第36話 幼馴染とちょっぴりぎこちない朝
◆side里桜◆
自分のお部屋へと戻ってきた私は、ゆっくりとドアを閉めた。背中をドアに預けて、大きく息を吐き出す。
「隼くんのほっぺに……ちゅー、しちゃったぁ……」
ドキドキと胸が高鳴り、まるで熱でもあるかのように顔が火照る。
よしよししてもらったら、なんかもっともっと隼くん大好きーってなっちゃって、気持が抑えられなくて、つい──
「隼くん……イヤじゃ、なかったよね……? 」
隼くんの驚いた顔。そしてその後に見せてくれた、ほんのわずかに緩んだ口元を思い出す。
イヤがっているようには、見えなかった。むしろ、戸惑いながらも喜んでくれているような、そんな表情だった、と思う。
「……待ってろって言われてるけど、これくらいなら、いいよね?」
私は小さく呟く。
だって、待ってろってことは、隼くんも、私のこと……。
胸の内がほわほわと温かくなる。この気持ちをなんて表現したらいいんだろう。ドキドキするのに、どこか安心するような、ずっと追い求めていたものが見つかって満たされるような、そんな不思議な感覚だった。
ねぇ隼くん。
私、待ってるからね。
待ってるけど、あんまり待たせすぎたらヤダよ?
待ちきれなくなったら私──告白の前に、今度は隼くんの唇、奪っちゃうかもしれないからね。
唇に指を当てると、まだ隼くんのほっぺの感触が残っている気がした。それがいつかは隼くんの唇に触れるのかと思うと、すごく待ち遠しい。
でも……明日の朝、隼くんの顔、見れるかなぁ?
と考えて、やめた。
せっかく仲直りできたばっかりだもん。変に意識して、ぎくしゃくするのはイヤ、だよね。
……なるべく普通にしよう。いっぱい笑って、いっぱいスキンシップをして。これまでと同じように、私の気持ち、たくさんたくさん伝えたい。
そしたら隼くんからの告白、早くなるかもしれないもんね。
勢い任せだって、別にいいんだよ?
隼くんからならどんな形でだって、私、受け入れるからね。
そりゃ私もね、ロマンチックな雰囲気には憧れちゃうけど……。
きっと隼くんのことだから、そういうのを大事にして考えてくれてるんだろうなぁ。楽しみだなぁ。
うん、告白のことはともかくとして、明日はこの方針でいこう。
そう決めた私は、深呼吸を一つしてベッドに潜り込んだ。目を閉じると隼くんの顔が浮かんでくる。笑った顔、照れた顔、驚いた顔。その全部が大好きで、愛おしい。
試験が終われば夏休みはもう目の前。そしたらもっとたくさん隼くんと一緒にいられる。そんなのワクワクしちゃうよね。
きっとこの先、楽しいことばっかり、だもんね。
そんな幸せな予感を抱きながら、私は眠りについた。
◆side隼◆
翌朝。
「隼くーんっ! 朝だよーっ!」
今日もいつもと変わらず、俺は里桜の声で目を覚ました。
俺を見下ろす里桜の顔、その頬がほんのりと朱を帯びている。
「っ……?!」
里桜と目が合った瞬間、思わず頭まで布団を引き上げた。
そういえば、昨日は里桜に──
昨夜の、寝る直前の出来事を思い出して布団の中で悶絶する。里桜からのキスは確かに嬉しかった。なのにどうしようもなく恥ずかしくて、照れくさい。
柔らかい感触も、耳元で囁かれた甘い声も、その全てがまだしっかりと記憶に残っている。思い出さないようにと思うほどに、その記憶は鮮明に蘇ってきて、ドキドキして、顔が熱くなる。
こんな顔、見せらんねぇ……。
「あぁっ、隼くんっ! ダメだよ、二度寝しちゃ。今日から試験なんだからぁっ」
再び里桜の声が聞こえて、身体を揺らされる。
「い、いや、そんなつもりはねぇけど……」
「なら早く起きてっ。一緒に朝ご飯、食べよ?」
「わかったから……先、行っててくれ」
「もう……しょうがないんだからぁ。本当に二度寝したらダメだよ。5分経ってもお部屋から出てこなかったら、お布団、引っ剥がしにくるからね?」
「大丈夫……すぐ行くって」
「うんっ、待ってるね」
里桜は布団の上から俺の頭を一撫でして、パタパタとスリッパを鳴らしながら俺の部屋を出ていった。ドアが閉まる音を確認して、布団から顔を出す。
「……なんで里桜は、あんなにいつも通りでいられるんだよ」
一人きりになった部屋に、俺の呟きが吸い込まれて消えていく。
里桜は、キスのこと、気にしてねぇのか?
それとも寝て忘れちまったのか?
……いや、それはねぇか。
あの直前の里桜の表情は、決意を固めたような真剣なものだった。それにさっきも少し赤くなって──
はっ、まさか……。
里桜は、ぎこちなくなるのがイヤで、普通に振る舞ってる、のか?
そこに考えが至り、俺は布団を跳ね除けた。
……情けねぇなぁ。里桜のこと受け止めるって、俺の気持ちを伝えるって決めてるくせに。
深呼吸を何度もして、心臓を落ち着かせる。大丈夫、いつも通りに接するだけだ。自分にそう言い聞かせて洗面所へと向かう。
キッチンの横を通り過ぎる時、里桜は朝食の仕上げをしているところだった。
「あっ、隼くん。ちゃんと起きてきたんだね」
「そう言ってあったろ。あとさ、さっきは言えなかったから──おはよ、里桜」
また暴れだしそうになる心臓をどうにか宥めすかせて、真っ直ぐに里桜を見て挨拶をする。やっぱり、一日を始めるにはこれを欠かしちゃダメだよな。
里桜はきょとんとした顔をして、それからふにゃりと微笑んだ。
「うんっ。おはよぉ、隼くんっ」
里桜の微笑みに、どこか色気のようなものが加わった気がした。蕩けるような甘い微笑みに、俺はついまた視線をそらしてしまう。
そして、そらした視線の先には二つの弁当箱があった。粗熱を取っているのだろうか、蓋が開けられたままの弁当箱にはご飯と、彩り良く詰め込まれたおかず達。俺の分には、やっぱりハートが満載だ。ハート型の玉子焼きは毎日のこととして、今日のは更に、米の上にふりかけでハートマークが描かれている。
悠人と一緒に食べることを考えれば、まだ少し恥ずかしくもあるそれ。だが今は別のことが気になった。
「……なぁ里桜? 今日ってさ、試験だけだから、弁当いらなくねぇか……?」
試験は一日に3科目、午前中だけで終わる。それで解散となって帰宅するので弁当は不要なはずだ。
「あぁっ……そうだった。いつもの癖で、つい作っちゃったよ……」
俺の指摘に口を開けたまま固まる里桜。相変わらず俺の可愛い幼馴染はどこか抜けている。そう思うと笑いが込み上げてきた。
「ぷっ……。ふくっ……」
「あーっ、隼くん、ひっどーいっ! なにも笑わなくてもいいのにぃ……」
「ごめんごめん。なんか里桜らしいなって思ったら、我慢できんかったわ。くっ……あははっ……」
笑っているうちに、ようやく里桜の顔を見ることができるようになった。うっかりをやらかしてしょんぼりしているように見えて、里桜の口元も笑いを堪えるように歪んでいる。
「もーっ、笑い過ぎだよぉ!」
「悪かったって。まぁ里桜がせっかく作ってくれたんだ、それ食ってさ、学校で少し勉強してから帰ることにすっか」
誰もいなくなった静かな教室で、里桜と二人だけで弁当を食べて、勉強をして。
俺の提案に、里桜の目が輝いた。
「うんっ、そうしよっ! そういえばそう思って作ったんだったよ!」
「嘘つけ。今更そんな言い訳したっておせぇよ」
「ぶー……そういうことにしといてくれてもいいじゃーんっ!」
「いいんだよ。うっかりやらかすのも里桜の可愛いところなんだからさ、そのままにしとけって」
ここぞとばかりに、不意打ちのキスの仕返しをしてやる。思った通り、今度は里桜が俺から視線をそらす番だった。
「隼くんのバカっ……」
チラチラと俺を見ながら唇を尖らせる里桜にまた笑ってしまう。里桜もつられて笑いだして、俺達は顔を見合わせてしばらくクスクスと笑っていた。
ん……これならいつも通りだな。
朝食と諸々を済ませた俺達は、それぞれ弁当を持って家を出る。試験前とは思えないような、緩んだ空気が俺達の間に流れていた。
歩きながら、俺は時折里桜の横顔を盗み見る。たまに視線がぶつかって、里桜は微笑んでくる。その微笑みが、甘く、俺の心を締め付ける。苦しくはない、ただただ幸せな時間だった。
学校に着き、教室の手前で里桜が立ち止まり、俺の手をしっかりと握る。はにかむように笑って、その顔がいつも以上に可愛らしく見えた。
「里桜、どうした?」
「えっとね、えへへ……」
「なんだよ?」
「その、ね……昨日も言ったけど、試験、頑張ろうねっ」
「……おう、里桜もな」
教室に入ると、里桜は俺の手を離して自分の席へと向かう。少しばかり寂しくなった左手、でも里桜が握っていた感触がまだ残っている。里桜が教えてくれた内容だってしっかりと頭の中にある。それは俺に確かな自信を与えてくれていた。
悠人は最後の追い込み中みたいなので、軽く挨拶だけ交わして、俺も自分の席へ。
里桜にキスされた頬に、里桜が握っていた手を当て、小さく息を吐く。心臓は穏やかなリズムを刻んでいた。
ん、いけそうだな。
そしてHRの後、試験本番が始まった。
問題用紙をザッと目を通した俺は、勝利を確信しつつ心の中で里桜へ感謝の念を送る。というのも、見覚えのある問題がほとんどだったのだ。




