。


 ……心臓に悪い。


 朝だけで2回目である。


 こんな調子でデートなんてしたら、俺の心臓がぶっ壊れるんじゃないか?


 そんなことを思いながらも、気合を入れるという里桜の姿には期待してしまっている俺だった。


 *


 里桜が部屋に籠もってから1時間が経過した頃だろうか。


「隼くーんっ!」


 里桜の部屋、そのドアの向こうから声がした。


「どうした?」


「あのね、支度、できたよ。待たせちゃってごめんね」


「いや、それは全然大丈夫だけどさ、支度ができたんなら早く出てこいよ」


 女の子の支度に時間がかかるのは俺も重々承知だ。そこをとやかく言うつもりはない。それに里桜は俺とのデートのために気合いを入れてくれてたんだからな。


 それでも待ち時間が長かった分、期待は大きくなっている。早く今の里桜を見たい、その気持ちが頭を埋め尽くしていた。


「うん。今出るんだけど、その前にね……ちょっとだけ、目、閉じててもらっても、いいかな?」


「わかった。ほら、閉じたぞ」


 言われた通り、速やかに目を閉じる。ついでに少しだけ俯いておく。焦らされている感はあるが、従わないと出てこなさそうだからな。


「それじゃあ……」


 里桜の声に続いて、ドアの開く音。そして、里桜が俺の前に立つ気配がした。


 香水でも付けているのだろうか。いつもとは違う、華やかで品のある香りがふわりと鼻をくすぐる。


「隼くん、目、開けてもいいよ」


「おう……」


 高鳴る胸を抑えながら目を開けると、スラリとした脚とスカートの裾が見えた。これは昨日俺が褒めたワンピースか。


 そこからゆっくりと視線を上げていく。ワンピースに包まれた華奢な身体、そして──顔にまで辿り着いた時、俺は息を呑んだ。


 そこにいたのは、いつもよりずっと大人びて、何倍も綺麗になった里桜だった。


 朝陽を受けて、ゆるく巻かれた髪が艶めき、里桜の身動ぎで光のヴェールのようにサラリと揺れる。控えめに施されたメイクは里桜の可愛らしさと美しさを際立たせていた。


 その姿はまるで別人のようにも見える。でも、照れくさそうな微笑みはいつもの里桜そのもので。


 俺は思わず言葉も忘れて見惚れてしまっていた。


「どう、かな? 頑張って、みたんだけど……」


 その声ではっとして、目を見開いた。そして数秒の間をおいてから、ようやく言葉を絞り出す。


「可愛い……あ、いや……その……すごく綺麗、だ……」


 他に具体的なことなんて、なに一つ言えそうになかった。それくらい、今の里桜は俺を釘付けにしているのだから。


「そっかぁ。よかったぁ……。隼くんにそう言ってもらえると、すっごく嬉しい」


 里桜がほっと息を吐くと、肩から力が抜けるのがわかった。ひとまず俺からのコメントには満足してくれたらしい。


 里桜は俺の腕に自分の腕を絡ませるとニコリと微笑む。その笑顔がまた眩しくて、でも、目を逸らしそうになるのはぐっと我慢した。


 ここまでおしゃれをしてくれた里桜を見てあげないなんて、失礼だからな。


「それじゃ、行こっか?」


「……だな」


 そのまま玄関へと向かい、靴を履く。里桜はワンピースによく似合う、ストラップのついたサンダルを履いていた。よく見れば、ペディキュアまでしてあるようだ。


 ここまでしてくれた里桜の気合いの入りっぷりに、俺も意識を切り替える。今度は俺から里桜の手を握ると、里桜は一瞬動きを止めて、それからくすぐったそうに笑う。


「んふふっ」


「……なんだよ?」


「んーん、嬉しいだけだよっ」


「……なら早く行くぞ」


「うんっ!」


 やっぱり照れくさくなってしまったが、玄関を抜けると、夏直前の眩しい日差しが俺達を照らしていた。

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